イベントを終えて
わたしがメインゲストではないのにこんなタイトルでこんな日記を…とは思うのだけど、書いておきたい。
とにかくタイトルが強烈だった。だけど、そのタイトルでしか成立しないよなあとも思った。やるって決めたんだから、そのあたりを中途半端ににごすなんて選択はないし。
このタイトルを見て、人はどんなふうなイベントを想像をしたのかな、と想像する。それぞれの死生観をカタルシスにおわせて語り明かす…とか。人生を物語的にパッケージしてじっくり語る…とか。少しいじわるに、そんなふうに想像した人もやっぱりいるのかな。
もちろんそんなチンケなところには収まりませんでしたけれども。
本音を言うと、イベントの告知をしながらうまくイベントのことを伝えられるとは思えなかった。だけど、身勝手ながら、ほんの少しでいいから想像してほしいと思っていた。
まだあると思っていたじぶんの人生が、あんまりないと知ること。
明確に、とても明確に死が迫っていることを突然つきつけられること。
その人に大切に想う親がいること。家族がいること。
その人を愛してやまない家族や友人たちがいること。
やりたいことがまだまだたっくさんあること。
それができなくなっていくこと。
イベントのタイトルや、個人の属性で「あ〜、そういう感じ」なんてかんたんに判断したり思い込んでほしくないって思っていた。でもどんなふうに思われても仕方がなかったりすることも知っています。
(あ、わたしなんかの文章で誤解を招くといけないので書いておくと、そうしたことがありながら、岡田さんが以前と変わらない情熱でもって出版業にいそしんでいる、ということを知ってほしいな、とわたしが思っているだけです。岡田さんはそれをじぶんから発信して「知ってほしい」なんて思っていない)
そんなイベント前のもやもやとした不安をよそに、とてもいいトーク・イベントになったと思う。いち参加者として、このイベント開催のキッカケを作った諏訪さんの「あえて開催」の「あえて」の部分、戸惑いや思いを聞けたこともよかった。そう、誰ひとりとして、人前でこうして話すことがいいのかどうかわからなかった。きっと荻田さんも。岡田さん本人としては、きちんと話せるのかどうかの不安も大きかったと思う。
だけどイベントを終えて「開催してよかった」という思いで胸がいっぱい。あ、いや、わたし主催者でもなんでもないのですが笑。
個人的なことで言えば、そうそうたるメンツが集まり、誰もが本気で喋り、打ち上げでもやーやー喋り、帰りのドライブできれいな月を眺めながら喋り……ぜんぶがすごいたのしかった。
そう、たのしくってずっと喋っていた。岡田さんもたのしかったみたい ←おまけみたいな書き方になってしまった笑。かくかくしかじか、じぶんの声が枯れていたので、カスッカスな話し声がちょっと恥ずかしい。大川さんの愛読書が長倉洋海さん撮影のマスードの写真集で胸あつ。
*
脊髄反射的に「斜に構える」が染み付いている世代だったり、自意識が過剰気味だからなのかどうなのかは定かではないけれど(わはは)、誰ひとりとして、わかりやすいことばに落とし込んでその日のイベントを「泣ける話」や「深イイ話」にまとめることはなかったし、ネガ・ポジな視座で話すこともなかった。ただ、ありのままに話した。そんだけ。
イベント後の荻田さんのあたたかなホストっぷりに至極感激。関係者のみなさま、心地よい場を共有いただき、ありがとうございました。思い出深い一夜になりました。
ご参加くださった方々にもお礼が言いたい。イベントの企画側って、人が参加してくれるかどうかっていうのは、すごく大きな不安要素でもあって。参加者あって成立する場でもありました。ありがとうございました。
あ、ひつこいけど、わたしはただのいち参加者です笑。いやもうなんだか気持ちがかなり入ったイベントだったので企画側みたいな書き方になってしまう(図々しくてすみません)。
アーカイブ視聴も可能なので、気になりつつも参加には至らなかった…なんて方もまだまだぜひぜひ。前半の出版にまつわる話もおもしろいです◎「孤独」と「単独」にまつわる話はわたし唸りましたよ。
※ じぶんが話した内容の訂正 ※
『旅をひとさじ』の元となる企画書を作成したのは2018年春と話したけれど、2019年春でした。
冒険クロストーク Vol.9 『岡田林太郎「独立」と「癌」』
開始前に「帰りたい…帰りたい…」とぼやく緊張がピークの岡田さん
たのしい宴
帰り道、知らぬ間に毛糸玉を転がしていたわたし
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