
「人それぞれ」って冷たくない?
常々思っていることがあります。
それは、会話の途中で使われる「人それぞれだよね」というフレーズが、会話を終わらせる作用を持つのではないかということです。
ふとした会話の中で、相手と考え方が違うと感じる瞬間は珍しいことではないでしょう。
相手と自分の意見が異なることに気づいた時、相手が自分とは違う考えなのか?と興味が湧きます。
自分の考え方との違いには、過去の経験の違いが影響していたり、もともとの気質性格の違いからくることもあるかもしれません。
考え方の差異を感じたタイミングで、相手から「人それぞれだよね」「いろんな意見があるよね」と言われると悲しい気持ちになります。これらの言葉は、一見多様な考え方を認めているように感じるかもしれませんが、逆に会話を閉じてしまう力があるように思います。
わたしは、この言葉が相手から発せられるたびに「おいおい、これから話が盛り上がっていきそうなのに、終わらせるなよーもっと会話を続けようよ」と言いたくなります。
その違いを深掘りすることで、もっと面白い発見がある気がします。
違っていていい。
どちらが正しいとか競うものでもありません。
批判ではなく、違いを楽しむ会話がしたい。
ただ、単純に「自分と違うあなたの考えを知りたい」それだけなのです。
しかし「知ってどうするの?」と聞かれると、答えに困ります。
視野が広がるかもしれない期待だったり、未来の自分に役立つかもしれないと思うから、でしょうか。
例えば、自分の考えに固執してうまくいかなかったとき、あの日に聞いたあの人の考え方を思い出し、別の道を選ぶヒントになるかもしれない…とそれほど深く考えたことはありませんでしたが、自分と違う考え方を知るメリットはあると思います。
「人それぞれ」でいいと言いながらも、その人なりの「正解」を心の中に持っているでしょう。
自分の正解とは違うけれど(=自分なら選ばない道でも)、あなたがやってみたかったらやってみればいい。そんなどこか突き放すような意味合いを感じます。
それが「人それぞれ」から感じる冷たさなのでは、というのが今のところの私の考えです。
ひょっとしたら、私たちは「違う」ことをいけないことだと思い込んでしまうのではないでしょうか。
「違う」は当たり前であり、「違う」ことにこそ価値があるのだと、頭では理解しているものの、実際に違いが露呈した相手を目の前にすると、自分の考えに蓋をしてうわべだけ「同意」するような返答をしてしまうこともあります。
「違う」のが怖くて、距離を保とうとしてしまうこともあるでしょう。
相手と意見が違うと感じたときに反射的に「人それぞれだよね」と片付けるのではなく、そこから会話を盛り上げられるような、「わたしとあなた」の違いを楽しみながら深堀していくきっかけになるような言葉を探したいと思います。