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「カーズ」第1作目が内包する日本人女性へのフェティッシュ幻想

これまで当noteでピクサー映画「カーズ2」および「カーズ/クロスロード」の記事を公開してきましたが、改めて2006年に公開されたシリーズ第1作目の「カーズ」を鑑賞し、現在の価値観で見たらかなり露骨な”ステレオタイピング”があることが気になったのでメモも兼ねて書いてみたいと思います。

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本作は車を中心とした乗り物を擬人化したキャラクターが現実を模した文明を築いて生活している設定の3DCGアニメーション映画です。本作の舞台はアメリカ南部で人気のある同国最大のカーレース「NASCAR」をモデルとしたカーレース「ピストンカップ」と、米イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカを結んでいた旧国道66号線(通称「ルート66」)をモデルとした錆びれた国道沿いの田舎町「ラジエーター・スプリングス」。「ルート66」はアメリカ西部の発展に大きく貢献し、ただの国道としてだけでなく
”古き良き時代のアメリカ”を象徴する存在として知られ、多くのドラマや映画、小説、音楽の題材にされましたが、州間高速道路の開通により交通量が激減し1985年に廃線となってしまいました。沿線の町々は一時は過疎化によりゴーストタウン化が進みましたが、現在は歴史的価値や文化的価値が見直され、保護と観光地化が進められています。このようにNASCARとルート66を作品の舞台として設定していることからも、本作のモチーフの1つが「古き良き時代のアメリカの車文化」であったことは明白です。

白人保安官、レッドネック、チカーノ、黒人女性、イタリア移民、ヒッピー、退役軍人、ババア、都会のインテリ女性が仲良く暮らす田舎町という幻想

本作のストーリーは、「ピストンカップ」シーズン最終レースで初の新人チャンピオンを狙う人気レーサーのライトニング・マックィーンが、アクシデントから田舎町に閉じ込められ、その中で様々な町民と交流していくうちに人間(?)として成長していくという人情話。ライトニング・マックィーンは実力はあるものの、だからこそ勝利に焦り、また自分の実力に驕り高ぶって調子をこき、錆取り用クリーム会社が自身のスポンサーであるにも関わらず、「錆びた車が嫌い」という理由から大手石油会社へ移籍したいと考えていました。

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最高750馬力のレース仕様V8エンジンを搭載し最高速度317km/hという調子をこきまくった若造・マックイーン。気に食わないからとチームクルーをクビにしたり、専用トレーラーのマックを徹夜で走らせるなどツンツン尖ってブラック環境を作り出しますが、道中で出くわした日本車の暴走族の悪戯により「ラジエーター・スプリングス」に迷い込み、町のメインストリートのアスファルトをボロボロに壊して保安官に逮捕されます。
彼は完全に架空の車ですが、デザインにあたっては「フォードvsフェラーリ」で開発の一部始終が描かれた名車「フォード・GT40」がベースとされ、さらにシボレー・コルベットとフォード・マスタングの要素も混ぜられているとのこと。フォードとGM・シボレー、まさにアメ車中のアメ車、それも名車の組み合わせです。

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「フォードvsフェラーリ」に見るアメリカと欧州の車文化の違い

なお、最終レースの前に彼は町の塗装屋のラモーンの手により新たなペイントにお色直しされるのですが…

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これが1950年代っぽいレトロなペイントでこれはこれでクールです。側面に白い半楕円というデザインも初代コルベットの後期型を彷彿とさせます。

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そんな跳ねっ返りの若造と最初に出会うラジエーター・スプリングスの住民は保安官のシェリフ。1949年型フォード・マーキュリー・ポリス・クルーザーという明らかに老人(旧車)の描写で当然マックイーンのスピードには敵いませんでしたが、マックイーンが暴走の果てに有刺鉄線に自ら突っ込む自滅をやらかしたためなんとか逮捕に漕ぎつけます。

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またしてもビッグ3、それも40年代末期の車なのでやはり”古き良き時代のアメリカの車文化”を象徴するキャラクターです。グリル部分が口髭に見える秀逸なデザイン。

逮捕の翌日、マックイーンは交通裁判にかけられ「壊した道路を舗装し直すまで町から外出禁止」との判決を受けます。早く最終レース会場のカリフォルニアまで行きたいマックィーンは町民たちに「自分は人気レーサーなんだ!早くカリフォルニアのレース会場に行かないと!」と説明しますが、田吾作の町民は「んなことあるか!」と信じてくれません。何かを察した町の判事兼医者のドック(Doc)・ハドソン以外は…

