命に関して

小学校6年生の1学期、ある転校生が引っ越してきた。彼の席は左側窓辺の席だったが、体が弱く、学校には登校できないかもしれないと言われていた。
僕は時々、その子の席を見ては、果たしてどんな子なんだろうと、様々な思いをめぐらしたものだ。

2学期だった。朝登校すると、彼の席の上に、1輪の花が花瓶に生けてあった。
彼は亡くなったんだな。
言葉にせずとも、それはひしひしと伝わってきた。
人の死に言葉はいらない。限られた人たちの思い出と、彼の記憶があればいい。
先生は、彼の最後の一言を僕たちに教えてくれた。
重い言葉だった。非常に重い言葉だった。

お母さん、今までありがとう。

小6にして命が消えていく少年。それを見送る母。なんて残酷で、なんて悲しい光景だろうと思った。
僕はその日1日、いつものようには騒げなかった。その子がその席に静かに座ったまま、外をずっと見ているように思えたからだ。

命には限りがある。人の生と死は対極にはない。それは常にコイン裏と表だ。与えられたこの命を、彼の分まで生き続けなければいけないと、僕は強くそう感じた。

12歳の秋の出来事。

以来、何度か人との別れを経験してきた。中でも、肉親との別れは、特に大きな衝撃を僕にえた与えた。僕は雨の中の空を見上げ、ずっとずっと落ちてくる雨粒を見つめていた。何時間も。僕は雨に打たれながら、走馬灯のように駆け抜けていく両親との幼き日の記憶を延々と思い出し続けていた。

亡くなった人は良い思い出しか残さない。まるで万華鏡の中の幾何学模様のように、規則正しくその人の優しさや笑顔やぬくもりを伝えてくる。

僕も、やがて命に終わりを迎える。その時、彼らのように、死に対して自然に振る舞えるだろうか。周りに笑顔向け立ち去っていけるのだろうか。

それが今はできそうにない。という事は、僕の命はもう少し続くのだろう。

悔いのない人生は無いけれど、悔いの少ない未来は送ることができるだろう。そう考えて、また眠りにつく。明日生きているとするならば、いつも以上の笑顔や優しさで、家族や生徒や周りの人々を幸福な気持ちにして行けたらと思う。

本日の雑感である。

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