変形性股関節症と付き合う
仕事も遊びもたぶん一生分やってしまったのかもしれない?っと思うくらい、45歳までは人の何倍も元気で動けていました。
発症は確か44歳?・・・2011年1月~そのあたりから何となく違和感が・・・2011年の5月頃、寝る前に飲んでください!っと処方されたボルタレンを飲んでうっかり車の運転をしてしまい・・・眠気で危うく事故りそうになったことを覚えています。その後も「何となく痛いなあ~」って思いながらもロキソニンなどの痛み止めを飲んでごまかしていました。
まさか自分がこんな体になろうとは、その時は全く思っていなくて・・・
私は子供の頃から比較的病気とは縁がなく有難いことに体が丈夫でした。逆に風邪薬を飲むと調子が悪くなり、自然に薬を避けるようになっていた気がします。
中3の高校入試の時期、シーンとした試験中の教室で何故か「鼻血でも出ているのか?」と思うような勢いで透明の液体がスタスタ止まらず、呼吸のタイミングでズズッ~っと音を立てないと答案用紙がビシャビシャになってしまうような危機感と恥ずかしさと申し訳なさが混じったイヤな思いをしていました。
今なら「花粉症」という名前がついていて「大変やね~」って理解ある言葉をもらえたりもするかもですが・・・その当時そんな言葉は存在せず、病院に行っても原因不明で、何だかワカラナイ薬をもらっては飲んでみても効き目は感じず、市販の薬には抵抗があった私ですが・・・仕方なくいくつか試してある薬にたどり着きました。
「〇〇○○○○○○」名前は伏せますがとても効きました!
鼻水はピタッと止まり試験も静かに受けることが出来ました。
しかしその副作用として声がかすれて・・・2週間ほど普通の声でしゃべれなくなりました。その時はその程度の副作用で助かりましたが、それ以降薬を飲む度に動悸や湿疹などが出てまた薬を避けるようになりました。
幸い、身体が丈夫だったので病気らしい病気は記憶がなく薬のお世話になることは少なくて、仮にお腹が痛くなっても一晩寝れば治りました。
また、生涯一度も骨折がなく骨も頑丈で、高校生の頃だったか?
コンクリートにおもいっきり向こうずねをぶつけた時は流石に折れたかと思いましたが・・・皮膚がめくれて骨が見えているにも関わらずヒビすら入ってなく、30年以上たった今でもすねを触ると凹んでいるのがわかるのですが・・・(笑)どんだけ頑丈な骨なんやろ!と感心するしかありません。
45歳で変形性股関節症とわかり、人工股関節置換手術を一度は決心したのですが、その頑丈な骨と薬など外部からの物質を受け付けない自己免疫力が異常に強い体質が怖くて、結局手術はキャンセルしました。
金属アレルギーも心配だったし、年齢も48歳からの人工関節の寿命を考えると再手術は避けられないと言われ、悩んだ末に「このまま自分の足で歩けなくなるまでは頑張る!」と決めました。
現在、2020年です。あと何年歩けるのか?不安ですが60歳過ぎるまでは自分のこの痛い足で歩き続けたい!出来ればゴルフもしたい!と思っています。
しかし、悪い事ばかりではありませんでした。そのおかげで良かったことも沢山ありました。もしも足が痛くならなければ、自分の天職だと思っていたキャディさん以外の仕事をすることは絶対になかったし新しい出会いも無かったと思います。色んな経験を積めたことは辛い事もありましたが、結局全部役に立ちました。なので今はこの痛い足に感謝するばかりです。
「禍を転じて福と為す」(わざわいてんじてふくとなす)
「雨降って地固まる」
「人生塞翁が馬」
「結果オーライ」
何が良くて、何が悪いのかは後からしかわからないなあ~って思います。
最終的な結果は命が尽きるその瞬間にしかワカラナイのでしょうが・・・
現時点で出来ることは、「目の前のことを精一杯頑張るしかない!」
それだけは確かなことです。
結局、「失くして初めて気づく有難さ」
今も気づいてない有難いことがいっぱいあるのだろう
どれだけ気づけるか?
その度に素直に感謝しようと思います。
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