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これについては先に公開している「カーズ/クロスロード」の記事でも少し触れていますが、モデルになったのはハドソン・モーターカー・カンパニーが1951年~1954年まで生産していたハドソン・ホーネットおよびそのNASCAR仕様車のファビュラス・ハドソン・ホーネットです。彼の正体はピストンカップで(作品世界の)51年~53年の3連続優勝を誇るレースの帝王でしたが、54年に大クラッシュを起こし、復帰するまでの間にすっかり新人レーサーに居場所を奪われ世間に見捨てられてしまったため、以後レース界から姿を消し伝説の存在と化していました。そのため当初は過去の自分の再来のようなマックイーンを疎ましく思い塩対応を続けますが、一方でダートコースの走り方を指導したりと世話を焼き、その過程でマックィーンに影響されて若かった頃の情熱を取り戻し、ラストでマックイーンのクルーチーフを務めます。その時の姿がまさに実在のファビュラス・ハドソン・ホーネットそのまんま。

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彼の声を担当したのは名優として知られる俳優のポール・ニューマンですが、本作公開後に亡くなったため、次作「カーズ2」では劇中でもファビュラス・ハドソン・ホーネットが”廃車”になったと窺える描写となっており、3作目「カーズ/クロスロード」では既に録音していた台詞を使用しマックイーンの回想の中に登場するという演出になっていました。

ここら辺で、ピクサーファンは「これはルート66の田舎町を舞台に、現代の車を主人公にルート66に象徴される”古き良き時代のアメリカの車文化”を紹介するお話なんだろうなあ…」と思ったでしょう。しかし他のキャラクターを今の価値観から見ると、”古き良き~”では済まないんじゃないか?と思える人種・民族・職業その他諸々のステレオタイプのオンパレードなのです。

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当初は長閑過ぎる田舎町にうんざりしていたマックイーンでしたが、少しずつ町民と打ち解け、中でもレッカー車のメーターとは親友の間柄になります。メーターは全身赤錆だらけで片方のライトやエンジンフードといったパーツの一部も欠けてしまった古い中型レッカー車で、モデルは実際にルート66の廃ガソリンスタンドに放置されていたインターナショナル・ハーベスター・L-170。「カーズ」シリーズのヒット後には、ルート66に放置されていたポンコツレッカー車が皆フロントガラスに目を入れる便乗をやるようになりました。

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彼はいかにもバカそうな喋り方で実際にバカですが、陽気でマックィーンを一目見るなり気に入り、強引に「親友」を自称し、やがて本当に親友になっていきます。日本語吹替で鑑賞すると気付きませんが、彼は明らかに南部訛りの発音で喋っており、また目の色が緑であることから人種は白人。このことから彼は典型的なレッドネックであることが見えてきます。レッドネックは南部の強い日差しに曝されて首の部分が赤く日焼けした肉体労働者を指す俗語で、このことから貧困白人に対する蔑称となっています(同様の言葉で「ヒルビリー」というのもあり)。レッドネックは低学歴・低所得なブルーカラーでキリスト教を信仰し、保守的で、南部訛りで喋り、歯並びが悪く(金がなくて歯科矯正できないから)、アメリカ製の車に乗り、カントリー音楽が好きで、NASCARの大ファンというのがステレオタイプ。それを鑑みると、メーターがレッカー車という”はたらくくるま”でバカ、隙っ歯、赤錆だらけというのはレッドネックを”擬車化”した姿としてピッタリだし、一目でマックイーンを気に入るというのも、レッドネックはNASCARの大ファンというステレオタイプを反映しているといえます。

サリー

一方、メーターと正反対の属性なのが後にマックイーンの彼女となるサリー・カレラ。彼女はもともとロスで働いていたものの、都会での忙しい生活に疲れ、休暇中に偶然辿り着いたラジエーター・スプリングスの雄大な自然に魅せられて移住した弁護士で、町ではモーテルも経営しています。モデルとなったのは2002年型ポルシェ911カレラ。さすがにポルシェは弁護士の収入でなければ買えない価格の車なので、これもまたピッタリな設定です。
ポルシェは創業者のフェルディナント・ポルシェ博士がナチスに全面協力して戦犯になった過去から、「戦い」に関する一切の作品に対し版権許諾しないことで知られていますが、本作では無事にポルシェ911カレラの版権が降りてサリーの顔にエンブレムが付きました。まあディズニー/ピクサーに頼まれたらさすがに断れなかったでしょうが。

