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価値を見出すのは自分自身で。

桜の葉が美しかったので何枚かもって帰った。
その中でもいい顔をしているやつはたいてい虫に食われていたり、こすれて欠けたりしている葉である。自然にそうなった形というのは人知の及ばぬところにある。はあすごいなあとため息をつきつつ何枚か写真を撮った。

落ち葉とアンティークウォッチは相性がいい。どちらも枯れているからであろう。
今回はRADOを乗せてみた。この時計については以前詳しく書いたのでもしよかったらご覧ください。

このRADOはおそらく50〜60年前の時計である。当時普通のサラリーマンでも背伸びすれば手が届くスイスウォッチとしてラドーやテクノスは定番だった。スイス本国では知名度の低いこれらのブランドは安く仕入れることができ日本で高く売ることができておいしい商売だったのではないかと思う。

この時計を買ったのはぼくの妻の祖父で、だれも引き取らぬ遺品として残っていたものである。ぼろぼろだったが修理に出して復活し今ぼくが使っている。薄くてなかなかいい時計である。

桜の葉とRADO
SONY A7IV + FE70-200F4

市場価値はゼロ円だけれども換金性だけが価値ではない。むしろそんなものは本当の価値とは言えないのだ。うちの娘はぼくが海辺で拾った平べったい石を大事にしまいこんで返してくれない。価値は自分で作り出すものである。

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ちいさな島
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