光に季節の色はあるのか。
窓から差し込む光、或いは窓から覗く風景を眺めていつも感じることがある。
それは、光の色に季節があるのかということ。木々の葉の付き方とか、体感温度とか、通りをゆくひとの服装とか空気中の水分量とかを全部無視して、純粋に光だけを眺めた場合、自分は季節を当てることができるだろうか。
ぼくはできないんじゃないかと思う。それは宇宙に季節がないように太陽から届く光そのものにもやはり季節がないからである。なんでそんなことを考えるのかと言えば、ひとの認知能力は視覚以外の感覚に大きく頼っているということを再認識したいからである。
一日中何某かの画面を見ていると、視覚情報こそがすべてのように錯覚する。たしかに視覚から得る情報量は膨大だ。
しかし情報量が増えると実際に得る情報が減るというこれだけ聞いたら逆説にしか聞こえないエントロピーの法則を学んだのはたしか大学生のときだった。
移住して一番良かったことは森がすぐそばにあることである。もちろんそれを目的に都心部から移住したのであるが、その効果は絶大だった。よく晴れた日の森ほど素敵な場所はない。
森の匂いはぼくを落ち着かせる。夏のむせ返るような匂いもたまらないが、秋や冬の仄かな香りだって捨てたもんじゃない。
森には音がある。春鳥たちがさえずり、夏虫たちが合唱し、秋木の葉が擦れ合う音が聞こえ、冬の静寂。
ロードノイズが絶え間なく響く都会では決して聞こえてこない音が森にはある。
暑さ寒さ以外にも肌で感じることはたくさんある。そうしたいろんな感覚から得る情報をひっくるめた知識と経験が、光に色付けをする。
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