シボレーvsフォードvsフェラーリvsベンツ! ただし日産、テメーはダメだ! 「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」
先に公開した実写版「トランスフォーマー」第2作目の記事に続き、2011年に公開されたシリーズ第3作目「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」についても書いてみたいと思います。
当初の予定では、実写版「トランスフォーマー」シリーズはトリロジー作として本作で最後となるはずでしたが、まともな映画ファンや映画評論家の酷評とは裏腹に興行収入は素晴らしかったため全6作になることが決定。当初マイケル・ベイ監督は本作を最後に降板するとも報じられましたが、結局これ以降も続投し順調に評価を下げていきらじー賞の常連になります。しかしこの3作目は前作よりもマシです。なんとRotten Tomatoesの評価が35%と前作より15%もアップ!まあ1作目より23%も下がっているしそもそも立派なド腐れ映画認定ではありますが、全体的に見て非常に見どころが多く、一時も目を離せない、終始頭をフル回転させ続けなければならない情報密度の高い作品でした。
というのも本作、様々なパロディネタがてんこ盛りに盛りまくられた、観客に「お前らこれが分かるか?」と無駄知識の勝負を挑むタイプの作品だったからです。先の記事でも触れましたが、もともとこのシリーズはスポンサーへの配慮と忖度からか、はたまたマイケル・ベイ監督の純粋な趣味と愛情からか、やたらとマニアックな車ネタが豊富に盛り込まれていましたが、本作では更に彼の映画愛やSF愛を感じさせるネタがちりばめられています。まずタイトルの原題「Transformers: Darks of the Moon」の意味は「月の裏側」で、その名のとおり「月の裏側になんかいる」というSFのド定番がストーリーの骨子なのですが、その月の裏側からオプティマス・プライムの先代のリーダー「センチネル・プライム(Sentinel Prime)」が登場します。「月の裏側」で「Sentinel」…まんまアーサー・C・クラークの小説「Sentinel(前哨)」じゃねえか!
↑「Sentinel(前哨)」はこれに収録。「月の裏側になんかいる」設定の元ネタはだいたいこれです。ちなみに「前哨」はスタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の原案としても知られている作品です。
こちらがセンチネル・プライム。オーストリアの消防車・消防設備メーカーであるローゼンバウアーの化学消防車パンサー6×6に変形します。一目でジジイと分かる風貌ですが、その顔をよく見ると俳優のショーン・コネリーに似ています。実際彼をモデルにデザインされたキャラクターだとか。
実にストレートなパロディだなあ…と思って見始めると、主人公・サムの部屋で小型トランスフォーマーの「ホィーリー」がテレビで再放送中の「スタートレック」を見ながら「これスポックがトチ狂うエピソードなんだよな」と言うシーンが出てきます。これはセンチネル・プライムの声を担当しているのが、前述の「スタートレック」でMr.スポックを演じたことで有名な俳優のレナード・ニモイであることにちなんだパロディなのですが、なんとストーリー中盤、本作の真のヴィランがセンチネル・プライムであったことが明らかになるのです。もはやパロディがストレート過ぎてネタバレ!いきなり劇中冒頭でキャラクターがネタバレをかます映画なんて初めて見ました。
なお、その後も人間側の主人公・サムが新しい彼女の職場に行き「この建物はエンタープライズ号みたいだ」と言ったり、バンブルビーがサムとの別れる際、ラジオ音声で「スタートレック」のMr.スポックの台詞(もちろん声はレナード・ニモイ)「I will always be your friend」をそのまま再生したり、終盤でセンチネル・プライムがMr.スポックの台詞「The needs of the many outweigh the needs of the few」をそのまんま言ったりと、もう「くどい!」と言いたくなるほどストレートな「スタートレック」ネタがこれでもかと差し込まれます。なんでもレナード・ニモイはマイケル・ベイ監督の親戚だそうなので、監督は監督なりに親戚のおじさんに気を遣ったのかもしれません。
他にも、ディセプティコンのトランスフォーマー「ドレッズ」のデザインが「プレデター」っぽかったり…
マスクをかぶっている状態をロボ化したようなデザイン。
同じくディセプティコンのトランスフォーマー「デフコン」のデザインが「クローバーフィールド」の怪獣そのまんまだったり…
監督は多脚デザインも好きなのでは。
ディセプティコンのリーダー「メガトロン」のディーゼルパンク感溢れる佇まいが完全に「マッドマックス」シリーズの雰囲気だったり…
大型トレーラーをスキャンしてナミビアに潜伏し、スタースクリームと共に子育てするメガトロン様。奇しくも本作から4年後、ナミビアで撮影された大型トレーラーが大活躍する「マッドマックス 怒りのデス・ロード」が公開されました。
旧マッドマックス3部作→「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」→「マッドマックス 怒りのデス・ロード」という線も微レ存?
