全体か、部分か。
夫婦そろってテレワークの日は、朝一緒にお散歩することがある。
少し前に二人でお散歩していたら、夫が「危ない!止めて!」と言った。
(夫は自転車を押していて、両手がふさがっていた)
視線の先には、空のベビーカー。
え?と思ってよく見ると、ゆるい傾斜の坂道でじわじわとベビーカーが下っている。
走ってキャッチ。気持ちは若林くん。(古い)
とりあえず事なきを得た。
ベビーカーに背を向けてチャイルドシートに座った赤ちゃんのお世話をしていたお母さんが、慌てて駆け寄ってきた。
「すみませんすみません」
「いえいえ」
「どうもどうも」
「ではでは」
なぜ人は慌てると同じ単語を繰り返したくなるのかわからないけど、小さな徳を積んで夫とのお散歩に戻った。
「ベビーカー、動いてるのよく気づいたね」と夫に言うと怪訝な顔をしている。
わたしは、ベビーカーを認めてから動いていることに気が付くまで、体感3秒くらいのラグがあった。
ベビーカー自体に焦点が合い、周りの景色が目に入っていなかったから、動いていると気づけなかったのだ。
夫はわたしの発言にとても驚き、長年の疑問が解決した、と言った。
「だから、遠くから来る車が、自分が道を渡るタイミングで到達しているかどうかがわからないの?」
あ、そうです
「だから、荷物はいろんなところに置くのに、埃は気になるの?」
あ、そですね
「だから、散らばっている本は気にしないのに、本棚には順番に並べたがるの?」
ソデスネ…
「だから…」
もうやめてーーーー!
夫は全体を見る人で、わたしは部分を見る人。
夫はわたしが髪を切っても気づかないし
(いつぞやか、今日は仕事終わりに美容院に行くよと言って出掛けたが、仕事が忙しくて美容院に行けずそのまま帰ってきたのに「髪の毛めっちゃ良くなったね!」と褒めてくれた。ありがとう、でも一ミリも変わってない)
メイクを変えたくらいでは絶対に気づかない。
(4歳の娘は「まま今日おめめピンクだ!かわいい!」とか言ってくれる)
まず最初に視点がどこにいくか、それが大きく異なるらしい。
夫は、「焦点を何かに合わせるというよりはぼんやりとしたひとつの景色として見る」
わたしは、「そのものに焦点を合わせて、それ自体を凝視する」
部分も全体もどちらも見られた方がいいに決まってるけど、わたしは部分が得意らしい。
仕事をしているときも、わたしは細部にまず目がいく。
全体をとらえるより先に、表現や手法がどちらかというと気になるし、改善したくなるのもそっち。
目的や本質、それによって到達する先は、意識しないと目がいかない。
だから、ひとつに焦点を合わせても、そのあと引きで見ることを意識するようになってから、「作業」が「仕事」になった。
全体か、部分か。
あなたはどっち派?
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
すてきな一日を。
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