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チプカシでわかった機械式時計の魅力

セイコーが1969年に発売したクォーツウォッチ「アストロン」が時計業界を一変させたことは周知の事実だ。これによりスイスの伝統的な時計業界全体が傾いたことからこの出来事をクォーツショックやクォーツクライシスなどと呼ばれている。しかし、視点を変えればクォーツウォッチの登場は全てのひとに安価で精確な時計を持つことを可能にした功績を讃えられ、クォーツレボリューションと表現されている。初代アストロンこそ高価(発売当時45万円)だったが、その後量産技術の確立により現在(2020年)では100円ショップでも購入できるほど低価格になった。

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時刻が精確であることが日常になり、腕時計以外での時間確認が普通になった現代において、機械式時計が生き残る道をアクセサリー(宝飾品)に求めたのに対し、クォーツウォッチは自らが進めた低価格化により、低価格であること自体がアイデンティティになってしまった。多くのクォーツウォッチは安かろう悪かろうを地で行く時計になってしまったが、その安さを逆手にとった時計がカシオから登場した。そしてカシオの思惑を超えてサブカルにまで発展したのがチープカシオ略してチプカシである。

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機械式時計を趣味にしてからというもの、クォーツウォッチは常に興味の対象外であった。それにはいくつか理由があって、秒針の味気ないステップ運針、針を含めた全体のつくりのちゃちさ、壊れたら修理ができずおしまいという短寿命、ムーブメントに面白みがないなど挙げられる。そんな私がチプカシを購入したのはわけがある。それは、子どもと遊ぶときに使える時計が必要だったから、である。

気がつけば、所有する時計すべてがアンティークウォッチになってしまった。アンティーク好きでアンティークウォッチを買っていたわけではなく、自分の好みを追求していくと自然とアンティークウォッチになってしまっただけのことである。これらの時計の共通点は、防水性能がなく、衝撃に弱い。幼児と遊ぶ上で、高い防水性能、及び耐衝撃性能は欠かせない。自分ひとりなら時計を濡らさずに手を洗うことは可能だが、子どもがいたら不可能になる。自分ひとりなら傷つくはずのない時計も子どもがいるとはずした瞬間投げられている。或いは予測不可能な角度からガツンとなにかがぶつかってくる。子どもに意識が向いているのでガリッとひっかくことしきりである。アンティークウォッチをして子どもと遊ぶのはわざわざ壊されにいくようなものなのだ。

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そこで、丈夫な時計が欲しいと思うようになった。機械式時計で以上の条件を満たす時計もあるにはあるが、高価すぎたりデザインが気に入らなかったりしてイマイチ食指が伸びずにいた。SINNの244は値段も手頃で小さくていい時計だったがとっくの昔に廃版になり、そして近頃のメーカーはそうした小さい時計を作らなくなった。大きい時計というのはそれだけでぶつける可能性がぐんと上がるのである。

しかし腕時計がなければないなりに不便なのも事実だった。子連れでスマホを取り出して確認というのはなかなかの手間だった。その点、さっと確認できる腕時計は便利なのだ。そこで、中途半端にお金をだして大して気に入りもしない時計を買うよりもいっそのことめちゃくちゃに安いクォーツウォッチを買って時計に気にせず子どもと遊んだほうがいいのかもしれない……で、チプカシを買ったお話。

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F-91Wは初代G shockに似ているがこちらのほうがより洗練されていると思うのは私だけだろうか。10気圧防水、卓越した耐衝撃性能、超軽量20グラム(肉抜き加工後)を誇り、その大きさは幅33.2ミリ(ボタン含まず)、36.3ミリ(ボタン込)、厚さ8.55ミリと非常に小さい。これでベルトのつけ心地がよければつけているのを忘れるほどだといいたいところだが、なにしろ980円の時計だからそこまで完璧とはいかない。私はベルトのベタつきを解消するために大きく肉抜き加工を施した。といってもハサミとカッターで切り抜いただけだが安い時計だから気兼ねなくこういうことができるのもチプカシの利点である。