「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」で一躍有名になったアジア系俳優のケン・チョンが二丁拳銃を構えるシーンが無駄に差し込まれ、「アジア系俳優が二丁拳銃…まあマイケル・ベイ監督もジョン・ウー学校の卒業生だからな…」と再認識させられたり…
最後の最後まで「ハングオーバー」さながらのキレッキレの演技を見せたケン・チョン(本業は医者)。
ジョン・ウーの傑作にして二丁拳銃映画の最高峰。全人類見るべし。
中盤、ウェスタン映画の傑作「続・夕陽のガンマン」のクライマックスの「メキシカン・スタンドオフ」(3人以上がお互いに銃を向け合って膠着状態になること)をトランスフォーマーで再現したり…
しかもオートボットのアイアンハイドが「Wow, a little Mexican standoff we got here」と言い、この状態が「メキシカン・スタンドオフ」であることを強調します。アイアンハイドは1作目でも「ダーティハリー」の名台詞「Do I feel lucky? Well do ya, punk!」(今日はツイてるか?どうなんだクソ野郎!)のパロディ台詞を言っていたので、きっと彼の推しはクリント・イーストウッドなのでしょう。
本作以降、メキシカン・スタンドオフはあらゆるジャンルの作品で描かれる定番オマージュの一つとなります。
オートボットの発明家が「キュー」という名前のジジイでストレートに「007」シリーズのパロディだったり…
アニメ・玩具のトランスフォーマーにおけるオートボットの発明家(マッドサイエンティスト)の名前は「ホィールジャック」ですが、本作では「キュー(ホィールジャック)」と併記されました。本名はホィールジャックだけと愛称はキューという扱い?
…などなど、全編通して監督がこれまでどんな映画を観てきたか、どんなモチーフやどんなデザインを「いいな!」と思ったのか、どんな俳優が好きなのかが手に取るように分かり、確かに性別や人種・民族に対するステレオタイピングおよび差別表現も多く、ガチャガチャして映画としては完全に破綻してはいましたが、それでも監督の溢れんばかりの愛が感じられる作品でもありました。
フェラーリが来た
本作が劇中に実在の企業の商品を映すことで広告費と収益を得る「プロダクト・プレイスメント」を大々的に取り入れている事実上の”豪華なCM”であり、その筆頭広告主がGMであることは前作、前々作の記事でも書きましたが、本作より遂に欧州車がプロダクト・プレイスメントに本格参入しました。その1社が”高級スポーツカー”の代名詞的存在であるフェラーリです。同社が提供した車両はフェラーリ・458イタリアで、そのお値段なんと2,830万円!本作に起用された一般ユーザー向け市販車両では最高額です。
これを出されたら流石にGMが筆頭広告主とはいえ正義の陣営・オートボットに加えないわけにはいきません。なんたってオートボットのGM車の最高額はラチェットに割り当てられたハマーH2の800万円で、しかも当時既に生産が終了していました。
札束の厚みが如実に分かる構図。
そこでこのフェラーリ・458イタリアは、オートボットの戦士「ディーノ」が変形する車両に。声を担当したのはローマ出身・アメリカ在住の俳優でしたが、敢えてイタリア訛りを強調した発音で喋った挙句「Perfavore!(ペルファボーレ!)」(イタリア語で「お願いします」)という台詞の内容にそぐわないイタリア語を交えたもんだから、「まーたマイケル・ベイのバカがくだらない人種・民族ステレオタイプを出してきやがった!」と一般常識のあるまともな大人から叩かれました。
確かにそうだったかもしれません。今時こんな分かりやすいステレオタイプなんてリアル中学生男子だって思い付かないでしょう。しかし私は彼に付けられた名前から、マイケル・ベイ監督の自動車愛が感じられるような気がするのです。というのもこのキャラクター、本来は光学迷彩で姿を消す能力を持つ「ミラージュ」(日本名:リジェ)という名前で、本作でわざわざ原作アニメにも玩具にもない新たな名前「ディーノ」が付けれらました。フェラーリでディーノときたら、欧州車メーカーに詳しい人ならもうご存じでしょう。この名前は、フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの長男で、1956年に筋ジストロフィーにより24歳の若さで夭折したアルフレード・フェラーリの愛称です。彼は将来的に車が小型化していくことを見越し小型車向けV6エンジンの開発に注力していましたが、志半ばで病没したためエンジンの完成を見ることはありませんでした。自分の跡継ぎとして期待していたエンツォはあまりのショックに以後滅多に公の場に現われなくなり、晩年まで彼の墓参りを日課とするようになります。彼が注力していたV6エンジンは残された開発チームのメンバーに引き継がれて完成まで漕ぎつけ、後に「ディーノV6」という名称になり、これを搭載した車の名称にも「ディーノ」が加えられるようになります。
