嫌いな人はいますか? それはどんな人ですか? それはなぜ嫌いなんですか? 嫌いな人 それは人生に付きまとうように出現する 嫌いだけどなぜかご縁がきれない人と言っていい というか、 その人が嫌いというより その人の行動や発言や、その人との関係性が嫌いなのだ 嫌いだけどご縁がきれない人との関係性 この関係性が変わり嫌いではなくなった人が過去には何人もいる 以前嫌いだった人は今の好きな人に変わっている 例えば 正義感が強く正しさを押し付ける マウントをとるような事を言って
前回書いたようにフリーランスになったから フリーランスの友人が増えたのだ パートの世界しかない時はまわりはパートからフルタイムに切り替えるか悩むという話でもちきりの友人の中にいた 従って 自分の確認は自分の周りを見ればいい わかりやすい世界の仕組みだと思う これからの働き方を見出したい時 本心からの理想を見出して そのモデルを探し その世界に入り込む 自分がそうなるのが早いか、 モデルケースに自分の世界を近づけるのが早いか それとも同時進行していくのか 自分なりの成功
フリーランスの友人が圧倒的に増えてきた ほんの2年前ほどはパートや、フルタイムの内勤の友人がほとんどで フリーランスという呼び方すら 縁がなく お金を得るという行為はパート、派遣、フルタイムの3択しかないという思い込みがあった わたしの場合 人生を変えたくて仕事を思い切ってやめて心機一転 個人事業主に舵をきった というわけではなく のらりくらりパートを続けながら 個人事業者登録をし、いわゆるフリーランスという形になっている 最近の課題はフリーランスとしての働き方のわたし
成功体験をする あの人は成功している ビジネスの成功の仕方 "成功"とは何か 一に、人によって成功が何なのか違うということ 二に、自分の成功がなんなのか知っている事 それがもはや成功なのだと思う "成功体験をたくさんして子供たちに自信をつけさせてあげましょう" これは昔読んだ育児本や、幼稚園の先生が言っていた言葉だ "成功体験"とは? できた!を繰り返す事 それはそれで良い! しかし、それでは個の成功の概念は 大衆の成功の概念に一致してしまう それは果たして、、、
才能を伸ばしてあげて って何度も言われてきた言葉だ わたしには3人の子供がいて 3人ともピアノと空手と工作や絵が好きな子供だった "お母さん才能を伸ばしてあげてください" これは幾度となく言われてきた言葉で それだけ 突飛したものが彼らにはあったという事だ しかしながら、 才能を伸ばすという事は 一石一丁ではいかない 才能を伸ばし続けようとついやした13年間の 母としてのわたしを認めたくなるほど わたしは子供の才能を伸ばし続けた 才能を伸ばすとは? わたしなりの才能
暗い話になってしまったように思うので、 話を今のわたしからの視点に切り替える ここまできて 環境による影響は大きい 気付かないうちに積み上げられた 思い込みも大きい 間違いたくないのは 環境のせいにしてこんなんだったなぁと思いたくないし、別に悪くない人生だと思っている 環境は変えられる どこで変えるか どういう風に変えるかただそれだけだと 思う 母がわたしに対して不器用な接し方でも わたしは子育てに向き合うという選択ができる環境を選んで 今にいたる 結論からいうと 保
誰とも付き合う気もなく 結婚に対する嫌悪感があるわたしは 20歳の記念に タトゥーを入れるという強行にでた 外国人留学生がたくさんいる大学で見慣れていたので 対しても珍しくもなかったけど おバカなわたしは タトゥーを入れる事で強くなれると 勘違いしていた 一人で生きて行こうと決めたなんとも恥ずかしい わたしの決意の象徴のタトゥー わたしらしいと思う その矢先 今の旦那が高校を卒業してバイト先に入ってきて 18歳であった旦那を好きになってしまい 一人で生きていくという決意は
母はそんな環境から高校生の時に父に出会い 子供を一人か二人流産している 母は父がいないと生きていけない 好きで好きでたまらないという夫婦だった それが強依存であると知ったのは わたしが結婚してから 強依存 母は父にどれだけ罵倒されても父の見方をし、 父に見捨てられないように生きていた わたしはそれが普通だと思い込んでいたから 夫婦は嫌い 結婚したくない 男怖い が深層心理として常にあった 女はダメな生き物 働かないやつはゴミだ という思い込みもこの時すでにあった 環境での
おばあちゃんが3人いるのは当たり前だと思っていた おじいちゃんは、わたしが生まれる前に2人他界していたので1人しか知らない お母さんについて話そう と言っても母の事はあまり知らない 母は8人兄妹のしたから2番目で 兄妹が多いため 子供がいない家庭に小学生の時に養子にもらわれている 養子先では甘やかされて育てられたように聞いている これは推測だが 母は母への甘え方を知らない 故に子供への接し方がわからない 子供への愛情はあったと思うが 遊んだ記憶が全くない わたしの記憶は
わたしを嫌いなわたしとの共存生活も なかなか上手くなり 中、高生時代はひたすら笑って過ごしていたし 大学はそれなりにホームステイしたり 居酒屋でバイトしたり なんて事ない ただの能天気で楽天的な 周りからは順調そうだねと言われるような 生活をし 26歳で結婚するにいたる 共存関係を結ぶには 大成功と言っていいくらい わたしは わたしを嫌いなわたしを上手く隠し 出てきていいよという時は大概 夜一人でいる時のみだった 大成功と言ったが、 果たして大成功だったのか? 違和感が今
わたしがわたしを嫌いになったきっかけは 前回示した内容の積み重ねで おおよそ合っているだろう 環境が人を作る とはよく言った言葉で 環境は わたしを嫌いなわたしを作ったのかもしれない これはネガティブな話ではなく 単純にそれだけだったという事が言いたい わたしの父はとても家族思いでとても繊細で すごく頑張って仕事をして 自分のキャパをしらない男だった だからか、キャパオーバーをたびたびし 自律神経失調症になっていた 彼は、本来コーヒーを豆から引き カメラをいじり、ネガを
はじめまして わたしは チコになりわたしがわたしを好きになる物語をただ書き綴りたいとおもい noteをひらいた わたしはわたしが嫌いなわたしがたまに顔を出す いつかそのわたしが 可愛いなと思えるようになるまで わたしはわたしが嫌いなわたしと伴走し、 時には向き合わなければならない 昔の幼い頃の記憶のわたしは わたしが好きだった では、何故、いつから嫌いな私が生まれたのかを遡ると、同級生の一言だったかもしれないし 幼少期の何気ない父の一言だったのかもしれない わたしは特に