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GM!フォルクスワーゲン!中国!スポンサーが札束で殴り合う大乱闘「トランスフォーマー/ロストエイジ」

私が一般的な映画ファンに「実写トランスフォーマーシリーズで一番好きなのは4作目の『ロストエイジ』だ」と言うと、大抵の場合「お前は何を言っているんだ?」という顔をされます。それも当然、この「トランスフォーマー/ロストエイジ」は、全世界で1100億円以上もの興行収入を記録していながらありとあらゆる炎上を巻き起こし、Rotten Tomatoesの評価で脅威の17%を叩き出してド腐れ映画に認定され、アワードシーズンに先駆けて第9回オクラホマ映画批評家協会賞でわざわざ「明らかな最悪映画賞」を受賞し、続いて第35回 ゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)では最多7部門(最低作品賞、最低助演男優賞、最低助演女優賞、最低スクリーン・コンボ賞、最低監督賞、最低脚本賞、最低リメイク/盗作/続編賞)にノミネートされ、このうち最低監督賞(マイケル・ベイ)と最低助演男優賞(ケルシー・グラマー)を受賞しました。つまり誰がどう見ても駄作中の駄作で、酷評まみれのマイケル・ベイ版実写トランスフォーマーシリーズの中でも突出して評判の悪い作品です。

確かに本作はまともな映画の体を成しておらず、ストーリーも演出もちぐはぐで、もはやマイケル・ベイ監督本人もヤケクソになっていた感すら窺えます。それが2時間45分も繰り広げられるなんてもはや新手の拷問。しかしその一方、監督や脚本家、参加アーティストが好きなものや本当に描きたかったもの、練りに練られた設定が随所にちりばめられ、それを読み解く楽しみ方ができる非常にハイコンテクストな作品であるのも事実で、私はそこに本作の真価が隠されているような気がするのです。というか、随所に散りばめられたオマージュネタがあまりにもてんこ盛り過ぎてどこから書いていいのか分からなくなるほどで、いまだに見返す度に新たな発見があります。本作を見て「退屈」とか言ってる奴はどこに目ェ付けてやがる!こんな極上のスルメ映画があるか!ということで、本作に対する”弁護”を思いっきりブチまけたいと思います。

最大の広告主・中国

もともと実写トランスフォーマーシリーズは、第1作目からシーン内に様々な企業の商品を映し出すことで広告費を得る「プロダクト・プレイスメント」を積極的に行っていました。原作のアニメ自体が玩具の販促のために始まったという歴史があるのでそれは良いのですが、このシリーズの場合、マイケル・ベイ監督がCM畑出身だったこともあってか経済効果もそれなりにあったようで、シリーズを重ねるごとに参画企業が増えていき、遂に本作では40社を突破。その結果、製作費200億円のうち160億円をプロダクト・プレイスメントのみで調達し、映画製作にかかった費用は実質40億円という勘定に。それで世界中で1100億円以上を稼いだのだからどえらい利益率です。このため同作は公開前から公開初週の興行収入がトップになるのがあらかじめ決まっていた映画でした。
そんなスポンサー陣の中でも突出して存在感を示していたのは中国です。それも国家規模で。前作「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」も(当時)ハリウッド史上最多の中国製商品のプロダクトプレイスメントと言われ、レノボのPCやTCLのテレビ等が劇中に登場していましたが、本作では中国の国営放送の中国中央電視台と政府系映画配給会社のChina Movie Channel、Jiaflix Enterprisesが参画し米中合作映画となりました。

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本作が公開された2014年当時は、ちょうどハリウッドにチャイナマネーが大量に流れ込み始めた時期であり、また利益確保のため露骨な中国びいきが始まった時期でもありました。というのも、この当時中国ではもの凄い勢いで国中に映画館が建設され、日本の6~7倍に相当する約2万スクリーンを擁する巨大マーケットに成長、それに伴い急激に映画ファンも激増しました。そこで中国政府も映像クリエイターを養成する学校・学科の設立や資金援助に注力し、加えて国内のクリエイターと映画会社を保護するため海外映画の上映本数を国ごとに制限し、上映する映画も前もって検閲し選択していました。当時のアメリカ映画の年間上映本数は最大25本まで。普通にそこに入るのは至難の業だし、いくら自主規制しても一発で中国共産党の検閲を突破するのはまず不可能です。そこで同作は積極的にチャイナマネーを調達し、米中合作、それも政府系の中国の映画会社と組む作戦に出ます。半分中国映画だから国ごとの本数制限とは関係なく中国全土で上映できるし、政府系企業が参加しているなら中国向け表現規制だってバッチリ。そもそも政府系企業が参加しているということは中国政府の金で映画を製作するようなものなので、事実上の政府公認映画です。こうして米中合作映画となった本作は、アメリカでの興行収入が27億円程度だったのに対し中国のみで300億円以上もの興行収入を記録しスマッシュヒット。ただし、中国資本が入ったことにより様々な中国企業の商品やサービス、ロゴ、中国のスポット、中国人俳優を一定時間シーン内に登場させなければならない制約が課され、それがあまりに露骨なうえにストーリーの進行自体にも影響を与え本作の評価を下げる一因となりました。まあ一因というか主な要因と言っても過言ではないでしょう。
ちなみに日本及び日系企業はほとんど参画せず贔屓もしてもらえなかったにも関わらず、本国アメリカ以上の29億円の興行収入を記録しました。日本のトランスフォーマーファンの熱意が凄いのか?それともチョロいのか…

アメリカ南部の貧困と世代間経済格差

本作は前3作の人間キャラの主演だったシャイア・ラブーフが降板したことにより人間キャラのキャストを一新せざるを得なくなり、「テッド」シリーズなどで知られるマーク・ウォールバーグを新たな主人公に起用しました。当然シャイア・ラブーフに比べおっさんですが、この”おっさん”が実は本作の重要なモチーフであることが後々明らかになっていきます。
物語の舞台は前作から5年後のテキサス。前作でシカゴが廃墟になるほど大規模な戦闘を繰り広げたため、トランスフォーマー達はオートボットやディセプティコンの別なく人間に迫害され、殺傷される憂き目に遭っていました。テキサスで廃品回収業と修理業で糊口をしのいでいる”自称”ロボット発明家のケイドは、廃品回収で赴いた古い映画館の中で故障して動かなくなったトレーラートラックを見付け、それを自宅に持ち帰り解体しようとしますが、それこそトランスフォーマーを迫害する人間が探し回っているオートボット司令官オプティマス・プライムだったのでした。

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このポンコツトラックがオプティマス・プライムで、ドアによじ登っているのがケイド。ヘッドが四角いタイプのトラックなのは原作アニメのオマージュでしょう。

このケイドという人物、その後のシーンで高校卒業の日に娘が生まれたという”できちゃった婚”の地方DQNで、しかも妻は既に死んでいるという寡夫、男手一つで娘を育て上げたものの発明家としては失敗作ばかりで貧困状態、娘の大学進学費用どころか公共料金すら支払えず、家も不動産屋に目を付けられ人手に渡る寸前、そして大事な娘は反抗期中と、マイケル・ベイ作品の中でも稀に見る苦労人であることが明らかになっていきます。
主人公がポンコツ車と出会ったら実はトランスフォーマーでした!という導入部は第1作目を踏襲しており、またその後に新たな味方のトランスフォーマーたちが合流する流れも同様ですが、前の主人公サムがシカゴ郊外の一戸建てに両親と暮らす高校生で、中古車とはいえ親に車を買ってもらえ、後に何の問題もなく大学に進学できていたことを振り返ると、本作のケイドと彼の娘の境遇はあまりにも悲惨です。サムの両親は所謂ベビーブーマー世代で、高卒でも真面目に働けば郊外に一戸建てを購入でき、スポーツカーに乗り、子供を持て、その子を大学に進学させ、海外旅行に行くことができた、”古き良きアメリカ”を享受できた世代です。しかしケイドは狂乱の80年代以後の暗黒の90年代に青春時代を送り、そのまま社会に放り出された文字通り”ロストエイジ”(失われた世代)の第一世代で、しかも北部に比べて貧困率の高い南部テキサスのクソ田舎在住の寡夫。マイケル・ベイ監督にしては現実の問題を如実に反映した設定といえます。まあ「ロストエイジ」は日本独自の副題だから偶然でしょうが。

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加えて彼の娘テッサの境遇も最悪です。彼女は冒頭、友達の車に乗って楽しそうに卒業の日を待ちわびる会話を繰り広げますが、よく見ると友達の車で自宅まで”送ってもらって”いるのです。アメリカの高校生なら、自動車運転免許を取得し何かしら自分の車を親に買ってもらっているもの。それをしていないのは、不法移民で正式な身分証を持っていない人か、教習所に通う金や中古車を買う金すらない貧乏人くらいです。この時点でテッサが貧困状態にあることが分かるのですが、その直後にたたみかけるように大学への進学意思があるのに奨学金を打ち切られたこと、生活能力の乏しい父親の代わりに家事全般を行っていること、免許がないせいかレーサーのシェーンと密かに付き合っていることが明らかになるうえ、この彼氏もまた最底辺にいるであろうことが示唆されます。シェーンは、後のピンチのシーンに突然現れて愛車で素晴らしいドライビングテクニックを披露しますが、実はそれ以前のシーンでテッサとSkypeで会話しており、その画面に初代シボレー・コルベットを整備している姿が映っているのです。

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丸型二灯のライトからV8エンジンが標準搭載された1956年以降の後期型であることが窺えますが、この後期型初代コルベットは後に2019年公開のスピンオフ作品「バンブルビー」でフィーチャーされます。

実はシェーン、レーサーとか言って本当は整備士が本業の週末レーサーなのでは?例えるなら「フォードvsシボレー」の冒頭のケン・マイルズみたいな…

「フォードvsフェラーリ」に見るアメリカと欧州の車文化の違い

だいたい彼が愛車としているシボレー・ソニックは大衆向けのコンパクトカーで、シボレーブランドとはいえGMが買収した大宇(現:韓国GM)が開発・生産している実質韓国車。それをレース仕様に改造していることから、彼の活動フィールドは本当にストックカー(市販車)、それも小型大衆車で競争する地方の草レースであることが推察できます。それ一本で自立して生活するなんていくらスポンサーが付いてもまず無理でしょう。

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小型大衆車で大型SUVやランボルギーニの追跡から逃げるカーチェイスは序盤の見どころの一つですが、やはり逃げ切れるはずもなくあえなく廃車に。でもシボレー・ソニックの宣伝としては完璧でした。

シェーンは成人なのに未成年のテッサに手を出し、それをケイドに咎められると「ロミオとジュリエット法」(成人が未成年と交際しても年齢差が4歳以下なら罪に問われないというテキサス州法)を出して真っ向から反論する、よく考えると非常にヤバい奴ですが、後の台詞で幼少期に父親が蒸発し、彼もまた一人親家庭で育ったであろうことが明らかになります。さらにケイドとの会話でシェーンがアイルランド系であることが示されるのですが(こうしたキャラのルーツを殊更ネタにしたのも本作の炎上案件の一つ)、アメリカ南部でアイルランド系といえば、1845年に端を発するジャガイモ飢饉によってアメリカに逃れたのち、大規模な土木建築作業など黒人奴隷の農園労働と同等もしくはそれ以上に危険で過酷な仕事に従事させられ、奴隷以下の価値と見なされていた白人社会の最底辺だった人達。その経済格差は世代を超えて続き、今でも南部のHillbilly(ヒルビリー/どん百姓)・White Trash(ホワイトトラッシュ/クズ白人)はアイルランド系であることが多いという、もう底辺オブ底辺です。そんなド底辺な連中と一緒にいるのがポンコツトラックとなってしまったオプティマス・プライム。もうどこまで行っても底辺。どうあがいてもクソ。

レッドネックとmakerの融合

このように実にしみったれたキャラ構成でスタートする本作ですが、序盤に随所で物語を進める”推進力”となる重要な設定が示されます。それはケイドが地方住みの高卒で、シボレーのピックアップトラックに乗り、野球帽をかぶり、自宅の玄関やガレージに星条旗を掲げ、バドワイザーを飲む典型的なRedneck(レッドネック/アメリカ南部の田舎に住む低学歴低収入の保守的な貧困白人の蔑称)でありながら、その一方でTechギーク、それも頭と手を同時に動かして何かを作ったり直したりできる「maker」(メイカー)であることです。
この言葉と概念は2005年にアメリカで発刊されたテクノロジー系DIY雑誌「Make:」により一般的になりました。

日本語版も出版されており、実は私も読んでいます。

「Make:」はアメリカに根付くDIY精神を背景に、従来の日曜大工やハンドメイドには無かったデジタルデバイスや電子機器をも組み合わせたもの作りを紹介する初めてのDIY雑誌で、発刊されるやアメリカ中で愛読し即実践するmaker達が現われ、早くも発刊翌年の2006年にサンフランシスコのベイエリアでmaker達の作品発表・頒布および交流イベントとして「Maker Faire Bay Area」が開催されました。そのムーヴメントは世界中に広がり、コロナ禍以前は日本を含む世界中の各都市でMaker Faireが開催されていたものです。
劇中冒頭で示された”できちゃった婚”という設定から、ケイドの最終学歴は高卒で、もの作りの技術は全くの独学で身に着けたであろうことが推察できますが、それで挙動が不安定とはいえ自力でロボットを作ることができ、大昔の様々なガジェットを修理でき、娘のテッサにプログラミング教育をも施しているとは、彼のTech技術者としてのスキルは本物です。ただそれをトウモロコシ畑が広がるクソ田舎でやって周囲に正当評価されるわけがない!そういうのはシリコンバレーでやるか、せめてテキサス内でもTechとエンタメの祭典「SXSW」の開催地であるオースティンでやれ!と思ったら、ケイドのガレージにしっかりSXSWのポスターが貼ってあるんですよね。

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もしかしてケイドはSXSWの参加者とか?

