オペラの記録:R.シュトラウス《影のない女》、バイエルン州立オペラ「ミュンヘン・オペラ祭」閉幕(7月31日) ー 約7時間にわたる劇場滞在
ミュンヘンのバイエルン州立オペラ(ナツィオナールテアター)でR.シュトラウス作曲《影のない女》を観ました。
これは約1か月にわたって開催された「ミュンヘン・オペラ祭」の掉尾を飾るものでした。
7月27日にはミュンヘン・ゲルトナープラッツ劇場でオッフェンバック《ホフマン物語》を観、つまり「影を盗まれた男、ホフマン」から今度はR.シュトラウス《影のない女》です。
この日のナツィオナールテアター。
《影のない女》は上演時間も長く、休憩を入れると約5時間かかります。
このため、開演は17時でした。
プログラム。ここにも『17時開始、終演は21時50分頃』と記載されています。
ところが開演時間の17時が迫る16時50分頃になっても、そして17時になっても客席への扉が開きません。嫌な予感がしてきたところ・・・
インテンダントのドルニィの声で、以下のような場内アナウンスがありました。
「バラクの妻役のステンメが急病のため出演できません。代役が見つかったのですが、彼女は今、ヘルシンキからミュンヘンに向かっているところで、飛行機が18時10分着のため、予定に間に合いません。開演は19時に延ばします。休憩時間を少し短縮しますが、終演は23時45分頃になると思います。皆さんにはゼクト(発泡性ワイン)、それに準じる飲み物を無料で提供します。食べ物を予約していた方は無料にします。なお、都合が悪くお帰りになる方にはチケットの払い戻しをします」
結局、劇場の近く、内外で時間をつぶすことになりました。
ここは劇場地下のカフェテリアです。
『ゼクトに準じる飲み物』が無料、ということだったので、何がOKなのか尋ねたら、『ゼクトの値段と同等以下』ということでした。飲み物は1人1回で、証拠として、チケットの隅が少し破られました。
19時前には無事客席ドアが開きました。
開始前です。
しかし、歌手が18時10分に空港に着いて、19時開始というのも納得がいきません。
ミュンヘン空港から劇場まではどんなに車を飛ばしても30分はかかるからです。
それから、声ももちろん、その他準備があるからです。
ドルニィの挨拶が始まりました。ドルニィはベルギー出身、ドイツ語も流暢です。
「今夜は今シーズン最後の、そしてオペラ祭の最後です。それもあるのですが、コロナで長い間上演ができませんでした。私たちは、今夜はなんとしても上演したいと思いました。ステンメの代役にはミーナ=リーザ・ヴァレラが入ります。ただ彼女はステージ脇で歌い、演技はステージ監督のテレーザ・シュレヒテルレが行います。」
ここで、大きな拍手が起こりました。
さらに、「ヴァレラは無事空港に着き、ミュンヘン警察の多大な協力のもと、劇場に到着しました。」
ここで、客席からは「ウォー!」という歓声と共に、さらに大きな拍手が起きました。
ただ、「子供はどうするのだろう?」と思っていたところ(保護法に引っかかります)、「最後の幕で子供は出演できません。しかし録音を使います」ということでした。
ドルニィは「皆さんの大きなご理解とご協力をお願いすると共に心から感謝します」と締めくくりました。
休憩で外に出たところ。
劇場内の壁には代役の告知が出ていました。
この赤い紙はインフォメーションに置かれており、持ち帰ることもできました。
カーテンコール。
左からエリック・カトラー(皇帝)、カミッラ・ニュルント(皇后)、ミカエラ・シュースター(乳母)、シュレヒテルレ(バラクの妻、演技のみ)、ヴァレラ(バラクの妻、声のみ)、ミヒャエル・フォレ(バラク)。
指揮のセバスティアン・ヴァイグレが登場。
このオペラ祭の間、私が体験したり聞いただけでも大変なことがありました。例えば、《鼻》の主役をロシアからよんだこと→
《無口な女》公演指揮中にショルテスが意識を失い、その夜、病院で亡くなったこと→
もちろん疫病と戦争も、まだまだ先が見えません。
ですが、この困難な時代、『芸術、文化を守る』というリーダーたちと関係者の固い意志と行動力、客も含めた全員の協力と機敏さ、柔軟さ、寛容さをこれほど実感したシーズンはないように思います。
クロークの人たちも ーもちろん劇場全体ですがー 残業です。
「お疲れさま。良い夏を!」と言い、24時前、劇場を後にしました。
FOTO:©️Kishi
以下はプログラムに掲載されたステージ写真です。©️Wilfried Hösl
新制作プレミエは2013年11月21日でした。