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デジタル表示は個人的に好むものではないが、すでに好みでないクォーツウォッチを使っている時点でデジタルも許容範囲内だ。電池寿命は公称7年だが、20年持ったという伝説もありもはや一生モノの部類に入るのではないか。万が一電池切れになっても裏蓋のプラスネジを外せば自分で電池交換ができるようになっている。もっともその場合10気圧防水が保てるかはわからないが、たとえ壊れても惜しくないのがチプカシのさらなる利点である。

私の妻はそれまでスウォッチを使っていたが、スウォッチの宿命であるベルトの寿命がつきてそのベルトの交換代よりも安いという理由でチプカシを購入した。私と違いアナログ文字盤で、インデックスは5分間隔のみで秒表示はなく、針は極めて短いためそのインデックスとの間に広大なスペースが生まれている。結果ムーブメントが刻む精確な時刻をなんとなくしか読めないが、これで1500円以下なのだから許してしまおう。

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私のF-91Wと違い10気圧防水ではなく日常生活防水であり、電池寿命も公称3年と短いが、本当の性能は今後使用していくなかで明らかになっていくだろう。どちらの風防も樹脂製であるが、とくにF-91Wのそれは非常に傷がつきにくい。或いは付いていても気になりにくいのか、とにかくぶつけたり落としたり投げたりお風呂で洗ったりしても傷ひとつついたように見えない。水遊びのすきな子どもが洗いたいというので渡したことが何度かあるが、あんなに乱暴に扱われ弄ばれたにも関わらず顔色ひとつ変えずに帰ってくるのだから頼もしいかぎりだ。

F-91Wを使っていると、腕時計とはなにかを考えるようになった。例えば時計としての性能で言えば、この1000円に満たない時計は数百万円の機械式時計をはるかに凌駕する。それは当然クォーツだからで、レボリューションの名に恥じない性能がこの安価な時計にも生きている。だから時間を見るという用途においては最高だ。一方で、単純に時刻を知ること以外でこの時計から魅力を見つけることは私には難しい。時計をつける喜びとはなにか。時計を見る楽しみとはどこにあるのか。この無味乾燥ともいえるF-91Wを眺めれば眺めるほどにそれを考えずにはいられない。

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まず、現代は時刻を知る目的として腕時計が果たす役割りはほとんど終えてしまったと考える。機械式時計からクォーツ時計への変遷は精確な時計を所有すること自体に意味があった。それは、時間が知りたいと思ってもどこでもわかるものではなかった時代だったからである。そうした精度競争の果てのクォーツだったのだ。ところが現代はより精確なスマホが手元にあり、カレンダーやスケジュール機能と相まって重要な時間の確認に腕時計を用いること自体が少数派となった。

機械式時計を愛でるにおいて時計の新旧を問わず精度は蚊帳の外である。精確な時刻はスマホが担保してくれるので腕時計が1分や2分ずれたところで差し支えない。それどころか、実際の生活において秒単位の正確さが求められることはほとんどないのではないか。ではなにを機械式時計に求めているのか。物語がそれである。

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時計の好き嫌い或いは好き興味ないを決める重要な要素として物語が機能する。ある人にとってそれはメーカーの歴史であり、ムーブメントの構造であり、オリジナリティであり、希少性であり、時計のデザインである。とくに機械式時計はムーブメントの果たす役割が非常に大きい。その証拠にもしデザインが一番重要になるのならクォーツウォッチも機械式時計と同じ土俵に上がれるはずだからである。ところが実際はそうならない。人々は微小な歯車たちが織りなす精巧さに心惹かれるのである。メカニカルとエレクトロニクスには深い深い溝がある。思うに電子デバイスは神秘性を感じるにはあまりにも小さすぎるのだ。目に見えないものにときめかせろというのはそれを設計しているエンジニアでもない限り難しい注文である。

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私が機械式時計を好むのはそうした物語が私の人生を豊かにしてくれると信じているからである。残念ながらF-91Wには嗜むだけの物語がないのだ。しかし逆説的に聞こえるかもしれないが、チプカシを常用することで私が本来機械式時計にもとめていたことがより鮮明になったように感じる。それは丁度コロナ禍で人と人とのコミュニケーションの重要性が再認識されたのと似ている。人間は災害にあったとき、普段の当たり前に感謝する。趣味の世界でも同様に、手元にある時計たちの尊さをチプカシを通して再認識した次第である。

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