加えてケイドのガレージはまさにmakerの天国そのもの!大型トラックを丸ごと入れられるほど広い面積と天井高に、もの作りに必要なありとあらゆる道具と材料が揃っている最高の環境なのです。

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劇中、テッサは貧乏な我が家を嘆きますが、これの一体どこがダメなんだ!むしろこの世の天国じゃないか!と鑑賞中ずっと思っていました。私もこんな場所に住みたい。

やがてケイドは戦いの最中に敵のガジェットを鹵獲して改造したり、未知のテクノロジーであるトランスフォーマー達の能力や装備をロクな説明もなしに使いこなしたりと大活躍します。この点も「なんでテキサスのレッドネックが突然トランスフォーマーの装備を使いこなせるようになるんだ!」と批判されていましたが、そういうことを言う人は自分の手を動かしてものを作ったり直したりしたことがない人です。自力で何かを作ったり直している人は、たとえそれまで見たことや触ったことがないものに出会っても培った経験と勘でなんとなく構造を理解して動かせるものです。なぜなら頭であれこれ理論的に考える以前に手と体が基本的なものの構造を理解しているから。なのでケイドとトランスフォーマー達の装備の描写はむしろmakerという彼の設定を上手く生かしていたと思います。
通常、ケイドに設定されたレッドネックとTechギークの属性は最も相容れない”人種”とされていますが、もしかしたら現在のテキサスの地域経済を反映した設定だったのかもしれません。テキサスは前述のとおりアメリカ南部の地方で、住民の多くが低学歴・低収入で保守的なレッドネックというイメージを外部から持たれているし実際そうではあるのですが、ダラスやオースティン、ヒューストンといった同州内の各都市はそんなイメージから脱却するため、様々なIT企業やゲーム企業を誘致すると共にTech系のスタートアップ支援を行い、前述のSXSWを毎年開催し、特にヒューストンはNASAの施設があることから多くの宇宙系スタートアップがオフィスを構える街として知られるようになっています。おそらくケイドはアメリカの現状と現在のテキサスという地域そのものを象徴するキャラだったのでしょう。

到富譚と戦争難民

これらに加えて印象的なのは、本作の物語全体が世界中の神話や御伽噺の定番の一つである「到富譚」の形式を取り、かつ「ポンコツとの出会いで大冒険が始まる」という導入部を明らかに「アイアン・ジャイアント」及び「チキ・チキ・バン・バン」といった既存作品のオマージュとしていることです。ポンコツと出会って大冒険は第1作目でも同様ですが、サムは父親に中古のカマロ(バンブルビー)を買ってもらうものの、それを自分で整備する描写は一切なく、バンブルビー自身が最新式カマロ(コンセプトモデル)を再スキャンすることでピカピカの新品の体をGETします。一方本作では、ケイドはボロボロに朽ちたトラック(オプティマス・プライム)を見付け、それが人間から追われているトランスフォーマーだと分かった後もガレージに匿い自分の手で修理(治療)し、その過程で彼が自我を持つ知的生命体であると理解し友情を育んでいきます。この、「困っている人間以外の知的生命体を助けて友情を育む」という導入部はほぼ「アイアン・ジャイアント」そのままです。

テッド・ヒューズ著「アイアン・マン-鉄の巨人-」を原作とした1999年公開のアニメ映画。興行収入は振るわなかったものの各アワードで大絶賛され、監督のブラッド・バードはこの実績を携えてピクサーに移籍し「Mr.インクレディブル」、「レミーのおいしいレストラン」の監督を務めました。

「アイアン・ジャイアント」のテーマは実存主義です。アイアン・ジャイアントを見た大人たち、特に政府の役人は、彼の本質である「戦闘ロボット」にのみ注目し危険な存在と見なしますが、彼を助けた少年は、彼が戦闘ロボットである以前に自我を持った生命体で心優しい性格であると認識し、またアイアン・ジャイアントも少年と友情を育む情緒や夢、信念を持ち、本来の自分が持つ能力を戦うためではなく大事な人を守るために使います。まさに「実存は本質に先立つ」。他者より与えられた「戦闘ロボット」という本質を超えて、「自分はこうである/こうしたい」という実存に従い自身の行動を決定するのが真の知的生命体です。
本作のオプティマス・プライムをはじめとするトランスフォーマー達とケイドの関係に於いても実存主義がキーとなっています。人間たちはオートボットもディセプティコンも関係なく彼らを危険な戦闘ロボットという「物」であると見なし、殺し、その死体をもただのパーツとして分解・解析し自分達の技術に取り込み、彼らが人間と同じ知的生命体であると認めません。その一方、ケイドはオプティマス・プライムと出会ってすぐに理論も哲学もすっ飛ばして直感で自分達と同じ自我(劇中では"Soul"と表現)を持った知的生命体であると理解し、同じ「手のかかる子供に四苦八苦するおっさん」として共感し合い、友情を育みます。そんなケイドの、おそらく自身も自覚していないであろうインテリジェンスを端的に表した台詞が、映画館でオプティマス・プライムを見て最初に口にした台詞「What happened to you?」(お前何があったんだ?)です。この時点で彼はそれがオプティマス・プライムだとは勿論知りません。それでも、廃車同然のポンコツトラックにさえ感情移入し、まるで人間と話すように"you"と呼びかけている時点で、ケイドがただのレッドネックではなく、他者に共感できる優しさと知性を兼ね備えた人物であることが分かります。
なお、「アイアン・ジャイアント」へのオマージュは、これまた後に2019年公開の「バンブルビー」にも引き継がれることとなります。

また、技術力はあるのにそれを金に換える力のない寡夫の発明家がポンコツ車を修理して大冒険した結果なんだかんだでハッピーエンドという設定とストーリーは、「007」シリーズの原作者で知られるイアン・フレミングが唯一執筆した童話「チキ・チキ・バン・バン」およびそれを原作とした同名映画とほぼ同様です。

「チキ・チキ・バン・バン」の舞台は20世紀初頭のイギリスで、寡夫で子持ちの発明家ポッツが、廃車置き場に放置されていた元レース車「チキ・チキ・バン・バン」をあり合わせの材料で修理し子供と海にピクニックに出かけて空想の冒険話を語って聞かせ、最後に思いを寄せていた富豪の令嬢トゥルーリーと再婚するというストーリーです。この作品の冒険シーンは全て海に浮かぶヨットを見ながらポッツが空想したもので、登場人物の名前やイメージ、またロケ地がドイツのノイシュヴァンシュタイン城であることから「60年代当時もイギリスの仮想敵国はドイツだったんだなあ…」というのが察せるのですが、それを踏まえてチャイナマネーで米中合作映画となり、終盤中国へ渡って大アクションを繰り広げる「ロストエイジ」を鑑賞すると実に辛辣な風刺と皮肉が透けて見えてきます。現代のアメリカが経済的に頼らざるを得ないが、一方で”仮想敵国”なのは…

余談ですが、「チキ・チキ・バン・バン」の冒頭のレースシーンが子供向け映画とは思えないくらいガチなので是非ご覧下さい。これは20世紀初頭のレースの再現ですが、当時の車はオープンタイプがデフォルトなのにレーサーはゴーグルと帽子だけでヘルメットなんて当然なし。なのにレース車はスピード重視で航空機用の大出力エンジンを積んでフルスピードで爆走し、観客もコースギリギリのところで鑑賞。こりゃ死者が出て当然です。

本作はこれら名作として知られる作品を踏襲し、神話や御伽噺によくある「到富譚」、それも「生活に困っている貧乏人が余計なことをしたらそれがハッピーエンドに繋がって結果オーライ」なパターンを取っていますが、更にそこに「移民・難民の流入」という現実の問題も被せる多重構造っぷりを見せてきます。
もともとトランスフォーマーという長寿IPは、初代アニメから一貫して「内戦で故郷を荒廃させた2つの陣営が惑星外にも戦火を拡大させ、地球に飛来してもなお周囲を巻き込み争い続ける」という、実にハードな設定を持っています。つまりトランスフォーマー達は自分達の手で故郷を破壊してしまった戦争難民でもあるのです。もっとも初代アニメはそんなハードな設定を忘れるくらい爆笑に次ぐ爆笑の神回かつカオス回ばかりの傑作なのですが、同作はその基本設定を2014年当時のアメリカ、それもテキサスをスタート地点に明確に描いています。劇中の設定では、トランスフォーマー達は前作のシカゴでの戦いのせいで自身が所属する陣営に関係なく人間に追われる身となっており、それが国中に掲示されたプロパガンダポスターで示されますが、そのデザインが第二次世界大戦当時や冷戦当時のプロパガンダポスターの雰囲気で、戦争を想起させる気満々なのです。

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トウモロコシ畑に立てられた「リメンバー・シカゴ」の看板。プロパガンダポスターで「リメンバー」ときたら…

加えて2014年というタイミングで、よりによってテキサスからスタートするストーリーに「知的生命体なのにそうとは認められず物扱いされる者たち」と「難民」のモチーフを持ってくること自体がなかなかに攻めています。そんな作品の中で、保守的で人種差別的というステレオタイプを持たれているテキサスのレッドネックを、戦争難民となり飛来した地球においても追われる身のトランスフォーマーを家に匿い、修理し、交流し、助け合い、結果的にハッピーエンドを迎えるキャラとして描くことにどれほど重い暗喩が込められているか。マイケル・ベイ監督は米軍をカッコ良く描くこともあり右翼的な映画監督だと批判されることの多い人ですが、はたして右翼的な人がこんなキャラ演出をするでしょうか?私はむしろこのケイドというキャラにこそ2014年当時の監督のメッセージが隠されているように思えます。

擬人化コンテンツとしてのトランスフォーマー

先にも書きましたが、実写トランスフォーマーシリーズは企業の商品を映し出すことで広告費を得る「プロダクト・プレイスメント」を採用しているビッグバジェット映画で、現時点で第一作目より一貫してGM(ゼネラル・モーターズ)が筆頭広告主となっています。ところが本作公開当時のGMは、前年2013年末にアメリカ財務省が同社の全保有株を売却して国有化を解消し、翌2014年1月に大手自動車メーカー初となる女性CEOのメアリー・バーラ氏が代表に就任したものの、まだ完全復活とは言い難い状況でした。というのも、脱国有化のためもともと大リストラを行っていたところに更に資産を売却し、新代表就任直後の同年2月にリコール隠しが発覚したからです。これは経営破綻以前から行われていたことなので新生GMの不正ではありませんでしたが、これが表面化したことにより同国運輸省より3500万ドル(約38億円)もの制裁金を課されることとなりました。本シリーズはなぜこうも毎回毎回公開年と筆頭広告主のボロクソ案件のタイミングがピッタリ重なるのでしょうか?こんな状況だったので、GMは新車をアピールする以前にリリースすること自体が難しくなり、筆頭広告主でありながらメインキャラとなるオートボットへの起用が既存の主役格のバンブルビーを含めて僅か2台、それもシボレーのみという残念な事態に。第一作目はオプティマス・プライム以外のメインキャラのオートボット全てがGM傘下の、それも様々なブランドの様々な車種だったのに…

フォードVSシボレー アメ車業界のメタファーとしての実写版「トランスフォーマー」

ということで本作では新登場のオートボットにGM以外のメーカーの車が起用されたのですが、この車選びがとんでもなくハイコンテクストで、起用車の仕様やイメージのみならず、その車の歴史、さらにはメーカーの歴史までがキャラ設定およびデザインに反映され、そのうえそれら全てが「難局を生き延びたトランスフォーマー」という本作のストーリーにバッチリはまっているという見事さで、もはや「車擬人化コンテンツ」と言っても過言ではないくらいです。そのあまりの要素の反映っぷりに、私は鑑賞中に何度も「これトランスフォーマーだよな?『艦これ』じゃないよな?もしかしてマイケル・ベイ監督って提督?」と思ってしまったくらいです。
人ではないものをモチーフとし、その要素を全てキャラ設定とデザインに反映させ、「さあいろんなキャラを揃えたぞ!どれでも好きなのを選んで存分に萌えるがよい!」と提示する擬人化コンテンツは『艦これ』のヒット以降大量に作られジャンルとして定着し、今現在も『ウマ娘』が活況です。しかし考えてみれば、その元祖は初代アニメ(G1)のトランスフォーマーだったのかもしれません。登場キャラのほとんどが実在の車や航空機、武器、ガジェットで、それらが変形してロボットになるのだから。おそらくトランスフォーマーをきっかけに車や戦闘機、ミリタリーに目覚めた人も世界中にたくさんいるのではないでしょうか?

