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【月の欠損】月は、”できないのが嫌だ”(月うお座)

 マドモアゼル愛先生の月の教科書を読んで、月の欠損について、自分自身に当てはめながら考えていきたい。

*ーーー 月うお座 ーーー*
・アイビリーブがない。本当は何も信じていない人。
・太陽うお座は、やさしく犠牲的で同情心がある→月はその反対で、ない。
・直観やこの世の神秘性を信じたい(が、信じられない)
・すべてにおいて一体感を持てず、常に虚しさを感じている。

 人それぞれ性格が異なり、得意不得意や好き嫌いがあるので、それがすべて月の欠損のせいというわけではないが、月は、”それができないのが嫌だ”、”それをしないといけない、それがないと人に認めてもらえない”、というように、どうしてもそれに囚われ、追い求めてしまう。

 私の場合も、まさしくそうだ。他人からまず第一に信用されたいし、この人は何があっても裏切らない、信用できると常に思われていたい。そして、ほんとうは同情心も犠牲心もないが、他人からは、同情心があって優しい人だと思われたい。なにをしても一体感がなく、旦那や子ども、家族、友達がいて良好な他者とのつながりもあるのに、なぜかいつも虚しくてたまらない。
 人を信じ、信じられなければ”いけない”、と思っている。信じることこそ、愛だ、という感じ。それは強迫観念のように。
 優しいと思われていないと嫌われるんじゃないか、認めてもらえないんじゃないか、と、思い込んでいて、それを獲得するためには、どんな非生産的で非現実的なことでもやろうとして失敗して、いつも自分を追い込み苦しくなっている。

 これに対して、たとえば、ほかの星座で、うお座の反転星座である月おとめ座の欠損を見ていく。おとめ座の欠損からくる、”きちんとしなくてはいけない”、”常に部屋は掃除してきれいにしていなくてはならない”、というような意識は、私には見事に存在しない。部屋が多少汚くても、物が乱雑に置かれていても、あまり気にならない。実際、私は整理整頓が苦手で、箪笥の中はいつもぐちゃぐちゃだけど、別にそれでいい。どうでもいい。暮らせるし。・・・という感覚になる。

 月の欠損というのは、月に入っている星座が持っている能力について、ただそれが”できない”のではなく、”そうしないといけないのに、できないのが嫌で、それに苦しんでいる”ということだと思う。だから、月に囚われる、という言い方をされているんだろう。

 私は月うお座のせいで、常に虚しさのなかにいる。今までは、その虚しさからどうにか逃げたくて、他人からの愛や賞賛、食べ物等、ほかの何かで埋めようと必死になっていた。でも欠損なので、永遠に埋まることはない。流れ込んでくる虚しさを受け入れて、真正面から正直に、ただただ味わい尽くすしかないのだ。それに気づいてから、とてつもなく心が楽になった。自分がずっと何が嫌で何から逃げていたのか、その正体が分かった気がしたからだ。虚しさを、虚しさそのままで受け止める。味わう。そこから逃げる必要はない。受け入れてみると、虚しさはそこまで怖いものではなかった。

 月の欠損については、まだまだ語りたいことが山ほどあるので、あと何本か書いていくつもりですので、読んでいただけると嬉しいです。


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