コンサートとオペラの記録:6月29日、ミュンヘン・オペラ祭、開幕プレミエ≪トリスタンとイゾルデ≫
6月29日、ミュンヘンのバイエルン州立オペラのミュンヘン・オペラ祭開幕プレミエ、ワーグナー作《トリスタンとイゾルデ》を観ました。
2019年のオペラ祭については以下で少しだけ触れています。→
https://note.com/chihomikishi/n/nc323eff12af7
昨年は中止となったので2年ぶりの開催でした。
しかも7カ月間のロックダウンを経て、同劇場は5月半ばに再開しました。観客数は制限され、コロナ検査結果陰性証明書かワクチン接種2週間経過証明など、公演中はFFP-2マスク着用義務などがありました。
それでもこのプレミエはオペラ界の一大事、ファンや音楽関係者だけではなく、政財界の重要人物、有名人も多く見かけました。
まず、ナツィオナールテアターの外観写真です。
『オペラ祭』なので、正面の柱は装飾され、緋毛氈がひかれています。
劇場内。みんなマスクをしなければなりません。
公演プログラムとキャスティング表です。
指揮はこの劇場の音楽総監督からベルリン・フィル主席指揮者に転出したキリル・ペトレンコ。
トリスタン役はヨナス・カウフマン、イゾルデ役はアンニャ・ハルテロース、2人ともこれが役デビューでした。
演出はクシュシトフ・ワルリコフスキ。
私の最大の関心はペトレンコの音楽づくりとカウフマンのトリスタン。
ペトレンコはこの20年間、よく聴いてきました。
彼の《トリスタンとイゾルデ》指揮を聴いたのは2011年が最初でした。
今回は、これまで彼が音楽総監督を務め、オペラ専門誌『オーパンヴェルト』の年鑑で、専門家による『オペラ・オーケストラ・ナンバーワン』に何度も選出された州立オーケストラを指揮するのですから、これは聴かなきゃいけません!
ヨナス・カウフマンも今や押しも押されぬ大スター・テノールですが、20年ほど前、シュトゥットガルト・オペラのアンサンブルに属し、まだまだ無名の頃から注目してきました。
当時はバリトンとテノールの中間くらいの声域でした。しかしその声質はトリスタンの暗さと重さにぴったりで、実は「テノールにいってほしい、そしてトリスタンを歌ってほしい」とずっとずっと周囲に言い続けてきました。
それがやっと叶ったわけです。
公演前のステージ、オーケストラ・ピットと客席です。
ここからはペトレンコの指揮もステージもよく見えました。
ステージ上のカウチを見ただけで、演出コンセプトが推察できます。
これは第3幕が始まる前です。
私の前に座っていたご婦人から「あれ、人形なの?」と訊かれました。
「そうですよ」と答えましたが、ここでも推察した演出コンセプトが明確になりました。
カーテンコール。
赤いドレスがイゾルデ役ハルテロース
その向かって右隣がペトレンコ
その右隣がワルリコフスキ
一人おいて右側がトリスタン役カウフマン(白いシャツに血が見えます)
ミュンヘンは《トリスタンとイゾルデ》の世界初演の地です。
1865年6月10日でした。
ワーグナーは初演の地を求めて、パリやカールスルーエ、ドレスデン、ワイマールに打診しますが叶いません。
ウィーンで上演の機会が得られたのですが、リハーサルを77回やったのにも関わらず、結局できず、ミュンヘンでバイエルン国王ルートヴィヒ2世の援助により上演に漕ぎつけます。
《トリスタンとイゾルデ》は作品内容だけではなく、上演まわりについても『死』の影がつきまといます。
世界初演から6週間でトリスタン役歌手が亡くなり、そして公演指揮中に倒れて亡くなった指揮者が2人います。
世界初演でトリスタン役を歌ったルートヴィヒ・シュノル・フォン・カロルスフェルト(1836ー1865)は《トリスタンとイゾルデ》に3回出演し、初演から6週間後、突然、亡くなってしまいました。29歳の若さでした。原因は不明ですが、今日の研究によると、感染症(チフスか髄膜炎)ではないかと言われています。
指揮者フェリックス・ヨーゼフ・フォン・モットル(1856ー1911)は、1911年6月21日、ミュンヘンで100回目の《トリスタンとイゾルデ》を指揮中に突然倒れました。運ばれた病院で6月26日にツデンカ・ファスベンダーと結婚します。しかし、7月2日に帰らぬ人となってしまいました。55歳でした。
指揮者ヨーゼフ・カイルベルト(1908ー1968)も、1968年、ミュンヘンで《トリスタンとイゾルデ》指揮中に心臓発作を起こして亡くなってしまいます。60歳でした。
日本初演は1963年、日生劇場の杮落としで、ベルリン・ドイツ・オペラの来日公演でした。
FOTO:©Kishi