音楽ニュース:ザルツブルク・フェスティヴァル2020、8月1日開幕、《エレクトラ》プレミエのストリーミング
今年のザルツブルク・フェスティヴァルが8月1日開幕しました。今年はコロナ禍を受け、縮小した形で開催されます。以前の投稿→
https://note.com/chihomikishi/n/n51e43335aef9
オペラやコンサートのストリーミングもあります。→
https://www.salzburgerfestspiele.at/uebertragungen
昨晩、このストリーミングで《エレクトラ》のプレミエを観ました。
指揮:フランツ・ヴェルザー=メスト(Franz Welser-Möst)
演出:クシシュトフ・ワルリコフスキ(Krzysztof Warlikowski)
美術と衣裳:マルゴルザタ・シュチェシュニアク(Małgorzata Szczęśniak)
照明:フェリーチェ・ロス(Felice Ross)
ヴィデオ:カミーユ・ポラーク(Kamil Polak)
コレオグラフィー:クロード・バルドイユ(Claude Bardouil)
ドラマトゥルギー:クリスティアン・ロンシャン(Christian Longchamp)
配役
クリュテムネストラ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー(Tanja Ariane Baumgartner)
エレクトラ:オスリーネ・シュトゥンデュテ(Ausrine Stundyte)
クリュソテミス:アスミーク・グリゴリアン(Asmik Grigorian)
エギスト:ミヒャエル・ラウレンツ(Michael Laurenz)
オレスト:デレク・ウェルトン(Derek Welton)
その他
ロック・ダウン時に多くの劇場やオーケストラ、ホールがストリーミングで公演を発信していましたが、私自身はほとんどストリーミングを見ませんでした。ストリーミング自体、意味のある良いサービスだと思いますが、私にとっては、やはりライブの魅力とはまったく違うものだからです。
今回のザルツブルクは100年記念のオープニングで、コロナ時代の大きな制限の中で、どのような形で行われるか、見てみました。
まずステージとオーケストラ・ピットは通常通りです。《エレクトラ》はオペラ作品中、最大のオーケストラ編成ですが、ほとんど指示通りだったようです。客席は間を空けて着席していました(この公演、最高席は445€、約55,000円です)。
演出について、まずストリーミングは映像監督の目を通すので、主体的な見方ができなくなること、全体とのつながりなどがよくわからないこと、またネット回線の具合か、切れてしまう部分もあり、不明な箇所もありました。印象に残った点や気になる箇所を思いつくままに、ざっとここに書きますと・・・
冒頭、夏の夜、虫のさえずりが聞こえる中、ステージ下手の箱の中(室内)でアガメムノンがクリュテムネストラに斧で殺されます。エギストはソファーに座り、少女のエレクトラがその場に居合わせます。殺人後、部屋を出ていこうとするクリュテムネストラをエギストが制止しますが、その手を振り払い、彼女は部屋を出て、ステージ中央に現れます。
上手には(成長した)エレクトラがおり、マイクの前でしゃべるクリュテムネストラの言葉を聞いています。クリュテムネストラは「私じゃない、悪魔はアガメムノンなの!娘のイフィゲーニエも彼に殺された・・・」と殺人の理由を述べ、説明し、正当化し、観客に訴えます。
ギリシャ神話におけるアガメムノンの行動は確かにひどすぎます。アガメムノンはクリュテムネストラの夫(タンタロス)を殺して彼女と結婚し、自分の傲慢さが神の怒りにふれたため、娘イフィゲーニエを生贄に差し出し、トロイヤ戦争からカッサンドラを愛人にして連れ戻るのですから、クリュテムネストラが復讐を誓っても不思議はありません。
ちなみに最近の演出では、この前史を重要視するのもあり、今回が特に斬新な発想というわけではありません。
さらに、この前史ではなく、アガメムノンと3人の子供たちの良きファミリー像を冒頭に出す演出もあります(ペーター・コンヴィチュニィ演出、コペンハーゲン、2005年)。
しかし、私自身はこの冒頭のクリュテムネストラの演説がそもそも必要とは思わないし、加えて、長い、と思いました。
まず、《エレクトラ》の最初の4小節は度肝を抜かれるような音楽なのですが、その前にこれだけ喋られると、緊張感が削がれてしまいます。実際、ストリーミングで聴いた音楽は割と「品よく」始まった印象です。
