梅雨前の記録
母の日。
子どもたちと一緒にいる空間がしんどくて、プツンと線が切れた。
突発的に家を飛び出した。
とにかく帰りたくなくて、でももうそろそろいい加減帰らないと、と思えたのは自分でも長丁場だったと感じた20時過ぎだった。
それも、ちゃんと気持ちの切り替えがついたからではなく、「帰らない」の一点張りの私に夫が困り果ててる様子をみて諦めがついたからだった。
子どもたちの喧嘩は日常茶飯事ではあるけれど、私は自分に疲れが溜まってくるとさらりと聞き流すことができなくなることが多い。
喧嘩自体はしょうがない。子どもだ。
意見が食い違えばぶつかることもあるだろう。
私がしんどいと思うの原因は下の子のキレやすい性格、汚い言葉と荒々しい大声が耳に入ってくることだ。
これが毎日毎回積み重なり、本当にしんどい。
なぜ落ち着いて自分の気持ちを伝えられないのか。
それを今から半成人式を迎える年齢の子に言ったところでわかるわけがない。
でも、それが当たり前に出来る子もいる。
なんの違いがあるんだろう。
結局は私の関わり方、育児が悪いってことか。
あぁ、私が聴覚過敏だからかな。
そんなことを堂々巡りでぼんやり考えていた。
私が家に帰るまでにずっこけネタ話は他にもあったけれど、その話は今はとりあえず置いておくとして、その日はいつもより少し遅い時間で寝て、アラームで目が覚めたらいつも通りの朝だった。
やっぱり私が一番早く起きて、ご飯作って、いつも通り子どもたちを送り出した。
母業って挫折と忍耐の連続だ。
ボイコットしても自分に返ってくるし、泣いても1日のスケジュールは変わらない。学校もあるし自分の仕事もある。自分の身支度を済ませたあと、出勤途中にふと思った。
あぁそうか。
無理やりジェットコースターに乗せられてるみたいなんだな。
そんな感じだ。
好んで乗ってないから楽しめないし景色を見る余裕も、爽快感も、何もない。ただただ、疲労感が残り、そしてひたすら次の搭乗のための体力を回復させるのみ。
でも、何度も同じジェットコースターに乗っていると時々体感スピードがゆっくりになっている感じがすることがある。
そんな時はみんなでその感覚や気持ちを共有しているようで、知らず知らずのうちに“今日は楽しかったな”と思ってるんじゃないかな。
アップダウンだけだと思っていたのに、なんとなくコースがわかってくると意外と平坦で緩やかなところもあって、そしてその高台から眺める景色はとても良い景色だと気づいたりする。
力を入れるところ、抜くところ。
踏ん張るところ、楽しむところ。
なんとなくわかってくる。
でもある日突然ジェットコースターはまた新たなコースになってすべてが振り出しになる。けれども、それまでの感覚もあって少しくらいのアップダウンは気にならない。
子育てって、そんな感じなのかもしれない。