見出し画像

辛かったアレコレの記憶を編纂する

湿疹との長い付き合いに終止符を打つ

季節の変わり目に湿疹がでる。
春から夏、夏から秋、秋から冬、そして冬から春。
年に4回、季節が移るたびに、約2週間痒みと痛みで夜中に起き、保冷剤で冷やしたりリンデロンを塗りたくる日が続く。
この秋も蚊に刺されたようなぷっくりした湿疹が、両足の内側にびっしりできた。痒い。筆舌に尽くしがたく痒い。

子どもの頃、ひどいアトピーだったのでその影響だと長年思っていた。
どうにかなるもんじゃないし、と諦めていたけど、どうやら違うらしい。

4年前から鍼治療に通っている。
産後の不調がなかなか回復しなくて通い出したのだけど、鍼治療が合うのか、いろんな不調が解消されている。
慢性的な疲労感、肩こりや胃腸の不調も。

この湿疹もどうにかならないかと鍼の先生に相談してみたら、どうやら幼少期のアトピーはそんなに関係がなくて、体の熱をうまく調整できていないことが原因らしい。
夏の間は汗をかいて熱を放出するけれど、気温が下がって汗をかかなくなり、熱が体の中にこもってそれが湿疹となって爆発する。
そしてわたしの体はその調整が下手らしい。

たった一本の鍼を背中に打ってもらって、この秋の湿疹は収束した。

湿疹が収束したらしたで、なんか寂しい

季節の変わり目の湿疹がでるたびに、子どもの頃のアトピーを思い出していた。
鍼によって湿疹が出なくなり、思い出すことが少なくなっていくと思うと、さみしい。
覚えているうちに、いくつか思い出を残しておこう。
湿疹の思い出が、痒くて辛かった、とかじゃないのが不思議だ。


妹のツッコミ

中学生くらいの頃。
朝早くに家の隣の公園のお掃除をしてくれている人がいた。熊手でガサガサと葉っぱを集めている音が聞こえている。
二段ベッドの下で眠っていた妹が、朝の挨拶もそこそこに「朝からお姉ちゃんすごい掻きむしってるなーと思ってたら、熊手だったんかい」と、ツッコミを入れてきた。
なぜこちらがつっこまれているのかわからない。何もボケてない。


父と治療へ

近所の皮膚科では手に追えず、離れたところにある病院にお父さんが何度も連れて行ってくれた。時間をかけてようやくたどり着き、大病院よろしく大変長く待たされる。
診察が始まったら始まったで、お灸は熱いし怖い。
それでもなかなか改善せず、とうとう海水に浸かれと言われ、サーファー顔負けの頻度で鎌倉の海に通い詰めた。
病院が怪しげな民間療法提案してくなよ。

唯一嬉しかったのは平日ほとんどいない父と2人きりでいられることだった。長い待ち時間、何とか楽しませてくれようとしていた。

父のお財布に、シールが貼られていて(たぶん弟の仕業)、「かわいいね」と言ったら「中身もかわいいんだぜ」とすっからかんのお財布見せられた。いい大人が。「だぜ」じゃないし、治療費どうすんねん。

帰り道にタクシーがいて、「タクシーはいろんな道を知ってるからついていくとおもしろいところに行けるかもしれないよ」と父が言って、ふたりでワクワク尾行したら、民家に着いた。
豪邸でもない。「普通の…家…」ってなった。
そらそうやろ、と大笑いしながら帰った。

辛かったこともそれなりにあるけど

わたしのアトピーはなかなかひどく、食べられるものが限られていた。肉類は鳥も豚も牛もだめで、お肉屋さんでラムを仕入れてもらっていた。
市販のお菓子も、中学生になるまでほとんど食べたことがなかった。
生卵は、いまだにちょっと怖い。
(食べ物に関して一番大変だったのは恐らく母だ)

日光と汗と土埃がだめで、高校生まで夏の体育は見学だった。
(これに関してはラッキーでしかない)
体育何かしなくても、うっかり汗をかいた日の夜は、猛烈な湿疹が襲ってきた。

過去の記憶を編纂する能力が自分を幸せにしてくれる

渦中にいるときには辛かった。はずだったが、思い出すときには、笑える思い出になっている。
何ならアトピーにまつわる思い出を忘れずに書き残しておきたいとさえ思う。
これは収束したから言えることなのかもしれないけど、過去の思い出を自分でこうやって編纂して生きていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?