おそらくマイケル・ベイ監督は、フェラーリのプロダクト・プレイスメント参画が決定した時点でフェラーリ社に関わる人物の名前にすることを思い付き、最終的に無念の死を遂げた若い技術者を顕彰することを決断したのではないでしょうか。なお、本作と次作でオートボットの戦士が次々と無残に死んでいくのですが、ディーノの死ははっきりとは描かれず生死不明となっています。まあフェラーリが「うちの車が死ぬのはちょっと…」と難色を示したのかもしれませんが、この名前のキャラクターを殺すことはいくらハリウッドの破壊王マイケル・ベイでもしたくなかったのかもしれません。
ベンツも来た
フェラーリの他にもう1社プロダクト・プレイスメントに本格参入した欧州車メーカーは、これまた高級車の代名詞的存在であるベンツ。提供した車両は、先のフェラーリ・458イタリアに勝るとも劣らないスーパースポーツカーのメルセデス・ベンツ・SLS・AMGでしたが、お値段は2,430万円……惜しい!フェラーリより400万円安い!そのせいか、また提供した広告費がフェラーリより少なかったのか、同車は悪の陣営・ディセプティコンの情報参謀「サウンドウェーブ」に割り当てられてしまいました。
まあ実際凄いスーパーカーだしサウンドウェーブも初代アニメから人気のある主要キャラクターではあるんですけどね。
ここで気付かされるのは、前作に引き続き一般ユーザー向けに販売されているドイツ車はみんなディセプティコンに割り当てられていることです。一応本作では先に書いたオートボットの発明家・キューにもメルセデス・ベンツ・E550が割り当てられていますが、捕虜になって真っ先に殺されるので良い扱いとは言えません。マイケル・ベイ監督は前作でも、独アウディのスポーツカーのアウディR8をディセプティコンの斥候「サイドウェイズ」に割り当て車両状態で真っ二つに切り裂き同社の不興を買っていますし、本作の真のヴィランであるセンチネル・プライムが変形するのはオーストリアの企業が開発した化学消防車……もしかしたらマイケル・ベイ監督の中には、未だに「オーストリアとドイツはナチスの子孫」という認識があるのかもしれません。そういえば、初代アニメと玩具でディセプティコンのリーダーのメガトロンが変形するのは拳銃のワルサーP38。日本人にとってそれはルパンIII世の愛銃としてお馴染みですが、欧米ではナチスが採用した軍用拳銃として知られています。マイケル・ベイ監督はオートボットvsディセプティコンのトランスフォーマーの基本設定に第二次世界大戦における連合国vs枢軸国の構図を重ね合わせ、それを起用車に反映したという可能性も考えられます。じゃあフェラーリだってイタリア車だから枢軸じゃねえか!と思いますが、イタリアは第二次世界大戦開戦から3年後にいち早く連合国側に降伏したため、ダメだこりゃ!と思ったナチスがフェラーリの拠点であるモデナを含むイタリア北部を占領。戦乱のせいで国内レースが禁止され、モデナにあるフェラーリの工場は連合国軍機の空襲を受ける災難に見舞われます。つまりフェラーリは「ナチスのせいで災難を被った被害者」と見ることができます。
一方当時のドイツではヒトラーが車好きだったため、モータリゼーションと車の開発・生産を国策とし、自動車税は撤廃するは、アウトバーンは建設するは、フォルクスワーゲンに国民車を開発させるは、運転技能者育成を推し進めるは、世界的なカーレースに出場するチームをバックアップするはの大盛り上がりで、ベンツは運転教官の派遣や教習車の無償提供、ナチスへの役員派遣、戦闘機のエンジン開発・生産、軍用車両開発・生産など全面協力。しまいにはユダヤ人や連合軍の捕虜を大量に強制労働者として工場で使用し、戦後に莫大な賠償金の支払いに苦慮することとなります。やっぱり監督、ベンツ=ナチスと見ていた節があるのでは…