しかしここでふと疑問が湧いてきます。昔ながらの(白人)保安官の老人と伝説のレーサーだった過去を持つ(これまた白人の)医師兼判事の老人、レッドネック、都会から来た女性弁護士(インテリ)がみんな仲良く暮らしている町なんてあり得るか?と。ところが他の町民のステレオタイプバラエティはもっと凄いことになっています。

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町で塗装屋を営むラモーン。町が栄えていた頃は多くの客が店を訪れていましたが、過疎化が進んでからは暇過ぎて自分自身を塗装することが日課になっています。モデルとなったのは1959年型シボレー・インパラのローライダー仕様。

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ローライダーとは、車高を低く、タイヤとホイールを小さくすることで車体をより低く、大きく見せ、かつ油圧式の車高調整システムを搭載して車高を調節し、まるで車が跳ねたり踊ったりしているように見せるカスタム文化のこと。低所得のメキシコ系移民「チカーノ」が、新車が買えないため安価で購入できる一世代前の中古車をベースに、新車に負けないほど美しく改造したのが源流とされ、後に中流以上の裕福な白人のカスタム文化だったホットロッドへの対抗心からどんどん豪華な改造へと進化していきました。こうした背景から、ラモーンもメキシコ系であることが窺えます。

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そのラモーンの妻で町民の憩いの場であるカフェ&ダイナー(ガソリンスタンド)「V8カフェ」を経営するフロー。町で一番面倒見の良い、所謂”世話焼きおばちゃん”です。モデルとなった実在の車はありませんが、流線形のフォルムと特長的なテールフィンの形状から50年代のイベント展示用のショーカーであることが窺え、それにちなんでナンバープレートも「SHO GRL(ショーガール)」になっています。
彼女もメーターと同様に日本語吹替で鑑賞すると気付きませんが、オリジナル版を鑑賞すれば典型的な黒人のおばちゃんそのもの。もう日本人が聞いてもはっきり分かるくらいの分かりやすさです。50年代に、黒人のショーガールで、メキシコ系の男性と結婚して南部の田舎町で暮らす…何気にフローに背負わされたメタファーは重いのでは…

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町で親友のフォークリフト・グイドとタイヤ店を営むルイジ。イタリア魂旺盛でいつかフェラーリが店に来てくれることを夢見ています。モデルとなったのは大衆車として知られる1960年型フィアット・500。分かりやすくイタリア訛りの英語とイタリア語を交えて話すので、日本語吹替で鑑賞してもイタリア移民であることがすぐに分かります。「フェラーリが好き」という設定も、先述の「フォードvsフェラーリ」で描かれたフォードを当て馬にした買収劇を知っていると何気に笑ってしまうネタで、公開当時まだフェラーリはフィアット傘下だったため(2016年に離脱し再独立)、フィアットと共にフェラーリのエンブレムの版権許諾が降りました。

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町で手作りのオーガニック燃料やタイダイ染めの泥除け、ボヘミアンなアクセサリーを販売するヒッピーのおっさん・フィルモア。オーガニック燃料が流行らないのは政府の陰謀だと信じる陰謀論者で、のんびりしていて常に眠そうにしているのが特長。モデルとなった車は1960年型フォルクスワーゲン・バス・タイプ2。

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フォルクスワーゲンは60年代に「愛と平和の車」としてヒッピーに愛され、車体にサイケデリックな手描き塗装が施されました。彼が常にのんびりしていて眠そうなのは大麻吸引の暗喩でしょうね。

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町で軍の払い下げ用品を売る退役軍人のおっさんサージ。退役後も毎朝起床ラッパで起き星条旗の掲揚を欠かさない軍人気質の愛国者で、自身と対照的なヒッピーのフィルモアに小言を言うものの、なぜか常に一緒にいる描写が目立ちます。

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おそらく名前の元になっているのは「軍曹」を意味する「Sergeant」(→Serge)。モデルとなった車は、ジープの元祖で知られる軍用車の1942年型ウィリスMBです。

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町が生まれた頃から住み続けている長老でお土産店を経営する老婆のリジー。夫のスタンレーは町の創設者で既に亡くなっており、町には彼を顕彰する銅像が建てられています。モデルとなった車は世界初の大衆車でアメリカの車文化の始まりを作ったT型フォード!もちろん色は黒一色のみです。

