宇多田ヒカルさんに感銘を受けた夜
NHKのMusic Special 、普段テレビを滅多にみない私が、テレビ欄の文字に惹かれてチャンネルをつけた。
ーーー宇多田ヒカル
特別ファンというわけではなかったが、近年の彼女から放たれる凛とした美しさ、強さから、気になる存在になっていた。
番組では一般人からの質問に答える彼女の真剣な、透き通った眼差しが眩しかった。
話している言葉ひとつ一つに無駄がなくて、それ以上の意味があるものに感じる。
勢いで話すのではなく、考えながら生み出すような重みある言葉。
言葉を紡ぐ、まさにそれだ。
覚書
不安や迷いがない人生なんてつまらない
不安な時は、周りにいる人もきっと同じかもしれないと想像してみる
不安があるのは新しいことの挑戦だから
不安な時はチャンスの時
学校のような管理されたところから出る時は、自分で自分の育て方を学ぶ時期
必要な時間
気分を上げるには科学的に対処
運動するのが1番
体が強くなる=気持ちも強くなれると思えるから
不安解消には筋トレ!笑
何かが欠けていることに苦しむ
→この悩み自体が自分に与えられたもの
→この悩みがあって今の自分がある
当たり前に手に入れたものより、欲しかったのに手に入れられなかったものの方が自分を豊かにしてくれる
何かが欠乏している状態の大切さ
思っているような方法で欲しいものは手に入るわけじゃない
全然違う方向から違うルートで、違うタイミングで巡り会えたりするもの
おわりに
彼女から感じていた強さの根源。
それをなんとなく感じ取った。
このままの自分でいい、これが私。
不安や迷いがあるのは生きている証拠。
比べなくていい。
一歩の積み重ねが道となり、歩んだ軌跡が年輪のように太い芯のようになるのかな。
そんなことを考えた。
そしてもうひとつ。
同じ年代なのに、包み込んでくれるような彼女のしっかりと根を張ったような佇まい。
画面越しに観ているだけで人肌の温度を感じられるのは、彼女の自己開示からではないか。
勇気や不安を伴うのが自己開示だと思う。
それをすることで隠し事がなくなり、取り繕う必要もなくなり、生きやすくなる。
その生きやすさが心の軽さとなって、おおらかな心を作り出し、それを観ているこちらは安心感を覚えるのだろう。
そんなことを思いながら、彼女の懐かしいメロディがしばらく耳から離れなかった。
私は自分らしさを出すのが苦手で、つい周りと同じだと振る舞いがちだ。
でもそれは、素の自分ではいられなくなる要因になる。
やがて居心地が悪くなり、自分で自分を苦しめることになるのだ。
残りの半生は、自分に正直にありのままで。
少しずつ自己開示。
大らかな心持ちで生きたい。