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セイコーのラグスポ? 伝説のアークチュラ

1997年、セイコーからアークチュラと名付けられた時計が登場した。セイコーはそれまでAGS(Automatic Generating System)と呼ばれていた自動巻き発電装置をKINETIC(キネティック)と改名し、3日から7日間に伸ばしたパワーリザーブをもって世界戦略モデルとして打ち出した。その第一弾がアークチュラだったのである。

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KINETICはソーラー発電の効率が現在ほどよくなかった当時、電池交換の必要がないクォーツウォッチムーブメントとしてセイコーの次世代を担う存在だったに違いない。時計のデザインはインダストリアルデザイナーのヨルグ・イゼック氏によるもので、電池交換が必要ないことを象徴するように裏蓋のないワンピース構造を持っていた。ケースそのものは左右非対称で、セイコーはその非対称性をアピールしていたが、竜頭部分を含めた全体でみると左右のバランスは対称性を持っている。おそらくイゼック氏も全体性の中での調和を目指してデザインしたに違いない。

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1997年当時、大学生だった私はアークチュラの存在をmonoマガジンで知った。そしてその佇まいに一瞬にして心奪われたのを覚えている。定価は5万5000円だった。学生だったし、それほど時計に入れ込んでいなかった私の感覚からすればとてつもなく高価な時計だった。クラスメイトに相談したところ、ずいぶん反対されたのをよく覚えている。それほど一般的な感覚で言えば5万5000円の腕時計は高価な買い物だったのだ。

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しかし私はアークチュラの存在を諦めることができず、バイトに精を出して購入してしまったのだった。あの時のお金を払う瞬間の心臓の高ぶりは今でも思い出すことができる。それから社会人になるまでアークチュラは常に私の相棒だった。ドアの角にぶつけて竜頭が曲がって修理が一回、ベルトのウレタンが汗と経年劣化で割れて交換したのが一回あった。そうして修理して使うほどにお気に入りだったのである。機械式時計の魅力に取り憑かれるまでは。

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今(2020年)、高級時計の世界はラグスポ(ラグジュアリースポーツウォッチ)がトレンドらしい。もともとはオーデマ・ピゲのロイヤルオークに端を発し、それをみたパテックフィリップがそれをデザインした時計デザイナーのジェラルド・ジェンタに同じような意匠の時計を依頼してノーチラスを発売し、その人気がラグスポのデザイントレンドを決定した。その後に続くメーカーはみな同じような形に右へならえをして続々と類似品を世に送り込んでいる。そのデザイントレンドのひとつにラグレスがある。このラグはラグジュアリーのラグではなくて、ベルトがつく継ぎ手としてのラグのことである。継ぎ手をケースの裏側へ隠したデザインは多くのメーカーが模倣するところで、ラグスポ或いはラグスポ風を標榜する時計のほとんどはラグレスの意匠を採用している。

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アークチュラはラグジュアリーでもなければ機械式時計でもないが、こうしたラグスポ時計の中に並べても見劣りしない風格があると言ったら言い過ぎか。持ち主の贔屓目があるのはいなめないが、20年以上経った今みてもそのデザインの美しさは少しも損なわれていないではないか。この時計は今でも使えるものなら使いたいものであるが、ある事情により使用不可になってしまったのであった。

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購入から5年ほど経った頃、アークチュラの充電効率が著しく下がってしまっていた。アークチュラにはバッテリーはなく、電気をそのまま貯めるコンデンサを搭載している。修理にだすとそのコンデンサの劣化が原因と言われ部品交換となった。果たして修理から戻ったアークチュラには最新のコンデンサが搭載され、購入当時7日間だったパワーリザーブがなんと6ヶ月になっていたのであった。これだけ聞けば喜ばしいことに聞こえるが、これが良くも悪くも時計を使用不可へと追い込んだ原因となった。

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人力で充電できない。オリジナルのコンデンサを搭載していたときは、普段腕にはめているだけで満充電にすることは簡単だった。ところが、180日持つコンデンサを満タンにすることはただ腕につけているだけではとてもできるものではなかったのである。アークチュラには充電不足になると秒針が震えて知らせる機能がついている。そして新しいコンデンサのもとではいつも秒針は小刻みに震え充電不足を示し続けたのだった。

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結果、自力で充電することができない以上時計としての役目はなく、使わなくなっていったのであった。パワーリザーブを伸ばすという技術の進歩は技術者の追求すべきテーマかもしれないが、人間が発電するという基本を忘れてただコンデンサの容量を増やしたのは感心しない。電池がいらないのがウリだったKINETICが、外部電源を必要とするワインダーの力を借りないと充電できないというのは本末転倒である。7日間だった頃のアークチュラを返してくれと私は言いたい。

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かくしてアークチュラはときどき取り出して眺めるだけの時計になってしまった。昨今のラグスポブームを遠くから眺め、久しぶりに押入れから取り出してみたアークチュラは今も変わらず輝いていた。



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