オプティマス・プライム(73 マーモン・キャブオーバートラクター→ウェスタンスター・トラックス・5700カスタム)

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オートボットの司令官にして、本作ではバンブルビーより主人公トランスフォーマーっぽくなったオプティマス・プライム。過去作ではピータービルドのトレーラーヘッドでしたが、本作では錆びだらけのポンコツトラックで登場し、逃避行の道すがらすれ違いざまにピカピカの新車のトレーラートラックをスキャンして新たな姿を手に入れます。まるで脱皮するかのように錆びだらけのボディを脱ぎ捨て、鮮やかなファイアーパターンが輝くそのシーンは「美」以外の何物でもない美しさ!このシーンだけでも本作を見る価値があります。で、新しい姿になってロボット形態に変形すると、なぜか曲線を多用した有機的…というか、ボンッ!キュッ!ボンッ!な爆乳ワガママボディに。なんで?一応本作以降のオプティマス・プライムのデザインモチーフは西洋の騎士で、武器もソードや盾が新たに追加されますが、これまでの原作アニメを彷彿とさせる角ばったボディから一気にイメージチェンジしました。ちなみにこの「西洋の騎士」というデザインモチーフは次作「最後の騎士王」に繋がりますが、彼のもとに再集結したオートボット達、久々に会った上官がいきなり爆乳にイメチェンして内心驚いていたんじゃないでしょうか?

バンブルビー(初代シボレー・カマロ→2014年版シボレー・カマロ・コンセプトモデル)

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今まで主役格トランスフォーマーだったのに、本作ではオプティマス・プライムとダブル主役的な扱いになったバンブルビー。それもそのはず、2014年時点でまだGMは新型シボレー・カマロのリリースにGoサインを出していなかったからです。ということで本作は、初代モデル、それもリリース年の1967年式の最初期のカマロと、まるで第一作目を踏襲するかのように市販されていないコンセプトモデルをバンブルビーに割り当てて新旧カマロを見せました。
もっとも、後述する2014年リリースのシボレー・コルベット・スティングレイC7の高評価によりGMは完全復活をアピールし、翌2015年5月に無事6代目新型カマロを公式発表。こちらもコルベット同様に好評で、2017年に高性能バージョン「ZL1」をリリースし、さらに翌2018年にレース走行に最適化した「ZL1 1LE」をリリースしました。その際、アメリカでも若者の車離れが問題になる中、カマロだけは購入者の年齢層において20代が28%と最も多くなっており、子供の頃に実写トランスフォーマーを見た世代が車を買う年齢に達し、カマロを選んでいるという記事も公開されました。

シボレー・カマロを20代の若者が最も多く購入している理由とは?

なお、本作でも「カマロは若者向けマッスルカー」であることをアピールするためか、バンブルビー登場後に主に彼に乗り込むのがケイドの娘・テッサとその彼氏シェーンなのです。(おそらく)貧困家庭のため自分の車を持っていない女子高生と、それまで韓国産の小型大衆車シボレー・ソニックに乗っていたレーサーのカップルがカマロに乗り込む。なんとアツく夢溢れる展開でしょうか。っつーかもはやあざとい!でもそれでいい!だってカマロはフランス語の古語で「友達」という意味だから。なのでバンブルビーはどの作品でも人間キャラに最も近く親しい友達ポジションなのでしょう。

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突然話は変わりますが、リュック・ベッソン監督は以前よりトランスフォーマーのファンで、1994年公開の映画「レオン」の冒頭にて、ヒロインのマチルダが初代(G1)アニメを見ているシーンを加えました。そしてマイケル・ベイ監督はそれに対するアンサー的なオマージュシーンを本作に加えました。それがこれです。

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これが…

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こう
「好き」のバトンが繋がっていく感じがステキですね。

以下より本作から新登場のオートボット3名ですが、ご覧のとおり過去作とデザイン方針が一変しており、それぞれ一目見て人間の姿を模していると分かるヒューマノイドになっていて一層”擬人化感”が感じられるキャラになっています。

ハウンド(オシュコシュ・BAE Systems FMTV Cargo 6x6)

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ハウンドはアーミーベストを纏い全身に武器を搭載した重装歩兵で、迷彩柄モスグリーンのオシュコシュ社製6輪軍用トラックに変形します。体が金属でできているのになぜか肥満体のデブで、ヘルメットを被ったヒゲ面なのが特徴。ちなみにヘルメットに見える部分は着脱可能で下はハゲ頭です。機械の体なのにデブ、ヒゲ、ハゲとはこれいかに?そんなキャラが立ちまくった見た目の通り本作のオートボットの中で年長者のベテラン兵です。
彼のモチーフは初代アニメでジープに変形する同名キャラ。アニメ版ハウンドは、軍用車両のジープをスキャンしながらも地球の自然に魅了され博物館に行ってしまうような好青年キャラで、実はアニメの初期で最初に人間と仲良くなるのはバンブルビーよりもハウンドの方が先でした。

アニメ版ハウンドの玩具はジープの公式版権を取得しています。

本作のハウンドが一目でオッサンと分かるデザインになったのは、オシュコシュ社が創業1917年の超・老舗企業だからでしょう。日本では創業100年以上の老舗企業は別に珍しくありませんが、独立からわずか245年しか経過していないアメリカで創業100年超えの企業は非常に貴重で、同社はまさにアメリカの”はたらくくるま”の歴史と共に時代を越えて「生き延びた」企業といえます。
オシュコシュ社は1917年にウィスコンシン州オシュコシュにWisconsin Duplex Auto Companyという社名で設立されました。オシュコシュは森が多く、ヨーロッパから移住した入植者は街の中に流れる川の水運を活かして木材を運び、木材産業を発展させていきましたが、アメリカが西部開拓時代を迎えると新たに家を建てるための木材の需要が高まり、開通した大陸横断鉄道の輸送力も相まって建設市場が急成長。その需要を支えるためオシュコシュ市内には多くの製材所や建築資材工場が軒を連ね、「世界のおがくずの首都」と言われるまでになりました。オシュコシュ社はそんな地域経済を背景に、最初は森で伐採した木を運んだり、製材した木材を船や汽車まで運んだりする大型4輪駆動トラックを開発していましたが、それから時が経ち、アメリカ沿岸警備隊向けに飛行場向け消防車を開発することで公用車市場に参入。続いて1976年に陸軍からM911戦車運搬車の大型受注を取り付け、以後軍需企業として知られるようになっていきます。
面白いことに、このオシュコシュ社の沿革を踏まえて改めて実写ハウンドを見ると、初代アニメのハウンドと「逆」になっていることが分かります。アニメ版ハウンドは軍用車両のジープをスキャンしたにも関わらず地球の自然に興味を持ちましたが、実写ハウンドが変形するトラックを開発するオシュコシュ社は、自然の中で働く人向けの車両から始まって軍用車両に行ったのだから。アニメ版ハウンドがミリタリー→自然なら、実写ハウンドは自然→ミリタリーです。加えて、実写ハウンドははじめのうちこそケイドたち人間を警戒するものの、共に過ごすうちに打ち解け、テッサが敵に捕まった時は必ず助けるんだと主張し、ラストでは人間たちを守りながら持てるスキルを全て駆使して孤軍奮闘するアツいバトルを繰り広げ、何度も死亡フラグをおっ立てては片っ端からへし折り最後まで生き残ります。その姿は「最初に人間と仲良くなる」アニメ版ハウンドを引き継いでいるとも言えるし、軍用車両の広告としてはバッチリ過ぎるほどバッチリです。
なお、前述のようにハウンドは肥満体ですが、本人の台詞「I’m a fat ballerina!」の通り実はムチャクチャ”動けるデブ”で、そのうえ三連ガトリング砲といった大型銃火器から拳銃、果てはナイフに葉巻代わりに口にくわえた実包まで、ありとあらゆる種類の武器を使いこなせ、遠距離攻撃も接近戦も何でもできるオールラウンダーの戦士であることが終盤のバトルで明らかになりますが、これはJ.R.R.トールキンの「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」以降に定着したパーティ編成における「ドワーフ枠」でしょう。

「指輪物語」では、剣が使える人間(接近戦)、弓が使えるエルフ(遠距離攻撃)、何でもこなせてスタミナもあるドワーフ、魔法が使える魔法使い、体が小さくて特殊能力も特にないけれどコミュ力があって機転が利き、ストーリーを動かすキーマンとなるホビットがパーティを組みますが、同作品の発表以降、このパーティ編成は他の小説や漫画、アニメ、ゲーム、映画、ドラマなどあらゆるコンテンツに継承・応用され定番化していきます。ハウンドはずんぐりむっくりな体形なうえにヒゲ面でまさにドワーフのイメージそのまんま。ちなみに後述するドリフトは二刀流の剣士で、クロスヘアーズは二丁サブマシンガンを乱射するガンマンなので、本作のキャラ設定は見事にこの定番を踏襲しているといえます。じゃあバンブルビーはホビット枠ですかね?

なお、本作の宣伝効果の賜物かどうかは不明ですが、オシュコシュ社は本作公開翌年の2015年に米軍と約67.5億ドル(約7300億円)の同社史上最高額の大型契約を締結します。それは奇しくも、後述する軍医ラチェットが変形するハマーの元となった軍用車両ハンヴィーの後継車両の開発計画でした。

ドリフト(ブガッティ・ヴェイロン・グランスポーツ・ヴィテッセ/シコルスキー・S-97)

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ドリフトは元ディセプティコンでオートボットに鞍替えしたという設定の二刀流の侍で、シコルスキー・S-97に似たヘリコプターとブガッティ・ヴェイロン・グランスポーツ・ヴィテッセの2種類に変形できる「トリプルチェンジャー」です。見てのとおり鎧武者の様な風貌で、オプティマス・プライムを「Sensei(先生)」と呼んで慕い、短歌を詠み、一見冷静沈着なように見えてすぐにハウンドの挑発に乗って抜刀し、バンブルビーと喧嘩をしてこれまた首根っこに刃先を押し付け、「無駄な戦いを避けるべき」と言った直後に真っ先に攻撃するなど瞬間湯沸かし器型のド短気な奴です。
彼の初登場はアニメではなくアメコミで、白と赤を基調とし耳がウサギのように尖っているという、実写映画とはまた別方向に日本的なデザインのキャラです。

ドリフトが登場するアメコミは既にヴィレッジ・ブックスより日本語翻訳版も刊行されているのでオススメです。

で、この実写ドリフトが人種差別的だ文化盗用だと大・大・大炎上。本作の評判を地に叩き落した主な原因は彼の炎上沙汰と言っても過言ではありません。主な批判ポイントは「欧州のスポーツカーがなんで侍キャラなんだ!逃亡中にクロサワでも見たのか!文化盗用だ!」「こいつだけ顔がゴールドなんてイエローフェイスだろ!」「侍キャラなのに名前が英語でDriftなんてどういうつもりだ!」「中国資本なのに日本的なキャラを出すなんてアジアをごっちゃにしてるだろ!」「こんな胡散臭い侍にしやがって!アメコミの方がカッコいい!」などなど。
時折しも、公開当時の2014年はちょうど「文化盗用(Cultural Apropriation/カルチュアル・アプロプリエーション)」が問題になり始めた時期でした。「文化盗用」とは、ある特定の文化圏の要素を他の文化圏の人が十分なリサーチや敬意を欠いた状態で使用する行為のことで、その社会で少数派にあたる人々の文化に対して行った場合、多数派が少数派を”利用”したと見なされ批判の対象となります。大概の場合、もとの文化圏の文脈から外れ歪められて使用されることが多く、文化盗用は対等な文化交流ではなく植民地主義的行為であり「文化への冒涜」であるとされています。
また、「イエローフェイス」は、黒人以外の演者が黒人を演じるために施す舞台メイクと、それに起因する演者および演目になぞらえた言葉で、アジア人以外がアジア人を演じることを指します。ブラックフェイスは黒人差別的なエンターテイメント「ミンストレル・ショー」にて使用されて流行し、やがてその枠から外れて独自のスタイルとなりましたが、黒人の公民権運動の高まりにより消滅していきました。「ミンストレル・ショー」については既に「トランスフォーマー/リベンジ」の記事で書いたのでそちらをご参照下さい。

一般大衆に夢を見せてコルベットを作れ!どん底GMの起死回生広告「トランスフォーマー/リベンジ」

実写ドリフトがイエローフェイスな人種差別的デザインだったのか?はたまた文化盗用だったのか?実はこれを書いてる今も私自身落としどころが掴めていません。ただ確実に言えるのは、このキャラクターがブガッティというブランド、およびヴェイロンという車の全要素を盛り込み徹底的に作り込まれていたことです。

まずなぜ彼の顔がゴールドだったのか?それはブガッティ・ヴェイロンが日本円にして2億7000万円の当時最高額の超ラグジュアリー・ハイパースポーツカーで、購入者の要望に応じて内部パーツや内装のみならず外装にまで純金を使用するような車だったからです。その高級っぷりを最も視認しやすい「顔」でアピールしたと思えば、そうした広告的表現として納得できます。だって2億7000万円ですよ?歴代実写トランスフォーマーシリーズだけでなく世界中の映画のプロダクト・プレイスメント事例でも最高額でしょう。こんな高級車を提供されたら、たとえシリーズの筆頭広告主がGM・シボレーでも相当にキャラと腕が立ったオートボットの戦士として起用せざるをえません。
実際、このヴェイロンという車は価格のみならずスペックも桁外れで、リリース当時どの国のどの媒体のどんなメディアや業界人も大絶賛しかしないという異常事態となりました。毒舌で知られ世界一辛辣な自動車評論家と言われているジェレミー・クラークソンでさえ「文句の付けようがない」と手放しで絶賛し、当時自身が司会を務める英BBCの自動車バラエティ番組「Top Gear」でシーズンをまたぎ複数回にわたって特集で取り上げました。

20 years of Clarkson: Bugatti Veyron 16.4 review (2005)

Top Gearにブガッティ・ヴェイロンが初登場したのはシーズン7のエピソード5で、フランスからイギリスまでセスナとヴェイロンのどちらが早いか競争するというおバカ企画でした。現在Amazon Prime特典で視聴できるので是非ご覧下さい。

ヴェイロンはフォルクスワーゲン傘下のブガッティ・オトモビルより2005年にリリースされた(当時)世界最高額にして超絶ハイスペックなハイパーカーでした。1998年にフォルクスワーゲンがブガッティのブランド名を取得しブガッティ・オトモビルを設立した際、フォルクス・ワーゲン会長のフェルディナント・ピエヒ氏は「今後数年以内に1000馬力で400km/hを出せるハイパーカーを開発します!」と宣言。当然車業界は「んなことできるか!」と半信半疑でしたが、ご存じのとおり宣言からわずか5年でブガッティはそれを実現します。まず同社は同じくフォルクスワーゲン傘下のアウディのV8エンジン2つを結合させW16エンジンを開発し、4基のターボチャージャーを搭載してハイパワーを実現。その冷却のためラジエーターを10個も搭載し、カバーすら付けずエンジン部分を剥き出しにしました。雨が降ったらどうすんだ!と思いますが、そもそも2億7000万円の車を雨の日に乗り回すバカなんていないからOK!

