オールドデジカメ思い出話 その1 RICOH DC-3Z
最近古いコンデジがZ世代に人気があるという記事を読んだ。彼らの古いがどのくらい前のことを指すのかわからないが、飾るために買うのじゃないだろうからとりあえず使えるくらいの古さ、つまり10年か古くても15年程度の古さだろうと思う。
古いデジカメで一番問題になるのはバッテリーである。バッテリーが死んでいるとどうしようもならない。メーカー純正品はとっくに廃盤になっているからバッテリーがない場合はフリマサイトで手に入れるかアマゾンあたりで中華の互換品を買うしかない。
なぜ高性能なスマホを持っていながらわざわざ昔のデジカメを好んで買うのか。その答えのひとつに初期のインスタを思い出す。インスタグラムが出始めた当初に一番もてはやされた機能が古めかしいエフェクトやチープな質感を再現するフィルターだった。クリスプでシャープな画像をレトロ調とかトイカメラ調、或いは廃退的表現に変えることで、なんでもない写真が意味ありげな写真になる。これが流行った。
写真を撮ることは非常に簡単だが、よい写真を撮ることはこの上なく難しい。それがカメラの高画質化が進んだことでアラがますます目立つようになってもっと難しくなった。インスタのフィルターやエフェクトはそうしたアラを隠し上辺の見栄えを良くするのに役立ったのである。
古いデジカメを好むということは、低画質を好むということである。これは初期のインスタと同じ現象であるとぼくは思う。
あえて低画質のデジカメで撮影する。出てくる画は精細感に乏しく、色表現もいまいちだ。これでも当時は十分高画質に見えたはずなのだが、今みると実に古めかしい。技術は確実に進歩している。こうした古いデジカメが吐き出す画がその時代をしらない世代にとっては新鮮に見えているのだろう。ぼくなどは一番高画質に撮影しておけば後でいかようにでもPhotoshopで手を入れられると考えるが、普通のひとはそんな面倒くさいことはしない。
ぼくはかなりの捨て魔なのであるが、そんなぼくにも捨てられないデジカメというのが何台もあって、もうたぶん使えないけど思い出として残してある。昨今では古いコンデジが注目されているというので久しぶりにひっぱり出してみた。その懐かしのカメラをここで紹介したいと思う。
まず最初はリコーのDC-3Zである。ぼくが初めて買ったデジカメだ。Digital Camera 3倍Zoomというわかりやすいネーミングである。当時デジカメはフィルムカメラで後塵を拝していた企業がこぞって参入する分野だった。どの業界でもそうかもしれないが、成功した城があるとなかなか新規分野を開発ができないものである。リコーもフィルム時代には全然パッとしなかったブランドだからデジカメには早々に手を上げたのだろう。
リコーの売りは1センチマクロだった。ぼくは昔からブツ撮り大好きだったため被写体まで1センチまで寄れるというのがこのカメラ購入の決定ポイントになった。実際にレンズ端から1センチまで寄ることなどないのであるが、ほぼ無制限に接写ができるのは大きな魅力だった。
それからこのスタイルがいい。フィルムカメラでは不可能な形態がデジカメという新時代を象徴していた。この頃は各メーカーこぞって奇抜なスタイルを提案していて面白い時代だった。それが使いやすいかどうかは別である。様々な機構が登場したが、結局現在では昔のカメラのスタイルに戻っている。使いやすさを追求するとフィルムカメラの形に収れんする。フィルムカメラだって、あの形を獲得するまで試行錯誤があって長い歴史が育んだ形なのである。デジタルでもカメラはやっぱりカメラだった。
DC-3Zは乾電池で駆動するが、単三電池が4本も必要で、それがあっという間になくなった。このバッテリー性能は本当にネックだった。いつも大量の単三電池を持っていなければならず、これがジャラジャラと重くて邪魔だった。
カメラには電源ボタンがなく、液晶パネルを開くとそれに連動してレンズバリアが開いて電源がオンになる。なかなか凝っている。カメラをウエストレベルで構えてズームとシャッター操作は親指で行うのも新鮮だった。
画素数は35万画素。640×480ドットしかない。メモリーカードはスマートメディアだった。4MBのスマメが入っていた。ギガではなくメガですぞ。
今では笑っちゃうくらいチープな写りであるが、当時はこれが標準だった。たまに当時の写真を見返したりするが荒すぎて見るに堪えない。それはノイズがどうというより、画素数が足りなすぎてそれはまるでドット絵のようである。こんな画しか撮れなくてもいつでもどこでも持ち歩いていたなあ。
今ぼくはGR3ユーザーである。初めて買ったデジカメがリコーだった。そして今またリコーに戻ってきたのだ。