ところざわまつり
実に6年ぶりの開催だそうである。
コロナ禍で中止になったり縮小開催したりしていたようだが、100%元通りの開催が6年ぶりということで、完全復活を謳って相当気合いが入っていた祭りであった。
ぼくが所沢駅に降り立ったころは太陽が西の山向こうへと消えていったあとで、夕闇が地面の下の方から空へと這い上がりやがて夜空とつながってしまった。
ところざわまつりの特徴は神輿ではなく山車のほうで、なんでも十一基もあってそれぞれが獅子舞やらきつねやらひょっとこやらおかめやらを乗せて威勢のいい囃子を響かせていた。囃子のリズムは重松流祭ばやしとい名で、ふるさとの音色と広報誌に紹介されていた。生粋の所沢っ子ならば自然と身体が踊りだしてしまうのだろう、そんなリズミカルなお囃子だった。
きつねやひょっとこの踊りはこなれたもので相当練習をしたのだろう。これほど地場に根付いた文化のある土地だと思っていなかったので驚いたし関心もした。所沢は神社仏閣に乏しく、近所の川越や秩父と比較してそうした文化を感じづらい場所だと思っていた。なにしろ所沢には嫁を出すなと言われたほど痩せた土地だったので、ひとが集まりにくかったのは想像に難くない。
車両通行止めにされた通りはビールの匂いが漂う。露店の数はそれほど多くなくて、だから少ない露店や飲食店の出店に行列が出来ていた。山車の上以外でも獅子舞やひょっとこやきつねの踊りが披露されていてそれぞれの地区の精鋭たちが老若男女問わず踊り狂い、お囃子の演奏も交代制で音楽を止めずに引き継いでいた。これも相当練習したのだろう。音楽はエンドレスで唐突に始まり唐突に終わる。
見上げれば月がぽっかりと出ていた。ぼくは人波に疲れてしまい1時間半ほどで退散することにした。子どもたちを連れてこなかったのは正解で、いたらこんな悠長に写真など撮っていられないだろう。迷子にならないように厳重に監視し、あれ買えこれ買え攻撃にさらされて来たことを後悔したに違いない。祭りはひとりで見に来るに限る。