また、ギリシャ神話はヨーロッパの人にとっては「マスト」な教養で、説明しなくても知られていますし、《エレクトラ》を観ようと思う人なら、少しは準備していると思います。
さらに、オペラ《エレクトラ》はギリシャ神話に題材をとっているものの、クリュテムネストラの前史についてはストーリー上では描かれません。しかしそれに代わるわけではありませんが、クリュテムネストラにつけたオーケストレーションは、この作品の白眉と言えるほどの大傑作なのです。
さはさりながら、この冒頭部分で演出家が何を訴えたかったかということを考えると、「復讐は復讐をよぶ」、「復讐は救済にはならず」、「復讐は滅亡につながるのみ」ということをより明確にしたかった、そして演出の『枠構造』を明確にしたかったのではないか、と思いました。
エレクトラ役のシュトゥンデュテはドラマティック・ソプラノというより、元々、リリック・ソプラノなので、ドラマティックに歌おうとする分、難しさが出る箇所もありました。加えて低音と中音域の支えが弱い。もっとも、エレクトラ役をこのレベルで歌うということだけで賞賛に値することではあります。
一方、演出コンセプトが「復讐に燃える大人の女」というより、「子供時代のトラウマを引きずったファーザー・コンプレックスのハイティーンエージャー」と思えるので、それには合っているかもしれません。エレクトラは復讐を終えた後、睡眠薬を飲んで自殺しますが、ここでもその「弱さ」を表しているのかもしれません。
ちなみにシュトゥンデュテは今から15年ほど前、ケルン・オペラでよく聴きました。リリック・ソプラノのレパートリーを持っており、当時のオペラ支配人が高評価していて、「有名スター歌手にする」と言っていたそうです。
私自身の好みで言うと、声そのものにあまり魅力を感じません。さらに色彩のパレットが小さいのです。
その点で言うと、クリュソテミス役のグリゴリアンは素晴らしいと思いました。中身の詰まった声で、劇場で聴くとおそらく、かなり明晰で通る美声ではないかと思います(まだ実際には聴いたことがありません)。発声に無理がなく、たっぷりとしたフレージングも好感が持てました。
クリュテムネストラ役バウムガルトナーは巧いのですが、もっと狂気に満ちた凄み、音楽的にはギリギリの挑戦があっても良いかもしれません。ただこれは演出のせいでもあります。
悲惨な過去をかかえ、アガメムノンを殺して復讐をとげるものの、実子に殺される不安に苛まれる。夜も眠れない。実子のオレストが死んだと聞き狂喜するが(実子が馬に蹴られて死んだ、と聞いて喜ぶ母!!)、実は生きていたオレストから殺される、これほどの悲惨な人物像は、数ある悲惨なオペラ作品の中でも(たとえば『メデア』)最高度です。
演出上、もっとも気になったのは、このクリュテムネストラとエレクトラの母娘の関係描写が薄いことです。好意的にとらえると、母娘の断絶をそれで描いているのかもしれません。
ちなみに以前、ドレスデンで観たルート・ベルクハウス演出では、船のようなつくりのマストの上部にクリュテムネストラが立ち、下部に立つエレクトラに向かってストールを下ろしていくというシーンがありました。これは「臍の緒」を象徴しており、エレクトラに対し、クリュテムネストラの母親としての絶対優位性と母娘の繋がりを可視化したもので印象的なシーンでした。
またアガメムノンも亡霊として現れますが、プールを横切り座っているだけです。だだっぴろいステージを何かで埋めたいのはわかりますが、せっかくステージに出すのなら、父親と娘の関係をもっと表出しても良いのではないかと思います。
ステージ美術は劇場の広さを有効利用し、上手にプール(アガメムノンが殺された浴槽の拡大版?)、下手の箱状の部屋は可動式でプールの上に重なったりします。
最終場面では背景に血が飛び散り、その血が動きます(ヴィデオ映像)。これは実際に劇場で見ると、ものすごい効果だと思います。これ、バイロイトの≪パルジファル≫、シュリンゲンジーフ演出の最後のシーン(ウサギの死体に蛆虫がたかる)をなぜか思い出しました。
ヴェルザー=メスト指揮のウィーン・フィルについては、無難な安全運転だったと思います。どこか音楽的な隙間があり、心理解釈の緻密性、爆発的なエネルギーと抒情が入れ混じる交錯のもたらす緊張感、前進力はあまり感じられませんでした。これもストリーミングのせいだったからかもしれません。
まだ新聞批評も出ておらず、どのような評価になるか、わかりません。
個人的には、ザルツブルクまで行かなくて良かったかな、と思います。
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