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こちらはハイクオリティ・スタチューメーカーのプライム1スタジオが製作したドリフトのスタチューですが、前側は甲冑風の外装で覆えているのに対し、後側はぜんぜん覆えておらず体内部のメカが結構露出していることが分かります。もしかしたらこの外装デザインはエンジン部分を剥き出しにしたヴェイロンの構造を反映していたのかもしれません。

このハイパワーW16エンジンのお蔭で、ヴェイロンは発進から100km/h到達までわずか2.5秒、200km/h到達まで7.3秒、300km/h到達まで16.7秒、そして最高速度407km/hという凄まじい加速力を持ちました。アクセルを踏んで10秒未満で200km/hなんて尋常ではありませんが、このヴェイロンの加速力を鑑みると、ドリフトの何かとすぐに抜刀し臨戦態勢になるド短気な性格は、この爆発的な加速力を反映しているのではないかと推察できます。

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劇中でも何かあったらだいたい2秒くらいで喧嘩もしくは戦闘。

ところが、ここまで加速力が凄まじいとそのスピードで車体が浮き上がって非常に危険な状態となります。他の車メーカーやブランドでは、地面に車を押し付けるため航空力学に基づいてボディ形状をデザインするものですが、なぜかフォルクスワーゲンの上層部は先のジェレミー・クラークソンが「バスタブみたい」と表現した丸っこいツルンとした基本デザインを変えようとしませんでした。そこで開発チームは、ヴェイロンが220km/hに到達したところで自動的にノーズが50mm下がり、リアスポイラーが展開する”変形”機能を実装します。ここまでくるともはやヴェイロンが実写トランスフォーマーに起用されるのは運命だったと言えるでしょう。

なぜ本作にブガッティ・ヴェイロンが起用され、ここまでキャラの立った作り込みが為されたのか?それはシリーズ2作目「トランスフォーマー/リベンジ」で同じくフォルクスワーゲン傘下のアウディの高級スポーツカー「アウディ R8」をビークルモード状態で真っ二つにした前科があったからと思われます。この扱いに当然フォルクスワーゲンはヘソを曲げ、玩具化の際に版権許諾をしてくれなくなりました。
この前科を持ち出し「てめえら今度ウチの車を雑に扱ったらただじゃおかねえ!しかもハイパーカーのブガッティ・ヴェイロンだぞ!勿論オートボットにするよな?そんで観客が一度見たら絶対忘れられないようなキャラにしろ!」とフォルクスワーゲンが注文したことは想像に難くありません。だいたい2億7000万円の車なんて、これまでシリーズに登場した全てのGM車の価格を全部足してもまだ足りないくらいで、当然それなりの広告費が提供されたはずです。まあドリフトは元ディセプティコンで後からオートボットに鞍替えしたという設定があるのですが。フォルクスワーゲンはドイツの車メーカーだからやはり…

そこでやはり気になるのは、なぜ侍キャラになったのか?そしてそこに人種差別と文化盗用はあったのか?ということです。

ブガッティと日本の縁

そもそもブガッティは、1909年にイタリアの技術者エットーレ・ブガッティがアルザス(当時ドイツ領)に設立した車メーカーでした。彼の製作する車の特長は、材質に軽合金を多用するなど当時の最新技術を積極的に取り入れていたことと、高性能であると共に部品の一つ一つに至るまで”美しさ”を追求していたこと。そのためエンジンも一から開発した独自設計で、市販車は当時のセレブや富豪に愛好され、レースではフランス・グランプリでの勝利に始まり、第1回~3回モナコグランプリでの3年連続優勝などの輝かしい成績を残しました。
実はこの当時から既にブガッティと日本には縁がありました。それはGHQをして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた政治家・実業家の白洲次郎氏。彼はケンブリッジ大学留学中にエットーレ・ブガッティの最高傑作と言われるブガッティ・タイプ35を所有し乗り回していました。おそらく当時ブガッティを所有していたアジア人は彼だけだったでしょう。

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このブガッティ・タイプ35はブガッティの最も成功した車とされており、欧州のカーレースを荒らし回り1,000勝以上の勝利を記録すると共に、機能美も兼ね備えた造形美も高く評価されている名車です。

車で成功したエットーレは、そのノウハウを基に気動車と飛行機の開発にも手を出しますが、これが彼の人生と会社の凋落の始まりでした。まず商業的に失敗し業績が下向きになり、そこに追い打ちをかけるようにテストドライバーだった息子がテスト中に事故死。さらに第二次世界大戦勃発で工場は破壊され、戦後まもなくエットーレは失意の中他界します。その後も会社としてのブガッティは細々と飛行機用エンジンを開発しフランスのイスパノ・スイザに納入して食いつないでいましたが、1963年に同社に吸収されメーカーとしてのブガッティはここで一旦消滅してしまいます。

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ブガッティ・タイプ35は「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」にも登場しているので是非一時停止して見てみて下さい。

シボレーvsフォードvsフェラーリvsベンツ! ただし日産、テメーはダメだ! 「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」

しかしこの初代ブガッティ設立から78年後の1987年、イタリアの実業家ロマーノ・アルティオーリが「伝説のスポーツカーメーカーの灯を絶やしちゃなんねえ!」とブガッティの商標を獲得し、モデナにブガッティ・アウトモビリを設立します。こうして突如復活したブガッティは4年の開発期間を経て1991年にスーパーカーのEB110GTを発表しますが、同車に搭載されたターボチャージャーを開発したのは石川島播磨重工業で、ここでまた日本との縁が出てきます。加えて元レーシングドライバーで自動車評論家の式場壮吉氏がブガッティの公式アドバイザーとなり、イタリアで開催された公式イベントでも出走しました。
その後、この”二代目”ブガッティはGMからロータスを高値で買収し過ぎたせいで財政破綻に陥り、それが凋落の呼び水となって設立からわずか8年後の1995年に倒産しました。GMにロータスを高値で売りつけられたのが原因で倒産したメーカーが、GMが筆頭広告主の映画にプロダクト・プレイスメント参入していいのか?と一瞬思いますが、現在のブガッティはフォルクスワーゲン傘下のブランドでこの件とは無関係なのでOK!どうもブガッティは車の開発以外のことに手を出すと落ち目になるパターンを踏むようです。幸い現在のブガッティは堅実に車開発”だけ”しているので、親会社のフォルクスワーゲンがどうにかならない限り初代と二代目の轍を踏むことはないと思いますが。
ちなみに二代目ブガッティの技術者たちは後にイタリアの新興スーパーカー・メーカーのパガーニ・アウトモビリに合流しますが、これが後述する本作のヴィラン「スティンガー」のネタとなります。

こうして死と復活を繰り返したブガッティ、前述のようにフォルクスワーゲンが1998年に商標を獲得し、初代ブガッティの拠点で現在はフランス領となっているアルザスに”アトリエ”を構えますが、ここでまたまた日本との縁が出てきます。この三代目ブガッティは、早くも設立翌年の1999年にブガッティ・ヴェイロンのコンセプトモデルを発表するのですが、その発表の場に選ばれたのが東京モーターショーでした。三代目ブガッティのコンセプトモデルはこれ以外にもいくつか発表されましたが、翌2000年に第一号車はヴェイロンになることが決定。このタイミングで、フォルクス・ワーゲン会長のフェルディナント・ピエヒ氏が1997年に東京~名古屋間を走る新幹線の車内にてブガッティの復活とヴェイロンのコンセプトを思い付いたことを公表します。この話は日本向けのリップサービスではなくどうやら事実のようで、実際に新幹線車内で描かれたスケッチも公開されており、以下の記事で見ることができます。

ブガッティ「ヴェイロン」は、東京−名古屋間の新幹線車内で生まれた!

そして2004年にヴェイロンの市販化が発表されますが、その発表の場はまたしても東京モーターショー。前述のとおりヴェイロンは2億7000万円の高級車で限定生産300台(後にグランスポーツ・ヴィテッセ150台がプラスされ450台)、それもただ金を持っているだけでは購入できず、ブガッティが定める独自の購入者基準の審査(社会的知名度、社会貢献度、タイヤ交換1本400万円を維持できるだけの恒久的財力など)をクリアして初めて購入が許可されるラグジュアリー・ハイパーカーです。しかし、東京モーターショーで同社は「日本向けの販売のためあらかじめ15台分の枠を確保しており、もしそれ以上購入者がいる場合は他国の割り当て分を日本に回す」という破格の優遇プランを提示しました。
……ところが、販売開始後にヴェイロンを購入した日本人はビートたけしこと北野武氏、ZOZOTOWN創業者の前澤友作氏、芸人で現在は実業家としても活動する楽しんご氏、九州に拠点を置く芝浦グループホールディングスCEOの新地哲己氏の4名のみ。もしかしたら他にも購入者がいて公言していないだけかもしれませんが、15台の枠が埋まらなかったことは確実です。もし15台の枠が全て埋まっていたら絶対ニュースになっているはずですから。フォルクスワーゲンの誤算は、日本の貧困化の爆速っぷりを予見できなかったこと。もっとも富裕層はいるにはいますが、車離れもまた爆速で進み、金のある奴が高級車を乗り回して見せびらかす文化自体が衰退してしまったのもあるでしょう。日本で売れなかった分は他で売るしかない…じゃあ今超ラグジュアリー・ハイパーカーをポンっと買ってくれる国はどこか……とフォルクスワーゲンが考え、本作へのプロダクト・プレイスメント参入を決めたであろうことは容易に想像できます。
以上のブガッティの歴史を鑑みると、ブガッティ・ヴェイロンが日本的なキャラになったことも腑に落ちます。だって初代から何かと縁があったし、現在の三代目ブガッティとヴェイロンは新幹線の中で生まれたようなものだから。そして「ドリフト」という名前のキャラの割り当ても秀逸です。アメコミのドリフトの名前の由来は、おそらく日本のお家芸である「ドリフト走行」でしょうが、「Drift(ドリフト)」のもともとの単語の意味は「漂流」「流転」「吹き流される」「あてもなく放浪する」「転々とする」「知らぬ間に陥る」、まさに異なる経営者のもとを転々としては経営不振に陥り流浪したブガッティというブランドそのものです。また経営不振から消滅しては復活し、世界的に貧困化と車離れが進むなか、それでもハイパーカーを開発・販売し続けるブガッティは時代を超えて「生き延びた」ブランドといえ、これも本作のテーマに合致します。
なお、前述のようにドリフトはすぐに抜刀するド短気な奴ですが、どういうわけかケイドたち人間チームと合流した後も特に不審がる素振りも敵意も見せず、最初からケイドを乗せて自分の各種機能を提供します。

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これは彼の娘テッサとその彼氏シェーンがバンブルビーに乗るのに合わせた演出と思われますが、ロクな稼ぎもなく娘の学費どころか公共料金すら払えない貧乏人のレッドネックが2億7000万円のヴェイロンに乗るなんて最高過ぎませんか?現実なら乗るどころか触ることさえ、それどころか実際に見ることすらできない、人生に於いて全く無縁の高級車だろうに。私はこのケイドがドリフトに乗り込んでいるシーンに一番感動しました。映画館の大スクリーンで見ていたら絶対に泣いていたでしょう。この夢あるシーンの宣伝効果か、公開翌年の2015年2月にヴェイロンは限定生産数450台全ての完売を達成します。ブガッティはオーナーのプレミアム感を守るため、車が完売した後は絶版とし以後一切の公式なメディア露出と版権許諾をしなくなるのですが、ヴェイロンは本作に起用されたため多くの玩具が販売され、配信やブルーレイでいつでもその雄姿を拝めるようになりました。それを考えると、本作は映画を越えて「車のアーカイブ」として貴重な存在ではないかと思えてきます。

シコルスキーの偶然

劇中ではさり気なく映るだけでしたが、ドリフトはヴェイロンの他にシコルスキー社が開発するS-97に似た次世代型軍事ヘリにも変形できるトリプルチェンジャーです。おそらくこれは「ヴェイロンは軍事ヘリ並みのスピードとパワーを持つハイパーカーだ」とアピールする目的もあっての描写でしょう。ちなみにヴェイロンは燃費も軍事ヘリ並みで、最高速度での走行時の燃費は0.8km/L。これは100リッターのガソリンが12分でカラッポになり80kmしか走行できない計算で、もし実写トランスフォーマーに燃料補給のシーンがあったら、ドリフトは確実に「艦これ」の赤城的なキャラになっていたでしょう。しかし本作では、次世代軍事ヘリへの変形の設定が反映され、ドリフトはカメラの映像を拡大投影するプロジェクター機能や、ライブ映像を車内の天井に表示するモニター機能、3Dモデルを現実空間に投影できるホログラム機能、携帯電話の通話データの傍受・ハッキング機能を有するなど他のトランスフォーマーに比べてやたらとハイテクなキャラとして描かれました。
S-97は2014年時点ではまだ開発中で、現在もまだ”提案中”のため本格運用が始まっていない軍事ヘリではありますが、同じくシコルスキー社が開発する軍事ヘリは日本の自衛隊も運用しており、海上自衛隊が運用するシコルスキー社製のヘリの海上迷彩が偶然にも劇中のドリフトと同じ「紺色と空色」なのです。これはブガッティが提供したヴェイロン(実は広報用車両そのまんま)のカラーリングを踏襲したもので完全に偶然なのですが、奇しくもこんなところに日本を感じさせる要素が生まれているのが奇跡的です。

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これは2019年の台風19号の際に地方紙「河北新報」に掲載された海上自衛隊の救助活動の様子なんですが、ちょっと”っぽく”ないですか?

