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『大丈夫』の言葉で。
私の信頼している人のお話です。
これまでの自分の人生で関わってきたどの人よりも、信頼していて尊敬しています。
その人が、今現在私が働かせてもらっているお店の店長さんなんです。
とってもしっかりしていて、頼りがいがあって、リーダーシップもあって、社交性もあって、とにかくすごい人。
自分とは何もかも正反対。本当に眩しいなぁって思います。爪の垢を煎じて毎日飲みたいくらい。
私はとてもメンタルが弱くて、すぐに自己嫌悪に陥ったり自己肯定感の低さですぐ潰れてしまったりするのですが、店長さんとお話しているとすぐに回復するんです。
学生時代には精神科に数年お世話になったり、スクールカウンセラーとお話する機会もそれなりにあった私ですが、そういった時は基本的に相談前よりも相談後の方がメンタルやられてしまったり、消えてしまいたくなっていました。
なのに、店長さんに関してはそんなこと一度も無くて。
その手の専門家でもなんでもないのに、すごいですよね。どうしてなんだろう。
ずっと前から専属のメンタルコーチだったような気すらします。
それくらい私の扱い?接し方?が慣れているというか、求めている言葉をくれるというか。
何度も何度も、その人が言ってくれる『大丈夫!』に救われてきました。
どれだけぼろぼろになっても、全てを投げ出したいくらいの気持ちになっても。
私は捻くれているので、もし他の人だったら「大丈夫なんかじゃない!確信無いくせに無責任なこと言わないで!」なんて思ってしまいます。
でも店長さんが言ってくれる『大丈夫』は、本当に大丈夫になる気がして頑張れるんです。
どんな状況でもまっすぐ私の心に入ってきて、すーっと軽い気持ちになれます。
たまにぐさっとくる言葉もあったりするけれど傷つくことはなくて、自分の中にちゃんと入ってくるんです。
なんだろう、そこなのかもしれない。
変に気遣われることがなくて、思ったことや言いたいことをちゃんと伝えてくれるから。
精神科の先生やスクールカウンセラーの先生って、正直あまり好きではないんです。
気を遣われている感じがすごくしたり、言葉を一言一言しっかり慎重に選びながら、私の機嫌を伺いながら話されている気がして。
なんだろう、大げさな例えをするなら『精神異常者』として接されている感じがするんです。
頑張って分かってあげよう。理解してあげよう。
この言葉を求めてるんでしょ?言ってあげる。
大丈夫。私を信じて。
貴方をわかってあげられるのは私だよ。
紡がれる言葉の裏に、こういったものを感じて警戒してしまいます。
分かってあげようという気持ちで、分かってもらいたくなんかないんです。
理解しようと思って、理解したふりなんかされたくないんです。
大丈夫なんて言われても、私は大丈夫なんかじゃないんです。
信じてなんて言われても 同じような言葉ばかりかけてくる人なんて、機嫌を伺いながら分析されながらその人向けの言葉をかけてくる人なんて、信じられないんです。
内緒事言ったって、全て共有されるし。
それなのに、何でも話してねと言われても話す気にすらなれないですよね。
全て否定してしまいたくなります。
でもそういった人たちが悪いわけでは無くて、ただマニュアルに従った言葉をかけられたくないだけなんです。
結局普通の人達には、理解なんて出来ないんだから。
心の闇が〜とか言ってネガティブ自慢をしたいわけではないんですよ。
なんていうんだろう、難しい。
自傷した事が無い人には、切りたくなる気持ちも分からないですよね。
そういう事です。
そのお話は次のnoteで。