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……と、ラジエーター・スプリングスの住民構成はこんな感じですが、白人保安官と医者とレッドネックと女性弁護士とチカーノと黒人女性とイタリア移民とヒッピーと退役軍人と長老のババアがみんな仲良く暮らしているアメリカ南部の田舎町なんてあるわけねえだろ!アメリカ在住歴がある人や仕事で行ったことがある人ならお分かりでしょう、現実のあの国はもっと複雑で厄介なのだと。実際にアメリカは「人種の坩堝」ではなく「サラダボウル」だなんて以前から言われていますが、人種・民族のみならず職業や収入、学歴、出身地や現住所、その他様々なクラスタによって分断され、それを超えて交流し仲良くなる機会や場所は実はそんなにありません。

つまり、本作におけるラジエーター・スプリングスは、現実の問題を敢えて一切反映させていない「究極の理想の田舎町」であり、その良さに若者(白人)が魅せられ、同化していくという徹頭徹尾理想化された「古き良きアメリカ」を描いた作品と言えます。
実はこうした、現実の問題を敢えて一切反映させずに完全に理想化された世界観を描くということを、ディズニーは過去に何度かやらかしています。その最も有名な例が1946年公開の「南部の唄」です。

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本作は実写とアニメーションを合成するという、当時としては非常に画期的な技術が使われた作品で、音楽面でも主題歌がアカデミー歌曲賞を受賞するなど当時かなり評価された作品ですが、現在ではディズニーの自主規制により封印作品とされ、ブルーレイ化も配信も行われていません。
本作の原作は、1880年代に刊行されたジョーエル・チャンドラー・ハリス著のアメリカ民話集「リーマスおじさん(Uncle Remus)」シリーズ。ハリス本人が若い頃に黒人奴隷から聞いた彼らの民話を、「リーマスおじさん」という架空の黒人老奴隷の語り部から子供達に語らせるという体裁を取っており、ディズニーはリーマスおじさんと子供達、その周囲の大人のドラマパートを実写で、民話部分をアニメーションで表現しました。映画「南部の唄」の主人公は7歳の白人の少年ジョニー。彼の両親は不仲で、母親はジョニーを連れて実家である南部の綿花農園に里帰りします。慣れない土地で父親不在、おまけに他の白人少年に虐められて落ち込んだジョニーは家出しようとして黒人奴隷の居住区に迷い込みますが、そこで彼に優しくしてくれたのが老奴隷のリーマスおじさんと少年奴隷のトビー。リーマスおじさんは面白い民話をジョニーに話して聞かせて彼を元気づけ、その影響で自分をいじめた少年の妹ジーニーやトビーとも仲良くなっていきます……って、そんな牧歌的な奴隷制があるわけねえだろ!おそらくこれは、1939年に公開された「風と共に去りぬ」と同様、南北戦争以前の「古き良き南部文化」への懐古と美化の映画だったのかもしれません。ということで全米黒人地位向上協会が本作の黒人奴隷描写に抗議したため、アメリカでは1986年以降、ディズニーの自主規制により一度も再公開されず先述のようにメディア化と配信も行われていません。加えて昨今のBlack lives Matter(BLM)運動によりこの問題が再燃。本作はディズニーワールドの人気アトラクション「スプラッシュ・マウンテン」のテーマでしたが、ディズニーはBLM運動の高まりと再批判を受けて、アトラクションのテーマを2009年公開の「プリンセスと魔法のキス」に基づいたものに変更すると発表しました。

ただこの「プリンセスと魔法のキス」も、「1900年代初期のニューオーリンズで黒人が全く差別されておらず黒人の女の子と白人の女の子が対等に友達だなんてあり得ねえだろ!」という批判があるのですが。

ただネタとして消費される日本車と日本女性

「カーズ」第1作目の公開以降、ディズニー/ピクサーは本作のスピンオフ・ショートアニメ「メーターの世界つくり話」を公開し、さらに「カーズ2」で世界中を巡るスパイアクションを描き、第1作目以上に露骨なステレオタイプをこれでもかと繰り出しますが、シリーズ最終作「カーズ3」ではそれがすっかりをナリを潜め、先に公開した記事のようにマイノリティにエールを送るストーリーと演出になっていました。

