歴史って結局、切り取られた過去の一部。その意味は私たちがどう捉えるか、それ次第。
長崎2日目。今日は昨日書いた通り、永井博士の記念館に行ってきました。
白血病で亡くなった方だということは覚えていたけど、被曝した理由が、放射線科のお医者さんで戦時中、フィルムが足りなくて直接結果を見ていたことが原因だったみたい。
命がけで働いていたのに、余命3年と宣告されたあとに長崎に原爆が落ちて、奥さんを亡くされて、ご自身も体が悪くなり病床へ。
小学6年生の私は、如己堂の小ささに、貧しかったんだな...て勝手に想像して、辛い気持ちになった記憶があった。大間違い。
でも、大人になった今なら、永井博士は体が動かないとしても頭を使えばお金が稼げることを子どもたちに最後まで見せ続けた。そして、稼いだお金は人のために使うよう、見せていたんだということが今日わかった。
6年生までにそういう常識を知っていても良い気がするんだけどな。私って何も考えてなかったんだな。
言葉の力、特に経験した人の言葉の力はすごいね。そして発信し続けることで、人の心は動かせる。
でも一番大きかったのはきっと、永井博士が人を愛し、giveの精神が強い誠実な人だったからだと思う。
ヘレンケラーからの手紙なんかもあって、本当に世界中から支持された人なんだなと。
娘さんが「大切な人に自分の一番大切なものをあげなさい」とお父さんから教えられたと話されていて、なんて素敵な教えなんだろう、と感動!
そのあとは出島へ。
2018年にオランダに行ったんだけど、オランダと長崎の繋がりをいろいろ知って、無意識レベルで長崎とオランダのつながりを意識してたのかな?とか思ってしまった!
路面電車もオランダにあったけど、こんな共通点もあったか!と今日になって初めて気づく。
実際にみた絵画に描かれている器と同じものが長崎出島の跡地でも発掘されていたり、オランダに行ってなければそこまで意識しなかっただろうなっていうこともいくつかあった。
点と点がつながるってこういうことだね。こうやって私たちは理解を深め世界を構築していく。
そして、何かしら過去のものを寄せ集めて、分類していくと、それは誰かに伝えていけるような知識の集合体になるんだな、とも思った。
ミュージアムとかってとても畏れ多い大それたものだというイメージしか持っていなかったけど、たしかにそこに置かれているものは全てとても価値があるし、私たちが何かしら学べきことがたくさんあるのだけど、特に長崎出島の土から出てきた瓶とかお皿の破片が、とてつもない壮大なロマンを抱えている、というのが、例えばインスタで一部だけ切り取られ、加工されたキラキラした写真と変わらないのかな?と。
本当は日常の一部で、そんなシーンはほとんどの人にいくらでもあって、今当たり前のこと。
例えばスマホを今海に投げ捨ててそれが300年後に発見されて、こんなデバイスをあの時使っていた人がいたんだね。今は何も持たなくても、みんなチップ埋め込んで番号で管理されてるからそれでいいのにね。とか言われるのかな?って。
過去のある一部を、資料をもとにああでもない、こうでもない、いやこうじゃないか?って話しながらこうだろう!と断定していくまでのプロセスとそのストーリーをまとめている歴史学者の皆様がいなければ、私たちは過去から学ぶことすらせず、今をただただもがくことになるのだろうけれど。
特別に見えることは案外、自分の日常にも転がっていて、あとは私たちがそれをどんなストーリーに仕立てるか。逆に、そのストーリーの演出の仕方で、ハッピーエンドにもバッドエンドにも仕上げられてしまうということなのかもしれない。