フォードがまた来た
前作「トランスフォーマー/リベンジ」は、アメリカからいきなりヨルダンやエジプトに飛ぶいろんな意味でスケールの大きな作品でしたが、さすがに大風呂敷を広げ過ぎたと思ったのか、マイケル・ベイ監督は本作で再び舞台をアメリカ・シカゴに戻し原点回帰を計りました。ここら辺はほぼ全編が世界中を巡るスパイアクションのパロディだった「カーズ2」から原点回帰した「カーズ/クロスロード」に似ています。
【ネタバレ注意】老害撲滅&マイノリティ応援映画「カーズ/クロスロード」
この原点回帰に併せてか、1作目でバンブルビーを追跡し最初に本格的なバトルを繰り広げたディセプティコンの戦士「バリケード」が再登場しました。変形する車両は1作目と同じフォード・マスタングですが、ロボット時の姿はよりマッチョにパンプアップ。マイケル・ベイ監督はよほどマスタングの”マッスルカー”ぶりと、発売時に人気のあまりシカゴでパニック状態になったことを表現したかったようです。
シカゴでシボレー・カマロを押さえつけるフォード・マスタングというシーンは、この両車が辿った歴史を鑑みると実に味わい深いです。加えて本作では前述のとおりフェラーリもプロダクト・プレイスメントに参画。ここからもう一つのメタファーが見えてきます。そう、「フォードvsフェラーリ」でも描かれた、フォードによるフェラーリ買収の失敗とル・マン24時間レースでの対決です。しかもそれが起こった時期とフォード・マスタングがリリースされた時期はほぼ同じ…
「フォードvsフェラーリ」に見るアメリカと欧州の車文化の違い
つまり、本作の起用車両のキャラクター配置からは、クソダサ大衆車メーカーのイメージからの脱却を目指して開発されたフォード・マスタングと、その対抗馬として開発され「永遠のライバル」と評されるシボレー・カマロ、フォードと交渉が決裂した結果ル・マンで激戦を繰り広げることとなったフェラーリ、そのフェラーリが戦時中災難を被った直接の原因であるナチスに協力していたベンツ…という、実に多重構造なメタファーを見い出すことができます。
なお、フォードが再びプロダクト・プレイスメントに参画したことによって、ついでに同社傘下の車も多数シーン内に登場することとなり、特に高級車のリンカーン・コンチネンタルが大盤振る舞いされ非常に眼福でした。
ただし日産、テメーはダメだ!
しかしここで日本人として一つの疑問が沸き上がります。もしマイケル・ベイ監督が、オートボットvsディセプティコンのトランスフォーマーの基本設定に第二次世界大戦における連合国vs枢軸国の構図を重ね合わせているのだとしたら、同じく枢軸国だった日本の車だってディセプティコンのそこそこ目立つキャラクターに割り当てられてもよくないか?と。しかし現時点で日本車が目立つキャラクターに割り当てられたことはありません。勿論シーンの背景に映ったりクラッシュしたり故障車として置かれたりといった”モブ車”として起用されたり、その他大勢的なディセプティコンのモブ敵になることはありますが、キャラが立っていて観客の記憶に残るような奴に起用されたことはありません。本作ではサムが乗るバンブルビー(シボレー・カマロ)の”代車”としてダットサン510(日産ブルーバード510型系)が起用されていますが、トランスフォーマーに変形するでもなく、カッコ良いアクションやカーチェイスをするでもなく、終始ボロボロのままサムをはじめとする人間側のキャラクターにポンコツと罵られるばかりなのです。
先に挙げたプロダクト・プレイスメントの参画企業を改めて見ると、おそらくこれはマイケル・ベイ監督によるスポンサーへの「忖度」だったのではないかと思えてきます。なぜなら、60年代以降に北米と欧州の車市場を荒らし回り、特に北米におけるビッグ3の凋落の呼び水となり、おまけに国際レースも荒らし回ったのが日本車で、その鏑矢となったのが1967年にリリースされたこのダットサン510だったからです。
