アルプスの少女 石川淳
高校生の時の教科書で読んで、衝撃を受けた作品。
マイノリティ側の苦しみを嫌という程味わったクララは、ハイジやアルムじいさん、ペーターの支えで奇跡的に歩けるようになった。
このお話はその先を描いている。
クララは町を目指す。自立を示唆している別れだ。この時、アルム爺さんは椅子に座ったまま幻影と化す。また、ハイジも何処にもいない。
やがて、戦火の町を生き抜いたクララは様々な経験を積み、疲れ果てまたアルプスへと足を向ける。そこで出会うのは、兵士になりきれなかったペーターである。アルムじいさんの椅子に程良い座り心地を感じるペーターに対し、クララは言う。
私たちはここにいてはだめ。自分たちの手でもう一度美しい町をつくらなくてはならない。
そして、来た道を自分の足で歩いていく。
なんと衝撃的な内容だろうと思う。
マジョリティの特権を与えられながらも、歩けないことでマイノリティに属していたクララ。いわば、グレーゾーンであったクララが社会を変えようと動き出し、マイノリティにしか属さなかったアルムじいさん、ハイジ、そしてペーターまでも消えようとしている。美しいアルムは、いつまでも残るものではないのだ。クララを主人公にしたのは、足がキーワードだからだろう。自分の足で大地に立つ=生きるイメージなのだろう。
しかし、なぜこれほどに切ないのか。
それはマイノリティ側がどんなに叫ぼうと、権力を持つマジョリティ側が自己の特権を意識し、変わろうとしない。いや、気づくことすらできない現実を孕んでいるからであろう。
時に文学には予言がある。
石川淳のこの作品には、そんな力を感じる。