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素晴らしい「場」とは、遅くて静か。【場作りがしたい!】
ほんとうに幸せなことに、今年は素敵な「場」をたくさん経験した。素晴らしい「場」をつくる何人もの人に出会った。「この人と気が合うな」を超えて「この場は心地いいな」という実感をはじめて認識したとき、二次元から三次元に移行するような衝撃を受けた。
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とにかく居心地がよくてしっくりくる「場」というものが存在する。
人が複数集まったところには「場」という概念が生まれる。集合としての観念上の人間関係といいますか。対面でもオンラインでも、目的があってもなくても、一時的でも継続的でも、そういう形式を問わずに「ピタッとくる」場・空間・ゆるい繋がりが無数に広がる空間がある。
素晴らしい「場」を経験するたびに、今まで感じたことのないような充足感を得た。静かに満たされていく感覚。そして本当に不思議なことに、静かに満たされたとき、充足感が遅ければ遅いほど、それは持続して生活にゆっくりと大きく還元されていく。
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素晴らしい「場」とはどのようなものか?
そこが素晴らしい「場」であるとき、「自分は存在するだけでいい」という実感を持つ。その「場」においては「存在すること」が全てであり、自分も例外ではない。
そこが素晴らしい「場」であるとき、その「場」に存在する他者に対して「ゆるやかな好意」を抱く。場の範囲=自分の範囲であり、一人でいるときよりも安心感がある。
そこが素晴らしい「場」であるとき、そこではじめて自分の「自然体」を認識する。プラスにもマイナスにも振れていない、収束していった先の自分を知る。
人が発する何かが調和するとき、思考を止めて目をつぶったときになぜか「静けさ」を感じ、何かをしてもしなくても心が動く。その「場」をはなれた後は、疲れが取れてなぜかエネルギッシュに動きたくなる。
こうやって書いてみると「うわこれ宗教みたいじゃん」と思う。宗教のはじまりは、きっと素晴らしい「場」だったんじゃないか?
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今年になってはじめてそういう「場」を認識した。認識してやっと見えるようになって、昔経験した「あれ」はそれだったのかと理解した。
「違和感がない」を実感してはじめて「違和感」に自信を持てる。自分の違和感に素直になることと、「違和感がない」を確実に積み重ねていくこと、この二つを両輪にして進んでいくことが大切。
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それでだんだん場作りっていいなーと思うようになった。
ここまでちょっと大げさに書いてみたけど、好きな人や、興味を持っている人や、違和感のない人を集めて、そこに細い糸がゆるく無数に飛び交うような場がつくれたら、すごく嬉しいだろうな。楽しいだろうなー。
大好きな友達と友達が交流して、気が合ったりして仲良くなってくれたら、すごく嬉しいだろうなー。きっと自分と一人の関係性もより立体的で強固なものになるんだろうな。
なんというか、自分の周りの世界が動き出して、角度がついてより立体的になるような予感がする。
どうなるか分からないけど「場作り」がやってみたい!!!手始めに、BARとか貸し切って、気の合う友達をちょっとずつ呼んで、一日店長をやってみたいのである。
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ChatGPT4.o(さいきん課金をはじめた)に「場作りに対する不安」を相談したらすごくいい答えが返ってきた。
わたしは飲み会とかで気を遣いすぎちゃうところがあって、無意識に「誰かが楽しめていないのは自分の責任」みたいに考えてしまう。だから一日店長をやったとしてもプレッシャーを感じて楽しめないんじゃないか?とモヤモヤ考えた。
すると、ChatGPT:すべてを完璧にしようとしなくても大丈夫です。一日店長はあくまで「場を提供する人」であって、みんなの感情すべてをコントロールする役割ではないからです。
これ、すごく本質的ですよね。仲良くなれるような仕掛けを作って「場を提供する」ところまでが自分の役割であって、そのあとはそこにいる人々の相互作用によってどんなものが生まれるのかを眺める。
ああもう文章にするとすごく大げさになっちゃうのだけど、とりあえず奇跡のような「場」を言語化してみたかったのと、2025年は場作りをしますという宣言でした!!!!