日本車の海外進出が本格的に始まったのは1960年代。それ以前から海外輸出は行われていたものの、デザインやスペック、価格などの問題からどうしても「安物の二流車」というイメージから脱却できませんでした。ところがダットサン510はエッジの効いた直線的なラインで構成されるシャープなデザインで、日産はこれを「スーパーソニックライン」と名付けカッコ良さと高級感をアピール。エンジンは当時最新の1.3リッターと1.6リッター直列4気筒SOHCエンジンを搭載し、さらに後に1.4リッター、1.8リッターと排気量を拡大。サスペンションは日産初の四輪独立懸架で、しなやかな乗り心地と路面追従性を両立し、このため同車はラリーをはじめとするレースで大活躍することとなります。このように欧州車並みのデザインとスペックを兼ね備えながら1995ドル(約22万円)という低価格で販売されたため、同車は「貧乏人のBMW」と呼ばれ、また安くてカッコ良い車だったことから高校生のファーストカーとしても人気を博し、その当時を知る世代にとっては青春と自立を象徴する車でもあります。同車は1967年~1973年までの生産期間にアメリカだけで30万台を販売するほどの大ヒット車となり、当時なぜかヒッピーに人気だったフォルクスワーゲン・ビートルと並びアメリカにおける大衆車の代名詞となります。
そこで面白くないのはフォード、シボレー、クライスラーのビッグ3です。世界初の大衆車であるT型フォードを開発したフォード、それとの差別化のためデザインで勝負してきたGM・シボレー、それに倣い油圧ブレーキなどの進歩的機構を先発他社に先駆けて導入した大衆車「プリムス」を開発したクライスラーが、欧州ですらない、極東のかつての敵国であり敗戦国の日本の大衆車に負けたのだから。
ところが日産は、この成功に続くべくさらにスポーツカー市場を焼け野原にする刺客「ダットサン240Z」(フェアレディZ)を1969年に放ちます。
これがまたロングノーズ・ショートデッキなシルエットにスカラップ・スタイルのヘッドランプと、ジャガーとフェラーリの良いとこ取りのようなデザインに、2393cc、150bhpのSOHC6気筒、L24型エンジンを搭載というスペックながら3,526ドル(約39万円)と低価格で販売されたため、「貧乏人でも買えるスポーツカー」と呼ばれ世界中で大ヒット。世界総販売台数55万台(うち日本国内8万台)という、当時のスポーツカーとして驚異的記録を打ち立てます。アメリカでは、スポーツカー市場であまりにもダットサン240Zばかりが売れるため、並み居る欧州のメーカーが同国でのスポーツカー販売から撤退したほどでした。
そこでまた面白くないのはビッグ3です。60年代末期といえば、ちょうどフォード・マスタングとシボレー・カマロがしのぎを削り、それに続けとクライスラーもダッジ・チャレンジャーをリリースし”アメリカン・マッスルカー戦争”を繰り広げていた頃でした。しかもGMは1953年にシボレーからアメリカ初の本格的スポーツカーであるコルベットを欧州車よりもお買い得価格でリリースしているメーカーで、加えて60年代末期といえば、今でも同シリーズの最高傑作と言われているコルベット・スティングレイC3型がリリースされた時期です。
それが、日本からマスタングやカマロ、ダッジ・チャレンジャー、そしてコルベットよりも安価なダットサン240Zが来たせいでみんなそれに飛びつき、もうマッスルカー戦争も本格的スポーツカーもぶっ飛んでしまった……おそらく当時のアメ車業界の人々にとっては、日本車の大ヒットは第二の真珠湾攻撃と言ってもいいくらいの脅威だったでしょう。そしてここから日本車の大躍進とビッグ3の凋落が始まり、それがGMとクライスラーの経営破綻へと繋がっていきます。
それを振り返ると、おそらくマイケル・ベイ監督は実写版「トランスフォーマー」シリーズのキャラクターに日本車を起用”しない”のではなく”できない”のではないかと思います。スポンサーへの忖度から。GMとフォードが、アメ車と欧州車が戦うのはいい、それは古き良き時代の車戦争だから。ただし日本車、特に日産、テメーはダメだ!という。ただ、前述のようにダットサン510もダットサン240Zもアメリカで好セールスを記録した車だったため現在でもアツいファンコミュニティが存在しており、本作公開時にダットサン510のあまりの酷い扱われ方が彼らの間で大炎上。加えてダットサン510の色が(バンブルビーに似せて)黄色だったため要らぬ人種差別疑惑まで呼び、遂にアメリカ国内の車ファンからも愛想をつかされてしまったのでした。
もっともこの状況も、日産がGM以上に分厚い札束で映画会社の偉い人をぶん殴ってプロダクト・プレイスメントに本格参入すればどうにかなると思いますが、日産は今それどころじゃないでしょうね。
一方その頃、GMは…