人種差別と文化盗用はあったのか?

そしてやはり引っかかるのは、ドリフトの造型に於いて人種差別と文化盗用があったのかどうかです。本作が大炎上した原因は、以前よりマイケル・ベイ監督が実写トランスフォーマーシリーズ以外の別作品でもお気楽に人種差別的・性差別的セリフや演出を加えてしまう人で、それも明確な差別意識からではなく小〜中学生男子レベルのおふざけでやってしまう人であることでしょう。以前より書いていますが「パール・ハーバー」のデタラメっぷりはもはやギャグのレベルです。あと実写トランスフォーマーシリーズでは「トランスフォーマー/リベンジ」のスキッズ&マッドフラップでやらかした前科もあります。
ネット上でドリフトのコンセプトアートを探してみると、名前が決まる前のかなり初期の段階から本作にヴェイロンが起用されること、およびそれが侍キャラになるという大枠が決まっていたようです。

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兜がハウンドと同様に着脱式になるアイデアもあったとか。
初期のコンセプトアート段階ではまだ顔はゴールドではありませんでしたが、様々なアーティストがドリフトを描いていくうち、徐々に顔をゴールドにする方向で固まっていったようです。

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劇中ではさらに右頬に十字傷が、左の瞼下に斜め一本線の傷のディティールが加えられています。

なぜドリフトの顔がゴールドになったのか?その真の理由と意図は公言されていないため誰にも分かりません。ただ決定稿に至るまでのコンセプトアートを見ると、どうも仏像およびそのアルカイックスマイルと能面、特に翁面を足してイチローで割ったような雰囲気に思えます。顕著なのが目の形で、今でも欧米がアジア的なキャラをデザインする際は吊り上がった狐目になることが多いのに対し、顔がゴールドになって以降のドリフトの目尻はずっと下がっているのです。またもし仏像が元ネタなら、ゴールドの顔は仏像のイメージであったとも推察できます。そういえば日本初にしてアジア初のロボットの學天則も仏像がイメージソースの一つで外装の色はゴールドでした。もしかしたらアーティストの中にロボット開発の歴史に明るい人がいたのかもしれません。

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なお、イエローフェイスとはアジア人以外の人種の演者がアジア人を演じることを指しますが、ドリフトは3DCGで作られたキャラなのでそもそも演者がおらず、声を担当したのは渡辺謙さんだったためこの点は完全にセーフでしょう。

では文化盗用はどうでしょうか?これは特定の文化圏の要素を他の文化圏の人が十分なリサーチや敬意を欠いた態で使用する行為のことですが、実写トランスフォーマーシリーズの場合「トランスフォーマーはインターネットで文化と言葉を学ぶ」という設定が1作目で提示されているのでここに「逃げ場」があります。第一彼らは宇宙人で人間ではありません。ドリフトが地球に来てネットで短歌を詠むことや「Sensei(先生)」という言葉を覚えたのかもしれないし、本当は中国の挨拶のジェスチャーである拱手を見て「かっこいいからやってみよう」と思ったのかもしれない、もしかしたら本当に黒澤明作品を見てロボットモード時の外装を甲冑のように変えたのかもしれない…なんて想像もできるわけです。そしてドリフトの全身のデザインを見ると、適当なイメージで侍風にデザインしたのではなく、体にフィットするよう曲線を多用した戦国時代末期の当世具足(しかも桶側胴)のデザインが取り入れられ、頭部の形状もその時代の三鍬形前立兜であることが分かり、少なくともちゃんと資料を調べてデザインされていることが窺えます。

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私は東北人なので、当世具足で桶側胴で三鍬形前立というキーワードからどうしても山形の最上義光を思い浮かべてしまいます。上の兜は山形県山形市にある最上義光歴史館で見ることができます。

以上のことから、ドリフトのキャラ造型についてはマイケル・ベイ監督の中には小〜中学生男子レベルのステレオタイプがあったかもしれないけれど、ブガッティ・ヴェイロンという車が持つ歴史と魅力を基に、アーティストやスタッフが設定とデザインを作り込みまくり、そこに渡辺謙さんが出演したことにより奇跡的にカッコ良いキャラになったというのが結論ではないかと思います。だいたい差別的と思われるような描写があるなら、映画会社のコンプライアンス担当者なりプロデューサーなりが「これは今時ヤバいから変えた方がいい」と進言すればいいし、誤解を避けるため公開前に設定やデザインの意図をらかじめメディア向けに公言しておけばよい話です。それが為されていないのだから、本作の炎上沙汰の根底には「マイケル・ベイ監督は差別的な大バカ」で斬って捨てるだけでは済まない問題あるような気がしてなりません。

クロスヘアーズ(シボレー・コルベット・スティングレイC7)

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クロスヘアーズはロングコートのような形状の外装の裏に二丁のサブマシンガンを隠し持ち早撃ちと曲撃ちを得意とする空挺兵のガンマンで、大型リアスポイラーとドラッグシュートを搭載したシボレー・コルベット・スティングレイC7のレース仕様車に変形します。で、こいつこそが実写トランスフォーマーシリーズ通しての筆頭広告主であるGM・シボレーの、本作におけるたった1枠しかない文字通り新規看板キャラでした。だってこれしか見せられる新車がなかったから
シボレー・コルベットに関しては、シリーズ2作目の「トランスフォーマー/リベンジ」と3作目「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」に新兵サイドスワイプとして既に登場していましたが、これはコルベット・スティングレイC7のコンセプトモデルで市販車ではなかったため、引き続き本作への登場は叶いませんでした。そこでいよいよ販売に漕ぎつけたコルベット・スティングレイC7の登場となったわけですが、奇しくも出荷時期が2014年と本作の公開年にピッタリ合うタイミング。そうなるとこいつ1人で何が何でも観客に「シボレー」というブランドを、「コルベット・スティングレイC7」という車名を覚えて貰わなければならない、あわよくば鑑賞後に購入を検討してもらわなければならない…という大変な重責を負ったキャラとなりました。そのためか他の新登場オートボットに比べて盛り込まれた要素とネタが異常にてんこ盛りで、図らずも炎上沙汰でドリフトがバズってしまいましたが、映画製作陣が本当にバズりを狙っていたのはこのクロスヘアーズの方だったのではないかと思います。

まずこいつの何が凄いって、ロボットモード時の姿がそのまんまシボレーの共同創業者ルイ・シボレーであることです。

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これはGM創業の地ミシガン州フリント市にあるルイ・シボレーの銅像です。クロスヘアーズはロングコートのような外装にアビエイターキャップとゴーグルをかぶっているような頭部で、顔のディティールも口髭があるように見えるという妙にレトロな”装い”のキャラですが、そのデザインのモチーフがほぼそのままルイ・シボレーその人です。シボレーの車がロボットに変形したらルイ・シボレーって、未だかつてこんなストレートな広告があったでしょうか。例えば、ホンダNSXあたりが作業服姿で眼鏡をかけたおっさんロボに変形したら日本人なら誰もが「本田宗一郎そのまんまじゃねえか!」と突っ込むでしょう。もうそれぐらいベタ。きっと公開時にフリント市民やシボレー車オーナーは劇場で盛大に突っ込んだと思います。

クロスヘアーズのコンセプトアートは決定稿に至るまで全く統一感がなく、本作で最もデザインが難航したであろうことが窺えます。

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グリーンのレース仕様のコルベットが起用されることもかなり早期から決まっていたようですが、煮詰まったアーティストが遂にヤケクソになり、いっそ監督に似せちまえ!とこんなデザイン案まで描いたそうです。

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でもそこから実在の人物に似せるのアリかも…そういえば「~リベンジ」のセンチネル・プライムもショーン・コネリーの顔だったし…となった可能性も微レ存かもしれません。

不運の天才ルイ・シボレー

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ルイ・シボレーは時計製造業の中心地であるスイスのフランス語圏ヌーシャテル州出身のレーサー兼技術者です。父親が時計職人だったこともあってか子供の頃からものづくりの才を発揮し、家族で引っ越したフランスの家の近所にあった自転車屋を見ていただけで自転車の構造を理解し、自身も自転車競技の道に進みます。しかしすぐに二輪から四輪にも興味が広がり馬車を通じて機械工学を習得し、修理店勤務からキャリアをスタートさせます。その後パリに引っ越しますが、顧客のアメリカ人自転車レーサーに誘われ19世紀末にカナダのモントリオールに移住。そこからさらにアメリカに移住しフランスの自動車メーカーのド・ディオン・ボタンのブルックリン支社に在籍し、やがてフィアット、オートカー、ビュイックをドライバーとして渡り歩き、新進気鋭のレーサーとして名を売るようになります。
彼のキャリア形成の凄い点は、一切アカデミックな教育を受けることなく、修理、設計、運転の全てをほぼ独学で身に着けていた点です。ここら辺は、子守の丁稚として奉公していたアート商会で大人の仕事ぶりを見ていただけでエンジンの構造を理解して分解できるようになり、やがて自身もレースに出場するようになった本田宗一郎を彷彿とさせます。19世紀末の自動車産業は、現代で例えるならIT産業に相当する時代の最先端を行く新興ビジネスで、そこで独学で技術を習得し名を知られるようになれるか?と想像すると、彼の学習能力がいかにずば抜けていたかが窺い知れます。
レーサーとして有名になったルイは、やがて自分自身で一からレース車を設計して世に出したいと思うようになり、自身の兄弟と共に自動車開発の事業化を模索し始めますが、タイミングが良かったのか悪かったのか、ちょうどその時期に自身が創業したGMを追い出されて無職になったウイリアム・デュラントがこの計画へ参画してきます。これ以後の話は「トランスフォーマー/リベンジ」のnoteでも触れたのでそちらをご覧頂きたいのですが、このルイ・シボレーとウィリアム・デュラントの出会いによって1911年に自動車メーカー「シボレーモーターカー」が誕生します。

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自身が欧州出身のレーサーということもあり、ルイが作りたかったのはレースで勝てる本格スポーツカーや欧州風のデザインのお洒落な高級車でした。当時のアメリカの車市場は大衆車のT型フォードが席巻しており、それに乗るのが嫌な富裕層はわざわざ欧州からスポーツカーを輸入していたので、アメリカ国内で欧州風の車やスポーツカーを新たに開発・生産するという戦略はそれなりに当たりそうではありましたが、一方ウィリアム・デュラントはサクッと安価な大衆車を作って売り捌き、それで得たキャッシュを携えてGMの経営陣に返り咲く算段をしていたので、当然両者は真っ向から対立しました。それでも両者の折衷案的な第一号車「シボレー・クラシック・シッスク」はそれなりに売れ、1914年末までに車両販売数9000台を達成しシボレー社は一躍フォードのライバルメーカーとなります。それ以後、シボレー社はルイが先導する欧州風の高級車と、デュラントが先導する大衆車というまるっきり正反対の車を展開していくようになりますが、両者の溝は深まり続け、遂に1915年にルイがブチ切れて所有していた株を全て手放し出奔。これによりシボレー社の経営の全権を握ったデュラントは同社で得た実績とキャッシュを携えてGMの経営陣に返り咲き、GMを掌握する形で同社にシボレー社を買収させ、以後シボレーはGMグループ内の旗艦ブランドとして一般大衆向けの手頃な車を売るようになります。
ちなみにルイの出奔のきっかけは、デュラントがルイに「お前稼げるようになったのにまだ安くて細い紙巻煙草吸ってんのかよ。いい加減葉巻に変えれば?」と吸っている煙草に難癖を付けたことだとか。それでブチ切れて自身の名が冠されたメーカーを設立からわずか4年で飛び出したんだから相当溜まっていたんでしょう。
果たしてデュラントは本当にルイと一緒に車作りをしたかったのか?それともただルイの名声を利用しようとして近づいたのか?今となっては誰にも分かりません。シボレー社から離れたルイは、その後すぐに兄弟たちと一緒にT型フォードの競技部品を製作するフロンテナック・モーター・コーポレーションを設立し、その傍らレースにも出場し、1941年に足を手術で切断した際の合併症で62歳で亡くなります。出奔時にシボレー社の株を全て手放していたため財産はほとんど残しませんでしたが、彼はレーサーとしても技術者としても多くの人に慕われ、現在は前述のミシガン州フリント市とインディアナポリス・モーター・スピードウェイの博物館、生まれ故郷のスイスに彼の功績を讃えるレーサー姿のスタチューが置かれています。

