私流、自分との向き合い方。
自分と向き合う、ということを、ノートに気持ちを書き出していくジャーナリングという手法で、ここ2、3年続けている。
自分の生きている今の気持ちを、ただ、延々と綴る。
頭の整理にもなるし、モヤモヤと抱えていた感情の内訳に気付けたり、良いことづくしのような気持ちでいて。
時々、考えすぎに拍車がかかって、自己否定を始めることもあるから、さあ大変。
かつての私はこんな感じだった。
最近は、振り返りながら、そんな時期もあったと思えるようになれたからこそ、書いておいてよかったと思う。
今は、自己否定や自分を善悪で判断する気持ちがだいぶ減ってきている。
そういう感覚がある。
自分と向き合って、やりたいことって何なのか、むしろ、やりたくないことって何なのか。
何が嬉しくて何がいやか、ずっとそのモヤモヤとした輪郭のない想いに目を擦っていたからこそ。
ジャーナリングで文字を書き連ねながら、その内訳に気づき始めると、心が軽くなっていくような心地がする。
私はこんなことを思ってたんだな、と明確に言葉にして説明することができるから。
感情、事実、想像、仮定、さまざまな思惑が脳裏をうごめき。
自分が本来どう思っているのか、どう思いたいのか。実際何が起きているのか。起きていることに対して誰のどの妄信や空想が現実をぼかしているのか。
仮にこれから何が起こるだろうか、など。
ひとつひとつを分解しないと、自分の当初の気持ちの部分まで明らかにできない自分がいて。
その憶測に紛らわされず、シンプルに自分の想いを綴ってごらんと、自分を促さないと、ノートにさえ、シンプルな自分の想いを書くことができない。
落ち着いて、穏やかになったタイミングで、書いたノートの文面を振り返って気付く。
考える方向性を変えて、もっとシンプルにしていけば、楽に思考も進むだろうなぁ、と。
考えすぎる思考は必ず自己否定や批判がセットでついてくる。
それは、痛いでしょ、心が。
そんなに自分に負荷かけなくてもいいよ。
だって、欠点なんて誰にしもあるもので。
そんな大なり小なりあるものを、コテンパンに干さなくたって、いいよ。
そんなこと、親友にしないでしょ。
私は一生あなたの親友としてそばにいるんだから。
そうやって自分に声をかけながら、文章にして書きながら。
ジャーナリングで書き綴るノートの中にツッコミを入れていく。
そして、アファメーションの要素を取り入れながら。
大丈夫だよ、と声をかけていく。
私は頑張ってるよ、安心して良いよ、全てうまくいってるからね、と。
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私の場合、自分を知る上で、否定も批判も必要ない。
自分と向き合うというのは、鼓舞したり、励ましたり、慰めたり、癒やしたりしつつ、自分を知ることだ。
今の自分を知って理解してあげること。
何を私が欲しているのか。
今は励まして、あとで慰めて、今は喜んで、あとで鼓舞して、今は泣いて、あとで癒やして。
そんなことの繰り返しを、ノートと向き合いながらしている。
それが、私流、自分との向き合い方で。
自分自身を知る行為であり、自分との相互理解の仕方。
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ちなみに、今私が欲しているのは、自分と一緒にいて、安心感を得ること。
不安じゃなく、心配でもなく、私だから大丈夫だよ、と、背中を押して、癒やしてあげること。
私自身が、私にとっての親友として、私自身を大事にすること。
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あなたの場合。
自分との向き合い方で、何をお求めでしょうか。