セイコー5スポーツ展
セイコー5スポーツが生誕55周年ということで原宿で展示会をやっている。それでずっと行ってみたいと思っていてようやく果たすことができた。原宿なんて普段行かないから。
原宿という土地を選んだことや、グラフィックやなんやかんや全てが20代をターゲットに作っているのは間違いなくて、その倍生きてるぼくなんかが行くのはお門違いなんだけれどもセイコー好きとしては見ておきたいところである。
会場はガラガラで、おかげでゆっくり見ることができたがどれだけ若者にアピールできているのだろうか。そもそも若者がセイコー5スポーツをつけているのを未だかつて見たことがない。というか、若者はあまり腕時計をしない。つけていると思ったらたいていアップルウォッチで、そうじゃなかったらG−SHOCKである。
これはセイコー5スポーツに限った話じゃないが、一般的に生産本数が多いと言われるオメガやロンジンでさえ見たことがない。例えば電車に乗っていてひとの手首を観察していても機械式腕時計で圧倒的にみるのがロレックスである。高くてもロレックス。同じ金額を出すならロレックスなのだろう。
まず機械式腕時計をしているのがレア中のレアなのだから、さらにピンポイントでセイコー5スポーツをしているひとに遭遇すること事態が幻に近い。
セイコー5スポーツはコラボ商品がやたらに多い時計であるが、どれも微妙である。なぜ微妙なのかと言えば突き抜けていないからだと思う。セイコーという会社の保守的な性格が邪魔をしているのであろう。デザイナーが思い切ってデザインしても上司のおじさんがうち的にはやり過ぎとか言うのであろう。セイコーは機械はとても先進的なものを作るのにデザインは死ぬほどコンサバティブである。といいながらぼくはセイコーの腕時計を4つも持っている。
コラボモデルの中でスヌーピーモデルはきちんとした佇まいがあってよいと思った。しかしこれは結局スヌーピーという普遍的なキャラクターのおかげと言ってしまえばそれまでで、だけどスヌーピーとオメガのコラボモデルは高くて手が出せないというひとにはいいかもしれない。
展示会には新旧の時計が飾ってあって、そうするとどうしたって旧モデルのほうに魅力を感じてしまう。つまり古いほうがデザイン的に優れていると言わざるを得ないのだ。古いほうがデザインの細部が煮詰まっていると感じる。それに比べると新しいものは大味な印象を受ける。どうしてだと思いますか。ぼくはなんとなくわかります。ひとつだけ言えば、時計メーカーのデザイナーでさえ、もはや腕時計を時刻を知るツールとして使わないからだと思う。
展示会の一番最後に完全復刻モデルが飾ってあって、これがすごい。
なにがすごいのかと言えば、オリジナルと見分けがつかないレベルの復刻なのだ。見た目が完全に同じならばスペックも同じ価格も同じときた。オメガがスピードマスター321をムーブメントから完全復刻したのに比肩するクオリティである。もちろん値段が1/100だからムーブメントは同じじゃないし、ネジ一本に至るまで同じではないだろうが、よくぞここまで再現したというレベルで文句がない。
なんでこの復刻版をこんなにベタ褒めするのかと言えば、大抵は復刻版と銘打っておきながらオリジナルの足元にも及ばない出来栄えになるからである。これで復刻を名乗るのかという時計がセイコーに限らずどこのメーカーでも実に多い。
だからオメガのスピードマスターはあれだけ騒がれたのであって、セイコー5スポーツの完全復刻版もやはり一瞬で売り切れたそうである。メーカーは悩ましいだろう。若者向けにブランディングしているのに、復刻版を買い占めたのはおそらくぼくのようなおじさんたちであるからだ。
展示会にはセイコー5をつけて見に行った。セイコーに行くのにG−SHOCKはないだろうと思ったからである。スポーツではないがぼくが持っている唯一のセイコー5である。だけど会場のスタッフはだれも気づいてくれなかったな。ターゲットじゃないってことなんだろうけど。
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