本作が公開された2011年当時、GMはまだアメリカの国有企業状態ではありましたが、前作公開時の2009年に比べれば多少はマシになっていました。一時は株価が1ドルとギャグみたいな価格になりましたが、それも徐々に回復しニューヨーク証券取引所に再上場を果たします。ただし本作に登場するアイアンハイドのGMCトップキックやラチェットのハマーH2は既に生産終了となり、ハマーに至ってはブランドごと消滅、主人公のバンブルビーも前作から引き続き5代目カマロのままで目新しさはなく、だいたい経営状態がマシにならないと新型車の開発にもGOサインを出せないという状況。一応オートボットの新兵・サイドスワイプには、前作のシボレー・コルベット・スティングレイ・コンセプトモデルのコンパーチブルタイプが割り当てられましたが、当時はまだ新型コルベットのリリース時期は未定で、新たな情報は何もありませんでした。
このコンパーチブルタイプには改めて「シボレー・コルベット・スティングレイ・スピードスター・コンセプト」という名称が付いています。それにしても座席に誰も座っていないオープンカーが爆走する光景は実にシュール。
メインキャラクターに割り当てられた車はもう生産終了、アピールできる新車もない、では何を見せるか?そこでGMは、「売りたい新車」ではなく、「レースで活躍する姿」を想起させる車を提供します。それがオートボットの特殊部隊「レッカーズ」のメンバーが変形するシボレー・インパラのNASCAR仕様車です。
NASCAR仕様車状態でも銃火器を出しっぱなしというアメリカ南部の田吾作(レッドネック)が狂喜乱舞しそうなデザイン。
緑の攻撃指揮官「ロードバスター」、青い破壊員「トップスピン」、赤い戦略家「レッドフット」。みんな同じ車なのにそれぞれ異なる姿形のキャラクターに変形するのが面白く、特にフロントをメタボ腹に見立てるレッドフットのデザインは秀逸です。虹色のバイザーを着けた顔もNASCARのピットクルーの姿を彷彿とさせます。
彼らは全身に多数の銃器を装備し高い攻撃力を持っていますが、あまりに荒くれ者のためNASAから外出禁止を受けており、普段はシャトルの発射台で宇宙船の整備をして過ごしているという設定です。
シボレー・インパラは、1958年にシボレーの最上級グレード「ベルエア」に設定されたスペシャルパッケージ「インパラ・スポーツ・パッケージ」がもとになって生まれた車です。当初はお買い得価格の大衆車ブランドだったシボレーですが、時代の変遷により一般大衆の好みとニーズも「高級感のある車が欲しいけどキャデラックみたいな”いかにも”なセダンじゃないやつがいい」、「2人しか乗れないスポーツカーより4人くらい乗れるスポーティなカッコ良いフルサイズカーが欲しい」等々どんどん多種多様になっていきました。そこでGMでは、敢えてお買い得な価格帯のラインナップを取り揃えるシボレーの中に最上級グレードを設け、ブランド内であらゆる一般大衆の好みとニーズに応える作戦に出ます。当初はシボレー・ベルエアのスペシャルパッケージだったインパラですが、これが思いのほかユーザーに好評だったため、翌1959年には独立したシリーズになると共にシボレーの最上級フルサイズカーとして設定され、その下に中級フルサイズカーとしてベルエアが設定されるという逆転劇が起こります。またこの年にリリースされた2代目インパラはテールフィンの造型が素晴らしく新しもの好きなユーザーにバカ受け。今でもインパラシリーズの最高傑作と言われており、チカーノ(メキシコ系アメリカ人)発祥のカスタムカルチャー「ローライダー」のベースカーとして人気です。ちなみにピクサー映画「カーズ」シリーズに登場するラジエーター・スプリングスの塗装屋「ラモーン」のモデルはこの2代目インパラのローライダー仕様で、先述の映画「フォードvsフェラーリ」の冒頭におけるヘンリー・フォードII世の台詞「祖父が築き上げた栄光はどうなった?シボレー・インパラの排ガスだ!」のインパラもこれを指しています。
これ以後、シボレーのユーザーでスポーツカーが欲しい人はコルベットを、フルサイズカーが欲しい人はインパラを…とインパラもシボレーにおける「一般大衆に夢を見せる車」となります。その後、1967年に若者向けマッスルカーとしてカマロがリリースされたことにより、この3車がシボレーの「夢の車」の3本柱となっていきます。
