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祖父母から親へ、親から子供へ受け継がれる文化的資本についての感想。

 現在私は大学のゼミで「資本主義の歴史」(著:ユンゲル・コッカ) を読んでいます。これから言いたいことと、この本に書かれてる文化的資本の文脈的な意味はズレがありますが、徒然なるままに、最後までご覧いただけると幸いです。

 そもそも文化的資本とはなんなのでしょう。wikipediaによれば「金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。」と定義づけされています。米国では金銭的な資本に加え、文化的資本が社会的地位を向上させる要因となったと言われています。俗にいうWASPというものもこれに内包されているのかもしれません。文化的資本の具体的な具体れでは、話し言葉や立ち振る舞い、姿勢、教養などがあげられます。子供というのは多くの場合、親の言葉で脳のなかに言語分野を作り、母語を習得します。また、立ち振る舞い(他人に対する接し方や、お金の使い方、s食事の仕方)も普通の家庭であれば親と接する機会が多いためこれも親から子へと遺伝するものであると考えます。 

 私個人において親から文化的資本を受け継いだことの例としては、お金に対して倹約的であること、その反面必要と思った資本に対しては惜しまず支出することがプラスの面で役に立っているのではないかとおもうのです。(時給が低いカフェのバイトをしていますが、そこそこ貯蓄できているのはこのせいかもしれません。)逆にマイナス面で言えば、部屋の片付けが極端に不得手なことがあります。”片付け術”や”断捨離”というキーワードがついた書籍を何冊か読んでみて実践をしてみているのですが、片付くのは自分の部屋だけで、僕の部屋以外が散らかっていますので、すぐに心理的にも物理的にも元の状態に戻ってしまって嘆いています。私は、親戚にも恵まれており、ひいじいちゃんは私が高校生の時まで存命でひいばあちゃんは健在です。彼らから学んだこともたくさんございます。それはやはり言葉遣いです。「呼ばれる」(食事をいただく)という単語を古典単語として覚えている方はいらっしゃると思いますが、私は古典単語を学ぶまで日常会話で使用していました。中学生の時に友人に伝わらず、普通は使われない単語であることを学びました。

 上記を書いてから数週間経ちましたが、友人がSNSで紹介していたマイケル・サンドル著の『運も実力のうち』がヒントになるのではないかと思い、積読を片付け次第、読んでまたここに戻ってくるとしよう。

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