普段見ていることって 実はあんまり見ていないことも多い 携帯の写真に撮るのが当たり前で、 その携帯に写っていることは 目の前で見ていたことが写っているように 錯覚しがちだけれど 以外とレンズによって だいぶ違う印象になっていたり、 そのまんま記録されていることなんて なかなかない 一昔前は写真で顔を切るなんて 考えもしなかったけれど 今は顔を切って 首から下をアップする写真なんて ごく普通になっている 現在は 特にコロナから 写真や動画の共有で 見た、聞いた、 体感した
人というものは とても弱く とても強い でも思っているほど 強くなくて 思っているほど 弱くない 見ているようで 見ていないし、 見ていないようで 見ている 人生の折り返し、 なぜ人はこんなに長生きするのだろうと 祖母くらい長生きしたいと考えていた幼い頃とは また違う現実の老いというものの実態を 目の当たりにすると 幻滅する しかし、 世の中には 家族以外にも勿論 たくさんの 自分より人生の先輩や 時に 自分より後輩という名の 若い先輩により はっとさせられることも多く
3、4年前に、タイに2ヶ月滞在していた時に、 この場所でなにか、なにかを掴みたい、得たいと思い、 マーケットに行き、写真や動画を撮ってみた。 でもそこに映るものは、 見ていた景色のその時の感じるものとは異なっていて 残念に思ったことがあった。 なので、帰ってから、その写真をもとにスケッチ(ドローイング)をはじめた。 見ているものを、その時を完全に残すことはできないのはわかっているはずなのに、 携帯で実際のものよりも残すことに執着する。 でも本当はその向き合っている中に見
noteをはじめました。 過ぎ行く日々のほんのすこしのその時々を重ねて そこにあったリアルなことを はっとしたことを 大切だったり そうでもなかったり そんな独り言を ぽつぽつと 始めてみようと思います。 今日で7月も終わり。 7月ありがとう。 もう少しで8月こんにちは。