本作においてレッカーズのメンバーにインパラが割り当てられたことにより遂にシボレーの3本柱が出揃ったわけですが、更にマイケル・ベイ監督はアメリカ南部のレッドネックに熱狂的に支持されている同国最大のカーレース「NASCAR」もモチーフに持ってきました。
NASCARのルーツは禁酒法時代に密造酒の運び屋をやっていたならず者のドライバー達が、自身のドライビングテクニックを競うために始めた遊びとされており、直接の発祥は米フロリダ州のデイトナ・ビーチにて開催されたストックカー(市販車)レースです。もともとは市販車をレース向けに改造して走らせるアマチュアレースで、昔は舗装もされていない楕円のダートコースをぐるぐる走り、観客もコースと文字通り地続きの地面に設けられた観戦エリアでレースの行く末を見守るという、牧歌的なんだか危険なんだか分からない "カントリー" なものでしたが、現在は安全対策が為された巨大なコースにテレビ放映、スポンサーのド派手な広告タイアップ、マーチャンダイズ展開とすっかり商業エンターテイメント性の強いレースとなりました。また出場マシンも今では市販車の改造ではなく、市販車に似せたNASCAR仕様の純レーシングカーが開発されています。先述のピクサー映画「カーズ」1作目と3作目「カーズ/クロスロード」はまさにこのNASCARをモチーフに製作された映画でした。
【ネタバレ注意】老害撲滅&マイノリティ応援映画「カーズ/クロスロード」
NASCARは市販車を使った草レースという成り立ちからレースマシン製造のコスト高騰が忌み嫌われています。そうなると、シボレーの「カッコ良くてパワーもあるけどスペックのわりにはお買い得価格」なコルベット、インパラ、カマロはNASCAR向けとして非常に好都合な車でした。おまけにアメリカ南部にはシボレーユーザーが多く、「南部の粗野なレッドネックはだいたい野球帽をかぶってバドワイザーを飲んでシボレー車に乗って銃を持っているキリスト教徒の共和党支持者」というイメージがステレオタイプだったりします。だから「カーズ」1作目の主題歌「Real Gone」の歌い出しは「I'm American made, Bud Lightz, Chevrolet(私はアメリカ製 バドライトやシボレーみたいに)」だったんですね。
これらを鑑みると、シボレー・インパラのNASCAR仕様車で車状態でも銃火器を出しっぱなしの荒くれ者集団というレッカーズは、実にアメリカ南部のレッドネックを狙い撃ちした、というかもはやレッドネックを象徴するようなキャラクターだったと言えます。加えて、マイケル・ベイ監督は、NASAのシャトル発射台の見物客の車として”初代”シボレー・ベルエア・インパラをさり気なく出し、その発射台にいるのがレッカーズというインパラ推しまで繰り出しました。
こんな細かいネタ1回の鑑賞で気付けるか!
車バカの夢の具現化
こうしてレッドネックを狙い撃ちする一方、マイケル・ベイ監督はお上品でハイソサエティな車ファン向けのシーンも忘れませんでした。それが親の代から秘密裏にディセプティコンと手を結んでいる大手会計会社の社長の車コレクションです。彼は金にあかせて世界中の名車を集めているのですが、そのラインナップが圧巻!ブガッティ・タイプ35、ドライエ165、1933キャデラック、キャデラック・ル・マン、1935イスパノ・スイザ、シボレー・コルベット・スティングレイ・レーサー、ポンティアックGTOなどなど、いずれも博物館に収蔵されるレベルの名車ばかりでまさに車バカの夢の具現化。この社長のコレクションルームのシーンだけでも一時停止して見る価値があります。
なお、このシーンはマイケル・ベイ監督のGMに対する忖度とG1アニメのファンへの目配せが同時に感じられる情報密度の高さです。壁にキャデラック、シボレー、ポンティアック、ビュイック、オールズモビルと、公開当時既に廃止されてしまったもの含めGM傘下の様々なブランドの看板が飾られていますが、その中に「TRUCKS」という看板が混ざっているんですよね。大衆車のシボレー・トラックス(Trax)のスペルではないものが。これが何を、誰を意味するか?
あと、ブガッティとシボレー・コルベット・スティングレイが同じ空間に置かれているというのは、奇しくも次作「トランスフォーマー/ロストエイジ」のキャラクター配置に繋がりますが、これが狙ってか、ただの偶然だったのかは分かりません。もしくはこれがきっかけでブガッティの本格プロダクト・プレイスメント参入が決まったとか?
