
走る姿に人が出る
3週間前、フルマラソンに向けて30km走をした。そして来週、ついに本番を迎える。
自分一人で30km走れるほどのパッションは今シーズン、残念ながら、なかった。
去年の10月に2人目を出産後、そろそろ体も動くかなという生後半年〜8ヶ月、季節は春。ゆるジョグしたり、日中にバギーランしたり、まだまだ回復期、と思ってタラタラ走っていた。そして夏。みるみる気温が上昇、酷暑になった。
涼しい朝のうちに走るにしても、夜間授乳をしているあいだはどうしたって眠い。絶対走ってやる、という根性もない。従って、寝坊が常になる。そんな日は日中にバギーランもしたけれど(7月上旬までは)、日に焼けるし、スピードは出せないし、てかそもそもやっぱり暑いし、息子も気づかないあいだに熱中症になったら…と思うと追い込めるわけもなく、回復期と大して変わらない練習しかできなかった。
さすがにこのままレース本番を迎えたら大コケするぞ、と思い、9月、冒頭の30km走ができる練習会に申し込んだ。
走り切れるか不安な気持ちの反面、「意外と走れるってパターンも、あるしな」と、謎のポジティブ思考。これは、未来展望があいまいなときに起こるやつです。遠い未来を思い描くときほど、責任がないから夢を見る。反対に、近い未来を見るときは、現実と地続きにある程度見通しがきくから不安も生じる。遠い昔、卒論でやったテーマなのでよくわかる(卒論、引用文献の半角と全角間違うだけでっかく赤で修正されてたなあ…。おかげで一番力入れたの考察より引用文献の書式だった謎)。
30km走る前の私は、前者と後者と半々の思考。現実が見えてるようで、見えてない。そんな心持ちでいた。
30km走当日のターゲットタイムは完走タイム3:45’00” …Ave.5’20”/km。ペーサーは私のリスペクトする年下のラン友。
彼女が引っぱったレースでは仲間の皆がPB(自己ベスト)を出す、PB請負人。努力が習慣化していて、人のせいにせず、気負いしないけど本番では外さない、そしてなにより走るのが大好き。こんなにかっこいい人おる?っていつも思う。その背中を追いかけて走れるのは、30km走る上ではかなりのアドバンテージ。いけるところまでついていこうと思った。
と、その前に、スタートに間に合うように移動したりゼッケン付けたりアップしたり、色んな過程がありながら気持ちを持っていく感覚、すっかり忘れてた。それも含めて練習になった。
そしてこの日は10月中旬にもかかわらず最高気温27度の夏日!天気に合わせて補給も考えないといけないなあ、と、後半、脱水ぎみの頭で思った。
結局、練習不足もたたって15kmくらいからは集団から遅れて単独走に。ずっと喉が渇いてて補給所で2〜3回止まった。ペースもキロ6まで落ちた。それでも、走路は歩かない、途中でやめない、大いに歩く誘惑、やめる誘惑に惑わされながらもなんとか走った。
走るからにはどんなに遅くても歩きたくない。それは、小学生のときの持久走大会からあんまり変わってない気持ち。
村上春樹も言ってたしな。
走り終わったときの感想は、
「30kmとりあえず走れてよかった」
「でもこのままじゃつらすぎる」
「あと1ヶ月でもうちょいがんばらないと」。
現実にしっかり直面して不安になる。
そこで、焦って思い出したときにだけ都合よく頼るバイブルを読み返してみる。
最後の1ヶ月、疲労抜きをするレベルでは走り込めていない私は、走り慣れるしかない。書かれた趣旨とは少し違うけど、メニュー的には似たようなことをと、週末は少し長めに走る日を作り、時間がない日はペースをちょっとだけ上げるようにした(ちょっとだけ、というところがミソ笑)。
今の時期は、週末のたびに色んなレースが全国各地でやっている。駅伝観戦も好きなので、出雲駅伝も、箱根駅伝予選会も見た。そして友だちが走るレースは、現地応援に行けないぶんアプリで天から見守った。
走る姿が人に感動を与えるというのは周知の事実だけれど、それはやはり、走る姿にその人の思いが乗っているからだと思う。アプリでラップタイムを見るだけでも、調子いいな、粘ってるな、苦しいな、となんとなく感じられる。駅伝のように、映像で選手の走りを見るとさらに、チームへの想い、4年生の意地、下級生の勢い、前を追いかける気概、反対に、不安や不調も(間違ってるかもしれないけど、もしかしてそうかな?と感じさせる)一人一人が醸し出すオーラみたいなものがある。だから市民ランナーも大学生ランナーも実業団もプロも、走っているところを見るのは好きだし、見ると勇気をもらう。そしてもれなく「自分はどうだろうか」と省みる。
色々な理由で走るモチベーションが上がるのに時間がかかった今シーズン。やっと涼しくなってきて、今、走るのが楽しい。少しペースを上げてみたり、距離を伸ばして走れたりするのが嬉しい。来週のレースはPBを狙うことはできないぶん、じゃあ今の自分の目標はなんだろうと、ずっと考えている。まあまあな参加費払ってるのでファンランと開き直るのも惜しい気がするし(ケチ)、一緒に出る仲間たちが真摯に走ることがわかっているなか、自分だけただ漫然と走りたくない。
となると結論、私も真摯に走るしかない。その中でも今回は結果(タイム)より、内容にこだわってみたいと思いつつある。
レースの理想はずっとネガティブスプリット。ラップを最後に上げる、私的にはかっこいいやつ。それができないならせめて、イーブンで終わらせたい。ノー!ポジティブスプリット!イエス!ネガティブスプリット!をスローガンにがんばってみようかなと(うーん、読み返すとダサいな)。結果、サブ4できたら御の字(欲を言えばサブ3.45だけど、そこを目指すと走りがブレそうなのでやめとく)。
そのくらいのペースなら、30km過ぎて歩き出す人もいるから爆走ごぼう抜き状態になれて気分もすこぶる良い感じで走れそう。なんか底意地の悪いモチベーションやけど。じいじばあばと応援に来てくれる(はずの)娘にもかっこいいところを見せたい。私のリスペクトするランナーは皆、語る背中が雄弁で、目に光が宿っていて、力がある。
明日は全日本大学駅伝。出雲では國學院の平林選手がリスペクトする土方選手よろしく、最終区間で一位になってそのままフィニッシュテープを切ったのに大感動だったけど、二位の駒澤、篠原選手(キャプテン)がごめんねフィニッシュする姿は同じくらいの熱量で切なくなった(どっちの選手も好き)。明日はどんな走りが見られるのか、佐藤悠基時代から地味に推し続けてる東海大も三大駅伝はここでしか見られないので、楽しみ。
そしてその姿に勇気をもらい、ちっぽけな市民ランナーの自分もどんなふうに走れるかな、とまた省みるんだろう。