noteを書く理由は。
言語化能力を高めたい。
わたしの好きな人はみんな言語化能力が高いから。
ともすればなかったことになってしまう繊細な感情を、適確に言葉にするあの人に嫉妬する。
自分と価値観が合うわけでもないあの人が怒っている理由を、理路整然と解説してくれるその人に尊敬の念を抱く。
どっちでもええやんオブザイヤーがあったら、ダントツで大賞を受賞しそうなどっちでもいいことを、まるで国家予算の申請かのようにプレゼンする彼に憧れる。
でも何で言語化能力を高めたいんだろう?
言語化能力を高めたい。
そう思って、コーチに相談してみたけど、「言語化能力を高めたい」っていうのは本丸じゃないことがわかった。
(コーチングがすごいっていう話はまたいつか)
もちろん文章を書くのが上手になりたいし、あの人やその人や、嫉妬してしまうくらいだいすきな書き手は、そこここにいるけれど。
でも、たぶん、わたしはわたしの言葉がすごく好きなんだな、ということに気が付いた。
シンプルにたぶんそれ。
稚拙でもなんでもよくて、ただわたしはわたしの言葉が好きらしい。
思えば、自分で書いた文章を何度も読み返している。
その割に、数も量も書いてなくて、うすぼんやりと「言語化能力を高めたい」と表面で思っていた。
目指すのは、自己中なリンカーンみたいな物書き
だからこのnoteに書く記事は、わたしのわたしによるわたしのための記事。
自分が読みたいから書く。
もちろん上手になりたいから、それについては量をこなして、学んで、成長を期待して。
読んでくださる方がいらっしゃればとっても嬉しいけど、一番の読者のわたしを大事に書きたいと思います。
え?じゃあ日記でいいやん、世界に公開すなよ、と思われたあなた。
同意。
わたしも9割9分9厘そう思います。ホント心の底から。
実は、日記も振り返りも、自分のために書きなぐってるんですけど、世界に公開することもしたくなっちゃったんですよね。
見守ってくれる人がいたら、嬉しいから。
見てもらえる(可能性がある)方が、レベルが上がるんじゃないかと。
なので、今は自分のためのnoteが、これから誰かのためのnoteになっていくのか、はたまたならないのか、それは神のみぞ知る、ということで。
いや、神も知らんかもしれんし、神からしてもどっちでもええやんオブザイヤー大賞受賞かもしれん。
最後までお付き合いくださりありがとうございました。
すてきな一日を。