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名はコオロギ、声はアブラゼミ

レビュートーメンは1853年に創業したスイスの時計メーカーである。レビューは同社の時計ブランドだったが、1905年になって創業者のGédéon Thommenから名をとってレビュートーメンとなった。同社は他の時計メーカーとMSRグループを結成するが、もっとも規模の大きかったレビュートーメンにブランドを一本化した。これは丁度エボーシュSAにETAが参画したことにより他の全てのメーカーを吸収してETAになったのと似ている。スイスでは激化する国内競争に加え、外国の脅威に対抗するべくこうした合従連衡が盛んに行われていたのだろう。

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1916年にスイス空軍のためにクロノグラフを製造したことをきっかけにレビュートーメンは航空機の計器事業に乗り出し以降そちらが中心事業としてシフトしていった。2000年代に入ると時計事業は他社に売却され、その後レビュートーメンブランドは何度か人の手に渡っていくことになる。最初の売却を経た時点で、創業時から続いた本家による時計事業は一旦終了した形となった。

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この時計はレビュートーメン銘による最後のクリケットである。クリケットは世界で初めてアラームウォッチを開発したヴァルカン社の時計であるが、ヴァルカンがMSRグループに併合されて以来レビュートーメンブランドで売り出されたのである。その後ヴァルカンはレビュートーメンを離れて別の人間の手に渡りブランドの再興を図っているようだ。

ヴァルカンのムーブメントCAL.120を失ったレビュートーメンは、アシールドのアラーム付きムーブメントCAL.1475に置き換えて引き続きクリケットを販売していた時期もあったが、やがてカタログから消えていった。

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裏蓋をみると1997とあるが、私が購入したのは2002年か2003年のことだから1997が発売年をさすのかどうかわからない。直径は35mm(竜頭含まず)で当時ボーイズサイズとして売っていた。通常モデルより一回り小さいその凝縮感に魅せられてこちらを選んだのを覚えている。またケースが文字盤にむかってテーパーしている形状のため、数字よりもずっと小さく見えるだろう。厚みは11.35mm、ラグ幅は18mmだ。もともとメタルのブレスレット付きで売っていたがコマの位置がどうしても私の腕に合わなくてベルトに替えている。文字盤がオレンジとも銅板ともとれる特殊なカラーのため似合うベルト探しに難儀したが、このグリーンのNATOベルトを見つけてようやく安住の地にたどり着いた気分だ。

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レビュートーメンは学生時代の憧れのブランドだった。今(2020年)から25年くらい前レビュートーメンは日本でかなりひろく出回っておりマルイでもよく売っていたのを覚えている。価格はどれも10万円前後で、クリケットに加え、方位磁石付き、スケルトンなど個性豊かなバリエーションを展開していた。私はよくマルイの時計売り場で指を加えて眺めていたのだった。だから社会人になって最初に購入した高級時計がこのクリケットであったのは不思議でもなんでもない。当時すでにヴァルカンは分離独立していて日本でもヴァルカンブランドのクリケットが売られていた。私が購入した時計屋さんでもレビュートーメンのクリケットとヴァルカンのクリケットを横並びにして売っていた。私はもちろんレビュートーメンを選んだ。ずっと憧れ続けていた時計だった。それまで私が買った一番高い時計はセイコーアークチュラの5万5000円だった。そしてこのクリケットには11万円の値札が下がっていた。倍の値段がするこの時計を買うか買うまいか何日も逡巡したあげく遂に購入の決心を固めたのであった。

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その時の気持ちは今でも忘れない。それほど時計にはまっていなかったから、こんな高いものを買ってしまってよかったのかという若干後ろめたい気持ちと学生時代に憧れ続けたレビュートーメンを遂に手に入れたという喜びを同時に味わっていた。この時計をつけると時々あの時の気持ちが蘇ってくることがある。そうした体験はときに時計そのものよりも大切なものになりうる。

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この時計はクリケット(コオロギ)の名こそついているが、その音はまさにアブラゼミのそれである。ヴァルカンはこのアラーム機構を潜水時に時間の経過を知らせる目的で開発した。だから音が大きいのは当然だが、同じアラーム機構を持つアシールドやジャガールクルトの音にくらべ倍は大きいと感じる。不用意に鳴らしてしまったときの周囲の驚き、それからくる冷たい視線に何度か肝を冷やしたことがある。というのも、この時計は竜頭を下(6時方向)に回せば時計のゼンマイが巻け、上(12時方向)に回すとアラーム用ゼンマイが巻かれる仕組みになっている。なのでうっかり上にキリリと回してしまうとアラームが鳴ってしまうのである。ちなみにそうした特殊な設計のため針は逆回転できず、したがって時刻合わせが慎重にならざるを得ない。目当ての時間に針を回してうっかり通り過ぎてしまった場合、通常の時計なら竜頭を逆回しにすれば針も逆回転するが、クリケットはただ空転するだけで針は反対には動かないのだ。だからずれるとまた12時間分ぐるぐる竜頭を回さなければならない。そしてこれがとても面倒くさい。

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学生時代に好きになったブランドというのはその後も長く心に留まるもので、このクリケットを買ったのちにレビュートーメンのペアウォッチを両親にプレゼントしたことがある。それはウォールストリートというモデルでETAのムーブメントが入ったシンプルな三針時計だった。福岡県にある金子時計店からネットで購入した時計だった。まだ福岡出身の妻と出会う5年以上前のことであり、将来福岡と深いつながりを持ち、金子時計店を実際に訪れることになるなんて1ミリも想像していなかった時代の話である。しかし世の中様々なところでつながっており、これがご縁なのだろうと思う。金子さんについては私が制作する、やり抜く人のための肖像画サイトGRIT JAPANをご覧いただければ幸いでございます。

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現在のレビュートーメンにかつてのときめきはもうないが、たまに中古で当時のレビュートーメンを見つけると心臓がドキンと高鳴る。Rを背中合わせにしたそのマークは私の思い出のつまった引き出しをあける鍵になっているのだろう。

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