そもそも化粧をしなければ「すっぴん」という概念は生まれない
小学生の頃は、母親の化粧道具を魔法のアイテムのように思っていた。高学年に上がった頃から、百均で買ったチークやアイラインを使って、こっそり化粧をして学校へ行くこともあった。先生にバレないかドキドキしながらも、自分だけが大人になった気分になれる「魔法」だった。
化粧をする特別感や背徳感が薄れていき、義務の色が強くなった大学生の頃から、化粧というものが憂鬱の種に変わっていった。たまにそのポジティブな効果を実感するにしても、ちょうど皿洗いや通勤のように、その行為自体に何の意味も見いだせず毎日の負担になっていった。
そんなとき「どうして『素顔』のことを『すっぴん』と呼ぶのだろう。もともと完成しているものを、未完成のものとして扱うのはなぜだろう」と疑問を持った。そこで私は盛大にブレイクスルーをする。
そっか、化粧をするから「化粧する前の顔」と「化粧した後の顔」が生まれ、「すっぴん」という概念が誕生するのだ。それなら、そもそも化粧をしなければ、素顔が「完全無欠なその人の顔」であり「化粧しなくてはならない」という義務は生じない。と、普段から化粧をするせいで化粧をする義務が生まれる構造に気が付いた。
そりゃそうだよと思うかもしれないけれど、個人的に、盛大に腑に落ちた感覚があった。「お金は使わなきゃ稼ぐ必要はない」とか「会社に勤めるから通勤しなきゃいけない」みたいに、日常的に行いすぎていて、因果関係を見失っていることはたくさんある。義務が生じるのは、自分の日常的な選択(もしくは選択しないこと)のせいなのに、結論部分を絶対的なものだと考えてしまっているのだ。(原因→義務:日常的に化粧をする→化粧をしなければならない、お金を使う→お金を稼がなきゃならない、会社に勤める→通勤しなきゃならない、みたいな感じ。)ちょっと大げさに書きますと、私はその結論部分/義務から自由になる決意をしたのである。
それで、こういう種類のものから自由になる方法は知っている。一旦、思い切って全部やめてしまえばいいのである。それで、不都合をより簡単な方法で埋めていくのだ。
そして2年くらい前、思い切って化粧制度を廃止した。そこから驚くほど人生が楽になった。食洗機を買ったときにも感じた「人生の大きなタスクがゴソッと消えた」みたいな解放感と感動があった。
化粧制度を廃止してよかった点
①朝の時間が増える(一般的なお化粧の所要時間は10~15分、朝の10分は夜の2時間に匹敵する)
②化粧を落とすというタスクが消える(あれ本当にめんどくさい)
③肌が荒れなくなる(「化粧を落とし忘れる」という概念もなくなるし、肌が荒れなくなる)
④顔が疲れたり目が痒くなったりしなくなる(ファンデーションとかマスカラは重量感があって顔が疲れる)
⑤お金の節約になる(化粧品は高い)
⑥化粧を落としたら顔が違うという現象が消失する
あとは、基本セットを「化粧しない」に設定したところ、お化粧することが楽しくなったというのもある。
工夫している点
化粧しないとはいってもボサボサな見た目だとモチベーションが下がるので、ある程度見た目に気を使うべき場所では、他人が「化粧をしているな」と思うポイントを押さえて、「ほとんど何もしていないのに化粧してるっぽく見える」を目指す。基本的に眉毛と唇、目の周りのキラキラでいけると思っている。(もともと化粧がはえない顔というか、濃いめな顔であるというのは大きいですが……。)
①肌をきれいに保つ(自炊して多少食事に気を使うこと、皮膚科に定期的に通うことで頑張っている)
②眉毛サロンとまつげパーマに通う(最近は、眉毛サロンは半年に1回まつげパーマは3ヶ月に1回とか)
③リップは塗る(化粧してるっぽく見える)
④化粧してるっぽく見せたいときは、粉とアイシャドウだけする(目の周りがキラキラしていれば、化粧をしているものと錯覚する)
恐ろしいほどのめんどくさがりなので、人生のタスクはどんどん減らしてもっと楽に生きたい。化粧をやめたのは、人生における断捨離のなかでもトップクラスで効果的だったと思っている。(ちなみに、人生における効果的な断捨離ランキング:1位 会社勤めをやめる、2位 化粧制度の廃止、3位 食洗機)