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妻のくれた財布

いつまでもボロボロの財布を使っていたからだろうか。
あちこちが擦り切れて破れて穴が空いた革の財布を見かねたのだろうか。

それじゃあ金運が下がるよといって妻が新しい財布を買ってくれた。
15年ほど前のことである。

ダークグリーンに染められたコードバンの財布は最初のころこそ硬くてお尻に大きな違和感があったが、次第に馴染んできてぼくの尻型に成型されてぼくの一部になった。

その財布も15年も経つとほころびが目立つようになってきた。破れたり糸がほどけたり擦り切れたり。しかしそうなればなるほどその財布はぼくの尻に馴染んでいくのだった。樹木が成長にしたがってそばにあった電柱やガードレールを飲み込んでいくように、やがてこの財布もぼくの尻の一部になるのかもしれない。

風水かなにかでは財布は新しくないといけないらしい。新しい財布には金運が舞い込むそうで、それを信じて3年くらいで財布を買い替えるひともあるようだ。妻もそれを信じてぼくのボロ財布をみかねて新しい財布を買ってくれたわけであるが、その新しかった財布ももうすっかり歳を重ねた。

ぼくは新しい財布にそのような特殊能力があるとは信じていなくて、むしろ古くなったものにこそ神が宿ると思っている。日本で昔から語られてきた八百万の神の話。そうした精神性に共感するほうである。

他人がみればただのボロ財布だが、ぼくにとっては愛着あふれる一品に仕上がったのだ。それは15年という歳月と毎日肌身はなさず使い続けた結果の賜物である。革の真価が発揮されるのはむしろこれからだと言っていいのかもしれない。

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