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劇中、クロスヘアーズは口にピックスティックというか爪楊枝的な細い棒を常に咥えていますが、もしかしたらこれはルイ・シボレー出奔のきっかけとなった「細い紙巻煙草」の暗喩だったのかもしれません。さすがにこのご時世、1つの作品に2人も喫煙者がいるのはどうか?という話になってただの棒になった可能性もありますが。

コルベットの誕生と進化

しかしここで一つの疑問が出てきます。というのも、クロスヘアーズは劇中で常にイギリス訛りの英語を喋っているのです。彼の元ネタがルイ・シボレーならフランス語訛りの英語で喋るだろうに。しかも声を担当しているのはアメリカ生まれアメリカ育ちのベテラン声優ジョン・ディマジオ氏(「アドベンチャー・タイム」のジェイクや「フューチュラマ」のベンダーでお馴染み)。イギリスにルーツのない生粋のアメリカ人がわざわざ演技してイギリス訛りの英語で喋っているのです。これ如何に?
そこで思い浮かぶのが、彼が変形するシボレー・コルベットの誕生の経緯です。これについても既に公開している実写トランスフォーマーシリーズの各noteにて書いているのでそちらもご覧頂きたいのですが、コルベットは欧州、それもイギリスのスポーツカーへの憧れがきっかけとなって開発が決定した車でした。そしてこのコルベットの誕生によって、奇しくもルイ・シボレーが夢見ていた「レースで勝てる本格スポーツカーや欧州風のお洒落な車をアメリカで開発する」が実現することとなります。

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最初にコルベット開発の指揮を執ったのは、後にGMのデザイン部門の初代副社長を務めることになるハーリー・アール。もともとスポーツカー好きで欧州の車メーカーをリサーチしていた彼は、第二次世界大戦で欧州戦線に派遣されていた米兵が、現地でMGやジャガーのスポーツカーを購入して復員してきたのを見て、アメリカ人にもスポーツカーの需要があること、それを他社に先駆けてGMで製造する必要があることに気付きます。
欧州では貴族や新興の富豪が車文化を牽引していたこともあり、当時スポーツカーやそれを使用したレースは欧州の文化とされていました。一方アメリカではフォードがT型フォードを大量生産して一般大衆に車を普及させたため車文化の牽引役は専ら庶民で、それまで本格的なアメリカ製スポーツカーなんて存在しなかったし、欧州のようにハイスペックな高級スポーツカーを走らせるようなカーレースもありませんでした。勿論当時のアメリカにも富裕層の車マニアはいたし高級車ブランドはありましたが、こだわりのあるマニアはアメリカ製ではなく、わざわざ欧州、特に同じ言語を使用するイギリスのMG、ジャガー、トライアンフ、オースチン・ヒーレーといったメーカーのスポーツカーに乗っていました。
そこでハーリー・アールは、GMの旗艦ブランドであり、かつ大衆車ブランドのシボレーから敢えてアメリカ初の本格スポーツカーをリリースし、アメリカの一般大衆にスポーツカーの”夢”を売ることを決意。当時シボレーのゼネラルマネージャーを務めていたデザイン畑出身のエド・コールにそのプロジェクトを提案し、1953年にプロトタイプをGM Motorama car showにて公開します。

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しかしこのプロトタイプは、スチール製フレームにFRP(強化プラスティック)製ボディという先進的な見た目ではありましたが、中身は旧式の水冷直列6気筒OHVエンジン搭載という、それまでシボレーが生産してきた大衆車とさほど変わらないスペックで、実際には”雰囲気スポーツカー”といったものでした。
ところが、偶然そこにレーサー兼技術者のゾーラ・アーカス・ダントフが居合わせたことによりその後のコルベットの行く末が決定します。彼はベルギー生まれのユダヤ人で、家族で引っ越したベルリンにて18歳よりバイクレースを開始するも、事故を心配した両親が「バイクより安全だから」とカーレースを勧めたことによりオーバルトラックレースに転向。その後ナチスによるユダヤ人迫害を避けてフランスに移住しますが、フランスがナチスに降伏したことによりアメリカに亡命。そこで弟と共にフォード車向けのパーツを製造する会社を設立して一稼ぎしますが、悪い奴に騙されて全財産を失いレース活動に精を出すようになります。GM Motorama car showでコルベットのプロトタイプを見たダントフは、今までのアメ車には無かった欧州風のお洒落なデザインに感銘を受けつつも中身のショボさにガッカリし、GMに「なんだあのガワだけの車は!もっとパワーのあるV8エンジンを載せて若者が飛びつくようなスペックにしろ!俺だったらもっとパワーとスピードのある車にできるぞ!」と思いのたけを綴った熱烈な意見書を送りつけました。
普通こんな手紙が突然送られてきたら、大抵の人は「なんだこいつ」と訝しむでしょう。しかしその熱意に感心したハーリー・アールとエド・コールは「そこまで言うならお前がコルベットをテコ入れしてみろ!」と、なんとダントフをシボレーに招聘。それからコルベットはダントフの指揮のもと次々に新規パーツを載せられ、1956年にはV8エンジンが標準搭載されるようになり、以後現在に至るまで「FRP製ボディ」と「V8エンジン標準搭載」はコルベットのトレードマークになります。
ここで面白いのは、このダントフもまたルイ・シボレーと同様に欧州からの移民かつレーサーでもあり技術者でもある人で、欧州の雰囲気とレーサーの知見を車に反映できる人だったことです。こうして彼の飽くなき理想と妄想にのせられたシボレーはどんどんエスカレートしコルベットをパンプアップ。パワー至上主義路線を貫くようになり、リリース時に200馬力前半だったパワーは最後期には300馬力を超えるまでに至りました。またダントフがレーサーだったこともあり、早くも1954年よりレース仕様車が開発され各種レースに投入されるようになり、パイクスピークとセブリングでクラス優勝、デイトナで最高速のニューレコードを樹立と活躍を見せ、シボレー創業者ルイ・シボレーの夢「レースで勝てる本格スポーツカーや欧州風の洒落な車をアメリカで開発する」は、彼の死後から十数年で実現に至りました。もしルイが合併症にならずもう少し長生きできていたら、ブチ切れそうになるのをこらえてシボレー社に留まっていたら、株を手放さなければ…どうしてもそんな"歴史のif"が頭に浮かんでしまうのです。

軽くて低燃費なコルベット・スティングレイC7

それからコルベットは現在に至るまで絶えることなく開発とモデルチェンジ、リニューアルが続けられていきます。その間、オイルショックや排ガス規制、環境問題、市場のトレンドや顧客ニーズの変化、そしてGMの経営破綻と国有企業化など様々な出来事が起こり、その度に多くのスポーツカーや高級車が姿を消していきましたが、コルベットはそれらを全て乗り越え、現在では同一の車名を受け継ぐ世界最古のスポーツカー銘柄となり、もはやメーカーやブランドを越え「American Legend」と呼ばれています。そりゃアメリカ政府も経営破綻後にGMを国有化したとはいえコルベット開発を止めることはできなかったでしょう。だって国の生きる伝説なんだから、もはや開発続行は国策です。コルベットはまさに本作のテーマ「生き延びる」に相応しい車といえます。

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本作でクロスヘアーズに割り当てられたコルベット・スティングレイC7は国有化を脱して復活した新生GMを世界中にアピールする鏑矢としてリリースされたような車で、これの評価にその後のGMのイメージがかかっているといっても過言ではありませんでした。
この車の特長は「攻撃的な見た目とパワーのわりに実は軽くて低燃費」なこと。アメ車のステレオタイプといえば、デカい!重い!燃費が悪い!といったものですが、このコルベット・スティングレイC7は全長4495mm×全幅1877mmというサイズで、一から設計された6.2リッターのV8エンジンを搭載していながら、FRP製のボディにアルミの骨格、カーボンファイバーのパーツといった軽量素材が使用されていたため重量約1,540kgとこのテの車にしてはかなり軽量でした。そして車は軽いと燃費が良くなるもので、その実燃費は8km/Lを達成。日本のハイブリッドカーと比べると燃費が激しいように感じますが、V8エンジンを積み300km/h出せるアメリカン・スポーツカーにしてはかなり良い数値といえます。というか前述のブガッティ・ヴェイロンの10倍燃費が良いです。そのうえ、クルージング時には自動的に片肺の3.1リッターV4エンジンになる「エコモード」を搭載して環境に配慮しつつ、そのエコモード時でも100km/h出せるという省エネ機能を実現しました。
それでいて見た目は、ロングノーズ&ショートデッキで滑らかな流線形を描く伝統的なコルベットのシルエットを踏襲しつつ、歴代モデル初の角型ランプが採用され、ボンネットベントやフェンダーのエッジが鋭く造型されているという実にアグレッシブなもの。見た目はアグレッシブなアメリカン・スポーツカーなのに実はエコという、相反する要素を持つ現代的な車がこのコルベット・スティングレイC7でした。

改めてこの仕様を鑑みると、クロスヘアーズはコルベット・スティングレイC7を特長を上手く設定とデザインに落とし込んだ”擬人化キャラ”だったといえます。劇中の彼は皮肉屋で口が悪く、人間と打ち解けることもなく常にやる気のない態度でひねくれた物言いをする、正義の陣営オートボットらしからぬクセの強いキャラですが、やる気がないのは片肺V4の「エコモード」だからでしょう。なお、コルベット・スティングレイC7のエコモードを解除して全力のV8モードにする方法は、いきなりアクセルを踏み込んで急加速するだけ。それを象徴するかのように、クロスヘアーズはいざ実戦になるとノリノリで戦闘に挑み愛銃を乱射します。

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中盤、クロスヘアーズは敵のドローンを鹵獲してシカゴ上空で派手な空中戦を繰り広げますが、その際にレバーを前に倒して急加速し、その瞬間彼の顔がアップになるというV8モードを象徴するかのようなシーンが差し込まれますが、それはまさに彼がやる気のない「エコモード」から全力の「V8モード」に切り替わった瞬間だったのでしょう。あと改めて彼の顔の造型を見ると、これもまたコルベット・スティングレイC7の外観を反映していたことに気付かされます。だいたい人間より進んだ技術を持ち体が金属でできている宇宙人の顔が、こんなに鼻筋の通った彫りの深い白人の面構えである必要性はありません。ロングノーズで彫りが深い……これこそがコルベット・スティングレイC7の外観の特長です。

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落下傘降下して攻撃する空挺兵の設定も、滞空できるほど軽量な車ですよ!というアピールだったのかもしれません。あと「空から舞い降りて銃を撃ち確実に殺す」設定は分かりやすく「死の天使」のイメージでもありますね。パラシュートではなくドラッグシュートで落下傘降下できるのか?なんてロマンのないことを言ってはいけません。

なお、コルベット・スティングレイC7は前述のヴェイロンと同様に、リリースされるや否や世界中で大絶賛の嵐となりました。これまた前述の辛口自動車評論家ジェレミー・クラークソンも、普段の執筆記事や「Top Gear」でアメ車をさんざんバカにしているというのに気持ち悪いくらい絶賛し、やはり「Top Gear」で特集し褒めちぎりました。その勢いがあまりに凄かったので以下のレビュー記事より一部を抜粋します。

コルベットは以前より見た目が良かったがこれは傑作だ。この車には4本の巨大な排気パイプが付いており、ボンネットはヒマラヤ山脈よりも彫りが深い。確かに子供っぽいが、それに何の問題があるだろうか?ランボルギーニ・アヴェンタドールも子供っぽい、フェラーリ・458イタリアも子供っぽい、ジャガー・F-TYPEも子供っぽい。そしてこの車はそれらのどれよりも美しい。今まで私が見た中でも最もプロポーションの美しい車の1台だ。
この車の中身はまるでベストヒットアルバムだ。シボレーは欧州車と日本車の良いところだけを取り出してこの車に混ぜ込んでいる。
勿論アメ車は長らく直線加速性能には優れていたが、コルベットはそれ以外の能力も併せ持っている。なんとこの車はコーナーを曲がることができる。しかも右にも左にもだ。
うん、アメリカ人はスポーツカーを作ることができる。

THE CLARKSON REVIEW: CHEVROLET CORVETTE STINGRAY CONVERTIBLE (2014)

全編にイギリス人らしい、というか彼らしい皮肉が織り交ぜられていますが、それでもとんでもない勢いの絶賛っぷりで、もともとコルベットの開発がイギリスのスポーツカーへの憧れから始まったことを振り返ると実に感慨深いものがあります。こうした業界での高評価を受け、コルベット・スティングレイC7は本作公開の翌年の2015年に北米カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。加えて各種レースでも大活躍し、同じく2015年にデイトナ、セブリング、ル・マンでクラス優勝し「トリプル・クラウン」を達成、GM・シボレーの復活を世界中に知らしめる存在となりました。こうした車を擬人化したようなキャラが、明らかにルイ・シボレーを模した姿をしてレース仕様車に変形する…実に不思議な因縁を感じます。ちなみに「Crosshairs(クロスヘアーズ)」のもともとの単語の意味は「(銃の)照準」や「(光学器機の焦点につけた)十字線」、「十字ポインタ・カーソル」ですが、そこから転じて「狙いをつける」「影響力・話題の中心」といった意味もあります。GM・シボレーの狙い通り、業界の話題の中心となったコルベット・スティングレイC7にピッタリな名前です。

