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希死念慮のチーズトースト

昨日はひたすら「やる気」を探していた。

引き出しとか、お布団の中とか、お茶碗の下とかいろいろ探したけれど、どこにもなくて。

もういっか、と思った途端、隠れていたやる気は「絶望」に姿を変えて、襲いかかってきた。

絶望の形に姿を変えた「やる気」は、私を殴るし蹴る。痛くて耐えられなかった。死んでしまおうかと思って、窓を開ける。風が冷たい。

死を意識したらふと、仲のいい顔が浮かんできた。久しく連絡をしていなかった友人に、ひとりずつ連絡をする。夜中だ。返事があるわけもない。

虚しくなって乾いた声で笑う。後ろで「ばーか」と聞こえたので振り返ると、両手を広げた絶望は私の首を締め上げ、そのまま意識の底へ連れて行った。




待合室に、ジブリのオルゴールが流れている。
自己判断で通院をやめてしまった、心療内科にいた。

診察券がないこと、保険証はあることを伝えると、栗色の髪をした受付のお姉さんは「ちょっと待ってくださいね」と言って、パソコンに映し出された患者リストから私の名前を探す。

私の名前はなかなか見つからないようで「え〜、ご本人さん?前も来てたんだよね?」と、こちらをチラチラ見ている。

「あの、結構な期間、来ていなくて……」

怒られるかもしれない。急に不安になる。

「えー、患者さんずっと見てるけど、聞いたことない名前かも…」

「10年前、初診で来ました」

私の名前は10年も前から、この心療内科の患者リストに載っている。大学生だったときも、社会人になったときも、結婚したときも、常にお世話になってきた。

母との不仲が原因で情緒が不安定になったことも、上司のパワハラに耐えられなくなって泣き崩れたことも、結婚してようやく心に安寧が訪れたことも、カルテにはきっと書かれているだろう。

それなのに、見つからないらしい。

私の10年間は、どこへ行ってしまったんだろう。あれほど「死にたい」と泣き喚いた記憶も、「生きていたい」と前向きになれた希望も、無かったことになってしまったのだろうか。

「あー、これ?この人かも」と言って差し出されたカルテには、私の名前。令和2年と書いてある。4年も来ていなかったらしい。

「本来ならね、これだけ期間が空いちゃうと、初診扱いで予約が必要なんだけど…。今日は新規の患者さんもいないし、空いてるし、特別ね」

栗色の髪をしたお姉さんは、困り顔で笑ってくれた。トクベツ。申し訳ない気持ちがする特別。


4年ぶりなので、問診票を新しく書く。
ここ1週間で感じたことを書いてください、と。

「やる気がない、絶望、死にたい」が該当しそうな項目にマルをつける。でも「希死念慮」にマルなんか書いちゃって、大変なことになったら嫌だな。囲みかけたマルにバツをつけ、代わりに「生きる価値がない」を囲んだ。

私の先に来ていた2人の女性が、順番に診察室に呼ばれて行く。

どちらも街中ですれ違ったら、決して心療内科に通っているようには見えない、きれいで、落ち着いて、しっかりとした眼差しの女性だった。その眼差しで、いろんなものを見てきたのかもしれない




10代から通い続けている心療内科は、病院っぽくない。しずかなビルの中にひっそりとあって、きちんとしているところが気に入っている。

院長先生はジブリに出てきそうな初老のおじいちゃん。ゆっくり穏やかに、何ひとつ刺激しない声で診察してくれる。

「最近、調子が良くないの?」

そうなんです。なんだか悲しくて。寝る前に涙が溢れて、止まらなくて、泣き疲れて寝てしまいます。

「お仕事は今、何しているの?」

フリーランスになったので、在宅で、インターネットを使ったお仕事をしています。文章を書くお仕事です。

「以前は、英語の先生をしていたね」

ああ、よかった。ちゃんとあった。4年間の空白があった私は、患者として存在しないのではないかと、待合室で待っている間ずっと不安だった。

ちゃんと存在した。私の患者としての存在が。先生の記憶にはないのかもしれない。カルテを指でたどりながら、私がかつてこの診察室にいて、ふかふかな革張りの椅子に座って、両手を握りしめながら話していた「自分のこと」を、ひとつひとつ確かめてくれる。

「ここ最近は、調子が良かったのかな」

何も問題はなかったんです。穏やかに過ごしていました。でも、先週から少しずつ、影みたいなものがこちらを見ているような気がして、ああ、これ、悪くなるやつだ。ここから一気に落ちてしまう。危ないと思って急いで来ました。

「そうですか。前と同じ薬でいいのかな」

院長先生の診察室は、重厚な時間が流れている。いろんな心療内科や精神科に通った。病院らしくアルコールの匂いがして、潔癖にまみれた場所。穏やかな日差しが入る、あたたかくて柔らかな場所。

けれど、ここが最も落ち着くし、清らかな気持ちになれる。

部屋は薄暗く、ホコリっぽいのに。無機質なカレンダーと時代遅れのファックス。あまり使っていないようなノートパソコン。黄ばんだカルテに書かれたボールペンの文字は4年も経つのに、すこしも滲んでいない。

年季を感じる、難しそうな医学書が正しく並んでいる。誇張するわけでも、乱雑なわけでもなく、あるべき場所に、あるべき数だけ置かれている。私の使うことのない言葉が並んでいて、おじいちゃん先生はそれらを、自分の言葉として頭に取り入れるのだろう。

「週末は?仕事なの?」

いいえ、週末は友達に会うようにしています。

「そう。友達に会ってるんだね、良かったね」

おじいちゃん先生はティッシュを取り出すときみたいな、はらり、とした顔で笑った。おじいちゃん先生も「友達」なんて言葉、使うんだ。

それからいくつか質問された。最後におじいちゃん先生は「また来てくださいね。お大事に」と、消えそうな声で言った。

受付でお会計を済ませ、処方箋をもらう。4年間も空白だったこと、申し訳なくて、深く頭を下げた。お大事に、と目を細めて笑ってくれた。

病院のドアは勢いよく閉まる。音が鳴らないようにそっと閉めた私は、やっぱり、空白の患者ではなかったと思えた。




調剤薬局でお薬をもらった。

さっそくお昼の分から飲んでほしいと言われ、いつの間にかお昼を過ぎていることに気づいた。急にお腹が空く。

帰り道のカフェで、オーツミルクラテとチーズトーストを頼んだ。バリスタのお兄さん、感じはいいものの、愛想が全くなくて、不思議な気持ちになる。あたたかいのに、つめたい。

しっかりとした眼差しで、抽出されたエスプレッソを見つめている。

ひょっとすると眼差しがつよい人は、つよすぎるがあまり、どこまでも見えてしまうのかもしれない。その先にある絶望までも。


天気が良いし、太陽の光に包まれたい気持ちになったので、テラス席に座る。ちかちかと揺れる木漏れ日を浴びながら、トーストを小さくちぎって、ゆっくり口に運ぶ。パンは甘くて、チーズはしょっぱい。

お昼時で、サラリーマンや学生が通りを行き交う。

風が心地よい。

きらきらまぶしい木漏れ日をおでこに受け止め、満ち足りた表情でチーズトーストを口いっぱいに頬張る人間が「希死念慮」にマルをつけようとしていたなんて、誰が思うだろう。

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ちいかま
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