加えて、シボレー・コルベット・スティングレイ・レーサーは本作でサイドスワイプが変形するシボレー・コルベット・スティングレイ・コンセプトのモデルでもあります。もうネタを2重にも3重にも重ねる車ネタの多重構造。マイケル・ベイ監督の車愛と忖度力が遺憾なく発揮されています。
なぜアイアンハイドは死に、サイドスワイプは生き残ったのか?
ここからは本作の批判ポイントの一つに対する私の推察および反論になります。本作も他のマイケル・ベイ作品と同様に「クソ映画」「差別映画」「ストーリーの不整合」「シーンの不整合」などなど一般常識や知識・教養のあるまともな大人、映画ファン、従来のトランスフォーマーファンからdisられまくっていますが、その中に「なんでアイアンハイドは死んだのにその弟子っぽい新兵のサイドスワイプは生き残っているんだ!不整合じゃねえか!」というのがあります。先述のとおり、本作の真のヴィランはオートボットの元リーダーだったセンチネル・プライムで、それを明らかにした直後、彼は金属を瞬時に錆びさせてしまう「腐食銃」でアイアンハイドを撃ち殺します。
あっと言う間に赤錆が全身に回って朽ち果ててしまうアイアンハイド。これ、人間に例えたら瞬時に体が腐るか干からびるかして朽ち果てるようなもので、これも監督のドSのド変態っぷりがよく表れているシーンです。あと今気付きましたが、これも「レイダース/失われたアーク」と「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のクライマックスの顔面崩壊シーンのパロディなのかもしれません。マイケル・ベイ版トランスフォーマーシリーズの製作総指揮を担当したのはスティーヴン・スピルバーグだし。もしかしてこれも忖度の1つだったとか?
近年、人間の顔面崩壊シーンなどあからさまにグロいシーンは地上波放送の際にカットされるようになってしまいましたが、どんなにグロいシーンでもメカに置き換えれば「グロ」ではなく「機械が壊れた表現」になるのでOK!
ところがアイアンハイド死亡後にサイドスワイプも腐食銃で撃たれるのですが、赤錆が回らず、撃たれた後も動き続け最後まで生き残るのです。
これが「不整合」と言われる描写ですが、彼らが変形する「車」の仕様に着目すれば不整合でもなんでもありません。というのも、サイドスワイプが変形するコルベットは初代から一貫してボディをFRP(強化プラスチック)で作っているから錆びようがないのです。実写版のトランスフォーマーたちがスキャンした車の材質まで自身の体に反映しているかどうかは分かりませんが、この描写は不整合なのではなくコルベットの特長を取り入れた「広告的描写」と取ることができます。もともとコルベットを知っている人やシボレー車のオーナーがこの描写を見れば、きっと「そういえばコルベットのボディはFRP製だったな。じゃあ錆びないよな」と思い出すしょう。人間は一方的に与えられた情報はすぐに忘れてしまいますが、気付いたり、何かを思い出したり、「これってもしかしてこれ?」と考察する能動的な行動は忘れないので、こうしたきっかけを与える描写は広告として非常に巧みです。
でもだからってボディが鉄製のトップキックを殺していいのかよ!と実写アイアンハイドのファンは怒ったでしょうが、当時は既にトップキックが生産終了になった後で、いくら画面に映してアピールしたところでGMの売上には繋がらず中古車屋が儲かるだけです。それならインパクトのある死に様にして絶対に観客の記憶に残るようにした方がマシです。マイケル・ベイ監督はここで1作目のジャズ(ポンティアック・ソルスティス)の手法を再び用いたのだと思います。
改めて本作を見直すと、マイケル・ベイ監督はGMの新車をアピールできないことを逆手に取って、今売りたい商品ではなく車という商品全体の「イメージ」をアピールする作品に持って行ったのではないかという気がします。アメ車、欧州車、SUV、スーパースポーツカー、お買い得スポーツカー、フルサイズカー、消えゆく車、生き残る車、古き良き時代の名車、2000年代に開発された現行車、これから開発されるであろう未来の車、田吾作が好む車、上流階級が好む車……と、あらゆる車を映し、そのカッコ良さと美しさをアピールするという。ただし日本車は除く。
カマロとコルベットが並び立つ後ろにボロボロの星条旗がたなびくラストシーンからは、何が何でも生き延びる!スポーツカー開発は手放さねえぞ!というGMの執念が感じられます。まあバンブルビーの肩に手を置くラチェット(ハマーH2)は現実でも次作でも死にますが。
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