「コントラストの原理」で安さをアピール

このように車業界で高評価されレースでも活躍したコルベット・スティングレイC7でしたが、さらにセールス面でも絶好調でリリース直後は”出せば売れる”状態でした。というのも、スペックの割には安価でベースモデルが約950万円と、1000万円を切る価格設定だったからです。勿論普通の車に比べれば高いし、各種オプションを付ければすぐに1000万円から足が出てしまいますが、それでも同程度のスペックの欧州のスポーツカーに比べれば断然お買い得な価格だったので購入者の大半が何かしらオプションを付けて購入しました。もとよりコルベットをリリースしているシボレーは前述のとおりGMの大衆車ブランドで、お買い得価格で本格スポーツカーのコルベット(後にカマロも)を販売することで、それまで富裕層の持ち物だったスポーツカーを一般大衆に提供し夢を見せる「スポーツカーの民主化」を行っていたメーカー。確かに普通の車より高価だけれど、頑張ってローン返済すればなんとか買えなくもない…という実現可能な夢を見せることでユーザーを獲得してきました。それを本作は、前述の2億7000万円のハイパーカーであるブガッティ・ヴェイロンことドリフトをダシにして強調しました。

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ドリフトは何かとすぐ抜刀するド短気な奴で、クロスヘアーズはひねくれた口の悪い皮肉屋というそれぞれクセの強い性格ですが、どういうわけか両者は一切喧嘩はおろか言い争いすらせず、ロボットモード時もビークルモード時も常に一緒におり、両者がバディであることを匂わせる描写が為されているのです。片や2億7000万円、片や950万円、その差額2億6050万円の超格差バディです。GM・シボレーからしたら「こちとら筆頭広告主なんだぞ!なのによりによってブガッティ・ヴェイロンとコルベットを一緒に並べるなんて何の当てつけだよ!」という感じだったでしょう。しかしこの両極端な奴らを見続けていると徐々にこちらの金銭感覚がおかしくなってきて「950万円なんて激安だな!ローン組めば楽勝だ!」と思えてきます。
これは所謂「コントラストの原理」と呼ばれるビジネス手法です。人が何かを判断するときは、最初に見た数字が基準点となってその後の判断にも大きな影響を与え、その比較対象となるものにより他のものが安く見えたり高く見えたりします。例えば、ジュエリーの展示即売会によくイベントの目玉となる数100万~数1000万円の価値がある貴重な宝石やジュエリーが展示されたりしますが、それも「コントラストの原理」を上手く利用した商法です。最初に数100万~数1000万円の価値がある展示物を見ることで、それが頭の中に強く印象に残って「基準点」となり、その後に見た数万~数10万円の価格帯のジュエリーが急に安くてお買い得のように思えてきてつい買ってしまうという。デパートの上階には必ずギャラリーやイベント会場があり定期的に展覧会や展示会が開催されるのも、「コントラストの原理」で客の金銭感覚を麻痺させて売り場の商品を買わせるのが狙いです。

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本作はそれを車でやりました。ビークルモード時もドリフトとクロスヘアーズはピッタリ一緒に走り、だいたいブガッティ・ヴェイロンのドリフトが前でコルベットのクロスヘアーズが後ろ、たまにクロスヘアーズが前を走っていてもドリフトがすぐ追い越してしまいます。勿論それは車の価格と広告費の札束の厚み、スペックの差によるものでしょうが、車の知識がある人、特にシボレー車のオーナーが見たら「950万円なのに2億7000万円のブガッティ・ヴェイロンに迫る走りができるなんてコルベット・スティングレイC7はヤベェ車だな!こりゃお買い得だ!」となるわけです。また、レース仕様で派手な塗装が施されているのも相まって、2億7000万円のブガッティ・ヴェイロンと並んでいてもコルベット・スティングレイC7は決して見劣りしていませんし、その一方でブガッティ・ヴェイロンは常に前方の目立つ位置に映るのでそれはそれでフォルクスワーゲンにとっては良い宣伝になります。つくづく上手いプロダクト・プレイスメントです。

ジョン・ウー的様式美

ここまでネタが盛られたクロスヘアーズでしたが、そのうえさらにチャイナマネーが投入された”中国市場向け映画”でもある本作ならではのネタが重ねられました。それはジョン・ウー的様式美で、彼は「GM・シボレーの広告」と「中華圏向けアピール」の両立を果たしていたキャラでした。

ジョン・ウーはそれまでカンフー映画が主流だった香港映画界に「香港ノワール」と呼ばれる新たなジャンルを確立させた映画監督です。それを一躍世界に知らしめたのが、彼の代表作にして大傑作「男たちの挽歌」シリーズでした。

「男たちの挽歌」シリーズは世界中に多くの熱狂的フォロワーを生み、ジャンルを超えあらゆる作品でオマージュが捧げられました。同シリーズの実績をもとにジョン・ウー監督はハリウッドに進出し、主演を務めたチョウ・ユンファは後に「亜州影帝」と呼ばれるようになります。

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同シリーズの画期的だった点は、かつて西部劇、特にマカロニウェスタンで散々使い古されてきた古典的なモチーフを、現代(作品公開時点では1980年代)の香港の裏社会を舞台に蘇らせ、新たな様式美として再構築したことです。それはジョン・ウー監督作品のトレードマークとなり、やがて伝統芸的な厨二定番モチーフとなって定着していきます。そのモチーフとは、二丁拳銃、ロングコート、ロングコートの裏地に武器を隠し持つ、口に煙草やマッチや爪楊枝など何か細いものを咥えるetc...。映像作品でもマンガでもゲームでも、ロングコートを着て両手に武器を持った凄い奴が出てきたら、大概はこの「男たちの挽歌」シリーズが元ネタです。そしてこれらのモチーフのほとんどがクロスヘアーズに反映されています。ロングコートのような外装、爪楊枝っぽい細い棒を咥え、コートの裾の裏から二丁拳銃ならぬサブマシンガンを出して乱射、しかも最終決戦地は香港。ジョン・ウー作品が好きな人なら確実に想起します。特に中華圏でわざわざ映画館に映画を見に行くような人なら、コルベット・スティングレイC7がどんな車か知らなくても「男たちの挽歌」シリーズならびにジョン・ウーは知っているでしょう。そんな人が「あのジョン・ウーのフォロワーみたいな奴が変形する車は何だっけ?」と思い出して検索したら…結果的にそれはGMの広告にもなります。

ちなみに日本では熱狂的なジョン・ウーのフォロワーのことを「ジョン・ウー学校の生徒(もしくは卒業生)」と呼びますが(おそらく映画雑誌「映画秘宝」が広めたと思われます)、マイケル・ベイ監督もジョン・ウー学校の卒業生の一人。監督の2003年の作品「バッドボーイズ2バッド」のウィル・スミスの横っ飛び二丁拳銃は最高オブ最高です。

黒人の刑事バディがKKKの集会に乗り込んで銃を撃ちまくるというシーンも痛快。こうした演出からも、ベイ監督は明確な差別意識を持つ人ではないことが窺えます。

ということで、実写クロスヘアーズいいな!と思った方は是非「男たちの挽歌」シリーズも見てみて下さい。きっと彼のイメージの源流に出会えることでしょう。1作目はAmazon Prime特典で視聴可能です。

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なお、シリーズ劇中でクロスヘアーズおよびサイドスワイプとして使用されたコルベットたちは、米ケンタッキー州ボーリンググリーンにある国立コルベット博物館に常設展示されています。もしかしたらクロスヘアーズが緑色だったのはこのボーリング”グリーン”(Bowling Green)の地名に因んでいたのかもしれません。

なぜラチェットは死ななければならなかったのか?

このように、本作は誰もがオートボットの誰かしらに愛着を持ってしまうような綿密なキャラ造型が施されていましたが、その一方でいきなり冒頭にシリーズ1作目からレギュラー出演していた軍医ラチェットが、トランスフォーマーを敵視する人間たちと後述する賞金稼ぎのロックダウンになぶり殺しにされる凄惨なシーンがぶっ込まれました。このシーンのせいで本作を何度もリピートできない、おいそれと人にオススメできないなんて人もいるでしょう。しかしこれもまたラチェットが変形するGM傘下ハマーが販売していた高級SUVのハマー・H2に絡めた広告ならぬ忖度でした。もちろん本作のターゲット市場であった中国、さらにその”スポンサー”である中国政府への。

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ハマーはアーノルド・シュワルツェネッガーの要望を基に軍用四輪駆動車のハンヴィーを民間仕様にした高級SUVで、中でもラチェットが変形するH2は高所得者層を中心に人気を獲得し、2002年のリリース当初より好調なセールスを維持していました。しかし以前のnoteでも度々書いているとおり、2009年にGMは経営破綻。その後、財政立て直しのため同社傘下の多くの車やブランドやリストラ対象となり消滅、ハマーおよび同ブランドで開発されていた車も同様の運命を辿ることになりました。しかしGMは、経営破綻後に中国の四川騰中重工機械(以下騰中重工)とハマーの商標・権利および生産設備一切を含むブランド売却の交渉を開始。騰中重工もハマー獲得を足掛かりに海外市場へ進出したい野心があったため乗り気で一時は暫定合意にまで至りましたが、中国は経済成長したとはいえやはり社会主義国家。民間企業の経営方針にもいちいち政府が首を突っ込んできて、何かと申請手続きを求めてきます。どうしてもハマーが欲しかった騰中重工は、当局の承認を得ようと水面下で説得活動をし、挙句には中国政府の規制を受けないオフショア会社を通してハマーを買収する可能性まで探り始めました。
しかし当時、中国政府は環境破壊問題に対応してグリーンテクノロジーの開発を進めていくことを国内外にアピールしようとしていたため、そのタイミングで国内の重工業会社がデカくて燃費が悪いアメ車ブランドを取得するのは非常にまずい。かくして騰中重工のハマー買収許可申請は却下となりGMとの暫定合意もご破算。ハマーが中国で生き延びる道は完全に断たれてしましました。
以上の経緯を鑑みると、ラチェットは本作に「出さない」のではなく「出せない」キャラだったのではないでしょうか。だって本作は実質米中合作映画で、中国での上映に際し必ず当局の検閲を受けるから。そんな映画に中国政府が「いらん!」といった車およびそれに変形するキャラなんて出せるわけがありません。とはいえラチェットは前作で生き延び、かつこれまでのシリーズと本作を繋げるキャラなので出さなければシリーズの連続性が保てなくなります。それならド派手かつ残酷な演出で殺して絶対忘れられないキャラにしよう……ちょうどシリーズ過去作のジャズやアイアンハイドみたいに……中国政府への忖度にもなるし……なんて判断が為された可能性は十分にあります。
こうしてラチェットは潜伏していた廃船の中から引きずり出され、片足をもがれ、ロックダウンによりスパークをえぐり取られて殺害された後、解剖(分解)されて死体を研究素材にされるというナチスや731部隊の捕虜のような扱いを受けることとなりました。

かくして現実でも映画でも死んでしまったラチェット(ハマー)ですが、なんとその後GMが「今後は全ての車を電気自動車にする」と宣言したことにより電撃復活が決定。皮肉にも騰中重工への売却がご破算になったことでブランドと開発データがGM内に留まり、来年めでたくGMCより電気自動車として復活したハマーがリリースされる予定です。

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もういっそマイケル・ベイ版実写トランスフォーマーの新作も作ってラチェットを電気自動車版ハマーで復活させれば何もかも丸く収まるのでは?

なお、片足の者をなぶり殺しにするというシーンは、映画「プラトーン」の片足のベトナム人青年を殺すシーンのオマージュではないかと思います。本作はシリーズを通して他作品のオマージュが多数盛り込まれているので、その元ネタを探す楽しみ方もできる作品です。

レッドフットの予言的最期

このマイケル・ベイ版実写トランスフォーマーシリーズには不思議な因縁があります。それは「劇中で退場したキャラに割り当てられた車は現実でも消滅する」こと。アイアンハイドや前述のラチェットは現実で生産終了になったので劇中でも退場してしまいましたが、その逆も然り。本作に於いて不幸にもそうなってしまったのはシボレー・インパラのNASCAR仕様車に変形するレッドフットです。

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レッドフッドは前作「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」に登場した、オートボットの荒くれ者集団「レッカーズ」の戦略家というキャラでした。それが人間の攻撃を四方八方から受けて呆気なく死亡。それも直接的には描かれず、ケイドが鹵獲した小型ドローン内に保存されていた映像データで明らかになります。
彼が変形するシボレー・インパラの歴史についても既に「~ダークサイド・ムーン」のnoteにて書いたのでそちらをご覧頂きたいのですが、この車もまたシボレーにとっては重要な存在でした。”デカいアメ車”を絵に描いて額に飾ったような同ブランドの最上級フルサイズ・セダンで、かつてはコルベット、カマロと共にシボレーユーザーの「夢の車」の一角を成す存在。劇中での仕様どおりNASCARなどのレースでも活躍しました。
ところが近年、アメリカの車市場にてSUVの人気が爆速で高まると共に若年層を中心に「車離れ」も広がり、フルサイズセダンが全く売れなくなってしまいました。これを受けて2018年にGMはシボレー・インパラの生産終了を決定。その後2020年2月27日にデトロイト・ハムトラミック工場で最後の一台を出荷したのを最後にその歴史に幕を閉じました。本当にマイケル・ベイ監督は車限定の予言者か何かですかね?

