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名誉の負傷、あるいは無知は怪我のもと
知らないということがどれだけ危険かということである。知っていれば回避できた事故も知らなければあってしまう。知ってさえいれば。ただそれだけが明暗を分ける。
海派か山派かという問いがあるが、ぼくは山派である。だからといって登山をするわけではないが、ようするに内陸派という意味である。海は昔からきらいで、たまに眺めるのはいいが夏に海水浴へ行くなんてことは考えたことがない。そんなぼくが家族で海へひょんな理由から出かけることになったのだから、この時点で十分警戒すべきだったが、何分海に関する知識がないから注意しようにもできなったのでござる。
折からの猛暑である。江ノ島周辺の砂浜も人出が鈍いらしい。遮るものがない青空の下、妻の会社のイベントでゴミ拾いに性を出したあと、海に入りたいと子どもたちが言い出した。最初は怖がっていた娘も海の家に設置された小さなプールじゃ物足りなくなったらしい。
じゃあいいよと言ったら息子がプールから飛びあがって海へ向かって駆け出した。おにいちゃん待ってと妹が後へ続いて、その後ろをぼくが追いかけた。勢いで5,6歩駆けてまずいと思った。砂浜が尋常じゃなく熱い。そしてそれは熱さを通り越して痛みとなって足裏を襲った。
戻ろう。ぼくは海の家の方角を向いた。そのときぼくの前方にいた娘の泣き声がわっと聞こえた。ぼくより5メートルほど先行していた娘も熱さ痛さで立ち往生して大泣きしていた。ぼくはひと踏みごとに足裏に響く痛みをこらえながら娘のもとへ駆けていき抱き上げた。娘は痛い痛いと泣いている。ぼくも泣きたくなるほどに痛いが、なんとしても海の家まで戻らなければいけない。ぼくは娘を抱えて走った。足裏に一足ごとに激痛が襲った。鉄板の上で焼かれながら死んでいったシンデレラの継母を思い出した。それでも先へ進まないことにはどうしようもない。立ち止まっても地獄、歩いても地獄。BBQ地獄。
やっとのことでシャワーまでたどり着いた。ぼくは服が濡れるのもかまわず水を出して娘と足を冷やした。しかし水だってほとんどぬるま湯みたいな温度になっている。それでも痛い痛いと泣いていた娘が泣き止んだ。ぼくの足の裏はズキズキと痛んだ。
海の家にあがって足裏をみると水ぶくれが指全部にできていた。火傷である。走ったので踵をあまり接地しなかったのと、踵の皮が厚いのでこちらは火傷を免れたらしい。妻に頼んで氷をもらってきてもらってひたすら冷やした。娘も一緒に冷やしていたがそのうちもういいといって普通に歩き出した。娘の足裏は水ぶくれが出来ていなかった。
氷はまたたく間に水になって何度も氷をもらって冷やし続けた。それでもズキズキズキと火傷特有の痛みはおさまらなかった。
2時間ほど冷やしただろうか。ようやくすこしだけ痛みがひいたので、海岸にある救護所に行った。歩くと痛いし、水ぶくれが破れたらいけないのでそっと歩いた。救護所でも保冷剤を渡されて冷やし続けた。2時間ほど冷やしていた。救護所は大忙しであった。15分おきにクラゲに刺されたひとがやってきた。そんなにクラゲがいるんじゃあとても海へ入る気が起きないが、刺されたひとはまた海へと戻っていくのだった。
熱中症が以外に少ないのは海の塩分が効いているせいかと思ったりした。トイレはどこですかと聞く人があとを絶たない。この裏ですよこの裏ですよ。レスキュー隊のひとと四方山話をしたりした。なにしろ足を冷やしているだけだから暇である。一緒についてきた娘はすっかり元気になって飴をもらったりしている。そしてぼくの保冷剤が溶けると新しいのを持ってきてくれるから手軽でいい。せっせせっせと世話を焼いてくれるのはやっぱり女の子だなあと思う。
すでに16時近くになっていた。火傷をしてから4時間以上冷やしていた。自宅まで電車に乗って帰らなければいけないのでとにかく歩けるようにして欲しいと看護師さんにお願いしてアズノールを塗って包帯でぐるぐる巻にしてもらった。靴がすこし窮屈になったが、地面からの衝撃はだいぶ緩和された。
娘には長時間待たせたから途中でかき氷をご馳走したら、ストローで底に溶けたのをちゅうちゅう吸うのであった。変な食べ方するなあ。それから妻と息子に合流してなんとかかんとか帰宅した。翌日病院へ行って新しい薬をもらって1週間くらいという見立て通り1週間して治った。水ぶくれが破れなかったのがよかったのである。これは知っていたのでよほど気をつけたのである。
砂浜の熱さを知っていればこんな事態にはならなかった。無知は怪我のもとである。そしてもし靴を履いていれば火傷など負わなかったが、そうしたら娘がぼくのように火傷を負っていただろう。それを考えるとゾッとする。結果的にはぼくが火傷したことで娘を守ったとも言える。娘が火傷するくらいならぼくがしたほうがいい。そういう意味では名誉の負傷であるが、やはり無知は怪我のもとのほうが正しいのかもしれない。
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