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旅に行きそびれた夏

8月下旬に予定していた一泊旅行が息子の骨折でキャンセルになって、夏だからといって別に旅行しないといけないわけじゃあないんだけれどもなんとなく行きそびれた感がつきまとって多分ぼくは今刺激を求めているんだろう。
 
旅行は好きだけれども時間に追われる旅行は嫌いである。
何時何分の電車に乗らなきゃいけないとか、現地ではあれを観てこれを観てとか、予定がびっちり入った旅行をしたいとは全然思わない。むしろ予定なんてないほうがいい。出かける時間も決めないほうがいい。時間を有意義に使うために早起きをするなんて論外である。もっとも無駄にダラダラ過ごしたいわけではないのである程度は考えて行動するが、要するにキメキメキツキツが嫌なのだ。
 
観光地なんて興味がない。たまたま行きたい場所が観光地なら仕方がないが、観光地だから行くという発想は端からない。むしろ観光地は外国人だらけだから行きたくない。ではどこへ行くのかといえば、海のある街とか、焼き物(陶器)を求めてとか、歴史探訪とか、そんな理由で場所が決まる。
 
旅行は余暇である。
現代人は余暇の過ごし方を忘れてしまったとジョージ・エリオットは「アダムビード」の中で嘆いている。ここでいう現代人というのは19世紀の現代人である。アランも「幸福論」のなかで、高速鉄道によって15分短縮した時間を人々は駅で無為に過ごしていると皮肉を言っている。もはや21世紀の我々が余暇がなんたるかを微塵にも知らないのは無理からぬことである。
 
ぼくはそういうのを読んで旅行くらい余暇でないといけないと強く思うようになっている。果たしていつ行けるかわからない今度の旅行は正しい余暇の過ごし方になるだろうか。旅行の日くらい慌てんでよか。お後がよろしいようで。

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ちいさな島
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