…と、本作のオートボットはとにかくネタがてんこ盛りでハイコンテクストこのうえないのですが、敵キャラにも同様にネタが盛られていてもうお腹いっぱいです。
これまでのシリーズでは、オートボット達の宿敵は基本的に悪の陣営とされるディセプティコンでした。しかし本作は、オートボットやディセプティコンの別なくトランスフォーマーは十把一絡げに人間から敵視され狩られている設定のため、敵が「人間」「その人間と契約している賞金稼ぎ」「人間がトランスフォーマーのDNAを解析して作り上げた人造トランスフォーマー」の3種類となります。そのため敵それぞれの切り分けと戦う目的が分かりづらくなり、オートボット達が一体誰と何のため戦っているのか意味不明といったネガティブなレビューを増産することとなりました。しかしいずれも「分かりづらい」と斬って捨てるには勿体ないキャラの作り込みです。

ロックダウン(ランボルギーニ・アヴェンタドール)

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ロックダウンはオートボットとディセプティコンのいずれの陣営にも属さない賞金稼ぎで、かつてはドリフトと同様にディセプティコンだったものの独立してフリーランスになっているという設定です。彼は本作のメインヴィランですが、実は登場する全トランスフォーマーの中で一番「大人」かつプロフェッショナルな奴です。まず登場して一番最初に言う台詞が「Autobots...Decepticons. Like little children. Always fighting, making a mess out of the universe. Then I've got to clean it up.」(オートボットもディセプティコンもまるで小さなガキだ。いつも喧嘩して宇宙を散らかすもんだから俺が掃除しなきゃなんねえ)。むしろオートボットの面々より”ちゃんとしてる感”が凄い。彼は賞金稼ぎとして宇宙を駆け、様々な惑星で多くの知的生命体の争いを見、その中で賞金を稼いできた経験からオートボットとディセプティコンの戦争を含むあらゆるいざこざを冷めた目で見ていて、基本的に「知ったこっちゃねえ」というスタンスです。そしてこの「知ったこっちゃねえ」というスタンスこそ、彼が変形するランボルギーニというブランドの特長だったりします。値段が高い?知ったこっちゃねえ!燃費が悪い?知ったこっちゃねえ!乗りにくい?知ったこっちゃねえ!視界が悪い?知ったこっちゃねえ!ハンドリングしにくい?知ったこっちゃねえ!フォルムがクレイジー?知ったこっちゃねえ!だってランボルギーニだから!ランボルギーニはそういうブランドだから!!
なお、彼はビークルモードとロボットモードの他に頭だけが遠距離射撃用のキャノン砲になる3段階変形機能を持っていますが、おそらくその設定もランボルギーニ・アヴェンタドールを反映していると思われます。

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同車のセンターコンソールには場面に応じて走行特性を選択できるパフォーマンスセレクターがあり、一般公道での走行に適した「ストラーダ」モード、シフトフィールが鋭くなる「スポーツ」モード、サーキットでの走行に適した「コルサ」モードの3種類から選択できるからです。

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またロックダウンの頭部はヘルメットのような構造になっており、顔を防御する際にフルフェイスガードを展開できるようになっていますが、この時のツルンとしたシルエットはアヴェンタドールの、カメムシの外観から発想を得たとされるボディの形状を想起させます。どうも本作は、変形する車のボディの形状を各トランスフォーマーのロボットモード時の顔に反映させる傾向にあるようです。凹凸の少ない丸っこいボディのブガッティに変形するドリフトも平たい顔族だし。
なお、ランボルギーニは1999年よりブガッティと同様にフォルクスワーゲングループ傘下となっており、きっと同社は「~リベンジ」のアウディR8の仇をブガッティ・ヴェイロンとランボルギーニ・アヴェンタドールのプロダクト・プレイスメントで取ろうとしたんだろうなあ…と思うのですが、ロックダウンは終盤のオプティマスとの一騎討ちで胸部を貫かれ、そのまま真っ二つに両断され死んでしまいました。2億7000万円のブガッティ・ヴェイロンが生き残ったと思ったら4200万円のランボルギーニ・アヴェンタドールがまたもや真っ二つになったフォルクスワーゲンの気持ちたるや。いい加減マイケル・ベイ監督は過去から学ぶことを覚えた方がいいと思います。

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あとロックダウン、なぜか沼の中に潜んでいて水面から顔を出す無駄に不穏な初登場の仕方をするのですが、その元ネタはおそらく「地獄の黙示録」でしょう。

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スティンガー(パガーニ・ウアイラ)

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スティンガーはバンブルビーをモデルに人間によって開発された人造トランスフォーマーで、ロボットモード時のデザインもバンブルビーに似ており、右腕にバンブルビーと同じ形状のブラスターを装備しています。スペック自体はバンブルビーよりも上とされていましたが、顔はバトルマスクのような形状のみで素顔を持たず、またバンブルビーのようにラジオ音声で喋る機能もなくただ電子音を発するのみで、人格や意思が存在するのかは謎のままでした。
彼が変形するパガーニ・ウアイラは、イタリアの高級車メーカーのパガーニ・アウトモビリが開発する、ブガッティ・ヴェイロンと同様の”ハイパーカー”で、そのお値段なんと1億5000万円。2011年のリリース当時はブガッティ・ヴェイロンに次ぐ価格の超ラグジュアリー・ハイパースポーツカーでした。そのスペックは、V12エンジン搭載で発進から100km/h到達まで3.2秒、最高速度は370km/hとこれまたブガッティ・ヴェイロンに迫るレベル。実際パガーニは先行する高級車ブランドに並び、凌ぐ存在になることを目指して1992年にアルゼンチン出身のカーデザイナーのオラチオ・パガーニによって設立された新興メーカーですが、実はここに前述のブガッティとの因縁があります。
パガーニ社の創業者兼CEOのオラチオ・パガーニは元ランボルギーニのデザイナーでしたが、彼以外の技術者の多くがGMからロータスを高値で買収し過ぎたせいで財政破綻に陥り倒産した”二代目”ブガッティで働いていた人材でした。元ランボルギーニ所属の社長とGMのせいで潰れた元二代目ブガッティ所属の技術者が作った車に変形する奴が、ランボルギーニの車に変形する奴と一緒になってGMの車と復活ブガッティの車に変形する奴らと戦う……なんというハイコンテクストな設定!もうストーリー云々関係なく面白過ぎる!……んですが、このスティンガー、前述のように劇中ではバンブルビーに似せて作られたという設定で、ラストバトルでバンブルビーに首を吹き飛ばされて死亡し、極めつけに「Cheap Knockoff」(粗悪な模造品)呼ばわりされてしまいます。バンブルビーが変形するシボレー・カマロのベースモデルの価格はどの世代もだいたい500万円台。1億5000万円の車が500万円台の車のコピー扱いってどういうことだよ!しかも粗悪な模造品呼ばわりってナメてんのか!!…とヘソを曲げたパガーニ社は、以後2018年のスタジオシリーズまでスティンガーの玩具化の際に版権許諾をしてくれなくなり、その間スティンガーの玩具は赤いカマロから変形する仕様で販売されていました。本当にマイケル・ベイ監督は過去から学ぶことを覚えるべき。

ガルバトロン(フレイトライナー・アーゴシー)

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ガルバトロンはシリーズ過去三作のディセプティコンのリーダー・メガトロンと実質同一人物です。前作の決戦で倒されましたが、実は頭部だけになってもなお生きており、人間に回収された後、同じく人間に囚われて拷問されていた元ディセプティコンの小型トランスフォーマー・ブレインズに密かに自らのスペックを伝え、彼を介して人間たちに新たなボディとなる人造トランスフォーマーを作らせると共に、小型の昆虫型トランスフォーマーのインセクティコンを使って自分のDNAを新たなボディに移植していました。
勿論彼も実在の車である輸送用大型トレーラーヘッドのフレイトライナー・アーゴシーに変形します。フレイトライナーのトレーラーヘッドは年式や種類によって多少違いはあれど、どれもボンネットが突き出しておらず、正面から見ると四角いフォルムなのが特長ですが、奇しくもフレイトライナーのトレーラーヘッドといえば、初代(G1)アニメ版トランスフォーマーのコンボイ司令官ことオプティマス・プライムのモデルになった車です。劇中、ガルバトロンはオプティマス・プライムに似せて設計されていたことが明かされますが、前述のようにあらかじめメガトロンの頭部からDNAが移植されていたためプログラムに誤作動が生じ、何をどうやってもメガトロンに似た姿となってしまいます。この設定を鑑みると、彼が初代アニメのオプティマス・プライムと同じ車メーカーのトレーラーヘッドに変形するのは何とも意味深です。つまりオプティマス・プライムもメガトロン(ガルバトロン)も敵同士で長年対決し続けていながら、実は似たもの同士でもあるということなのでは?
ちなみにガルバトロンが変形する車名の「アーゴシー(rgosy)」とは「大商船団」という意味ですが、終盤彼は人間によって作られた人造トランスフォーマーたちの無線操縦システムを掌握して「お前らを自由にしてやるから俺に従え」という矛盾しまくった演説をぶって軍団を結成し施設を脱走。100名を超えるかと思われる人造トランスフォーマーを率いて、まるで自分達を物扱いした人間に復讐するかのように香港で大暴れします。こうした彼の行動もまた車名に合っているように思えます。

ロボット西部劇のなり損ない

このように、本作はトランスフォーマー達の設定が異常に作り込まれており(スティンガーは少々可哀そうですが)、アーティストたちの尋常ならざる熱意を感じますが、それを踏まえるとより一層ストーリーと演出のメチャクチャっぷりが目につきます。特に後半の中国に渡ってからの進行は、もはや監督自身もヤケクソになっていた感すら窺えるくらいカオスで、絶対に監督も脚本家もこれで良いとは思っていなかったであろう、というか抗えない”大人の事情”でこうなってしまったであろう難しさと不自然さが透けて見えてきます。まあ絶対チャイナマネーのせいでしょうが。
そこで改めて本作から「中国」の要素を抜いて見ると、監督と脚本家は当初これを「ロボット西部劇」にすることを目指していたのではないか?と思しきモチーフが散見されることに気付きます。まずスタート地点が、西部劇ファンが多く実際に舞台になることも多いテキサス。そこから逃避行が始まるロードムービーの形式を取り、主人公側が賞金稼ぎに追われるお尋ね者。そんなお尋ね者で”アウトロー”になってしまったトランスフォーマー達はいずれもそれぞれ異なるスキルと個性を持つキャラの立った連中で、彼らの合流地点が、西部劇をはじめとする多くの映画やドラマのロケ地となったモニュメントバレー。

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そんな彼らが追手から身を隠すために潜伏するのが廃墟となった教会で、ここで反撃の機会を待ちながら作戦を練ります。

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そして本作における最も重要なアイテムが、人造トランスフォーマーの製造に必要な物質「トランスフォーミウム」を作り出す「シード(種)」であることが後に判明し、このシードを巡ってケイド&オプティマス・プライムら主人公チーム、人間、ロックダウン、ガルバトロンら人造トランスフォーマー軍団が入り乱れて戦いますが、これは登場人物への動機付けやストーリーを進めるために用いられるプロットデバイスのマクガフィン(MacGuffin)に相当するといえます。テキサスにモニュメントバレー、アウトローと賞金稼ぎの対決、固有スキルを持つキャラの立った奴らの共闘、廃墟となった教会、様々な背景と思惑を持つ奴らがマクガフィンを追い求める…これらは全て西部劇の定番です。もし本作にチャイナマネーが投入されず中国要素がなかったら、アメリカ国内のみでストーリーが完結するロボット西部劇の娯楽大作としてそこそこ良い線を狙えたのではないでしょうか?オプティマス・プライム、バンブルビー、ハウンド、ドリフト、クロスヘアーズ、ケイド親子(おまけで彼氏も)でデコボコな「荒野の七人」という感じで。

予告編動画には、廃墟の教会の中でテッサとバンブルビー、ハウンドが一緒に踊るという本編には使用されなかった微笑ましいシーンが挿入されています。このように、もっと個々のキャラを深く掘り下げたり、彼らが徐々に仲良くなっていく過程を描いたシーンもたくさん撮影され、それが様々な事情によりカットされてしまったのでしょう。
本作は駄作なのではなく、プロダクト・プレイスメントの参画スポンサーが札束で殴り合いをした結果メチャクチャになってしまった残念な映画だったのだと思います。プロダクト・プレイスメントはやっても企業単位まで。国家の単位になると本当に面倒なことになるというのが心底分かる、ある意味非常に教訓になる映画です。

私としては、ネトフリでもアマプラでも何でもいいから、国家単位のプロダクト・プレイスメントに振り回されない環境でもう一度マイケル・ベイ監督に実写トランスフォーマーを手掛けてもらい、きっちり全6作でこのシリーズを完結させて欲しいと思っています。というか、ここまでキャラを作り込んで尻切れトンボで終わっている現状が勿体なくて仕方ありません。それがダメなら、本当に監督が作りたかった「トランスフォーマー/ロストエイジ」のディレクターズカット版を今からでも遅くないからどこかの配信サービスで公開してくれませんかね?

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