【ネタバレ注意】老害撲滅&マイノリティ応援映画「カーズ/クロスロード」

価値観のアップデートのスパンは時代の変遷によりどんどん早く、短くなっており、またディズニー/ピクサーもそれに合わせて過去のやらかし案件の贖罪をするかのように、自己批判を踏まえた作品を発表するようになりました。「カーズ/クロスロード」では人種や民族をネタとしたステレオタイプは描かれず、過去作でさんざんバカな田吾作キャラ扱いをされてきたメーターもマックイーンを精神的に支える役割を果たします。もしかしたら「カーズ/クロスロード」はこれまでの同シリーズにおけるやらかしの贖罪のために作られた作品かもしれません。

ところが、本シリーズでただネタとしてステレオタイプなキャラクターにされ、しかも「カーズ/クロスロード」での贖罪対象にもならずただ消え去り、いなかったことにされているキャラクターがいます。それが1990年式マツダ・ユーノスロードスター(海外展開名:MX-5 Miata)をモデルとした双子の若い女性「ミア」と「ティア」です。

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ユーノス・ロードスターといえば国内外でも多くのファンを持つコンパーチブルタイプのライトウェイトスポーツカーで、初代発売の際は1年で世界販売台数9万3626台を記録し大ヒット。これのおかげで一時は消滅しかけていたライトウェイトスポーツカー市場全体が活性化し起爆剤的な存在となりました。
そんな名車がモデルなのですが、ミアとティアの役どころはマックイーンの熱狂的なファン。立入禁止エリアぎりぎりまでマックィーンを追いかけ、またその姿を報道カメラマンに後ろから撮影されるという、完全な賑やかしのお飾りキャラクターです。日本のロードスターがアメ車のNASCAR仕様車の熱狂的なファンで、彼に似せたステッカーを貼って真似しているという設定自体がそこそこヤバいのですが、それ以上にヤバいのが若い女性のキャラクター、それも白人男を追いかけてキャーキャー黄色い声を上げるだけのバカでエロい女として描かれていることです。
というのも、先述のとおりユーノス・ロードスターはコンパーチブルタイプのスポーツカーで、屋根がハードトップではなく、折り畳んでオープンカー仕様にすることができます。つまり「屋根」(Top)が無くて折りたためる……Topless(トップレス)ということ。さらに上に貼ったシーンのスクリーンショットでは、ミアとティアはマックイーンの眼前で突然ライトを点灯し、その瞬間後ろにいた報道カメラマン(全員男性)が盛り上がり、マックイーンも笑顔で嬉しいような困ったような微妙な表情をします。英語でライトを点けることを表す単語はFlashですが、俗語では別の意味があります。それは「人前で突然肌を露出する」。露出狂(Flasher)の表現なんかに使われる言葉です。
なお、上のシーンの後にも彼女たちはマックイーンの妄想の中にも登場するのですが、いつもマックイーンの両側に侍りしなだれるという表現で、うち1シーンはボディカラーがゴールドになり、明らかにトロフィー的存在であることが示されます。

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ちなみにユーノス・ロードスターの海外展開名「Miata」は、ドイツ語の古語で「贈り物」「報酬」という意味。ここまで知っていて、考えて設定していたとしたら監督のジョン・ラセターはなかなかのクソ野郎です。とりあえず菓子折り持ってマツダに詫びを入れに行け!

もっとも、ジョン・ラセターはジブリ作品をはじめとする様々な日本のアニメや映画に影響を受けた人で自身でもそれを公言しており、勿論人種差別主義者ではありません。しかしそのリスペクトのベクトルが向いているのは「日本のコンテンツと作り手」に対してです。また、そのリスペクトにしたって自分と対等な人間に対してのリスペクトだったか?自分達が属する文化圏と対等な文化としてのリスペクトだったか?はジョン・ラセターにしか分からないし、もしかしたら彼自身も分からないかもしれません。はたして日本人、特に女性に対してはどうだったか?そこにフェティッシュ的な幻想が含まれてはいなかったか?それをもとに「日本女性はバカでエロくてチョロいしそう描いてもOK」と思っていなかったか?と、どうしてもそんな疑問が残ります。そもそも差別感情は意識的に出されることよりも、無意識下に滲み出てしまったケースの方が多いのだから。
なお、スピンオフ・ショートアニメ「メーターの世界つくり話」でミアとティアはマスコット的モブキャラとして複数のエピソードに登場しますが、いつも黄色い声を出してマックイーンを追いかけ、カウガールやウェイトレスなどコスプレを披露するわりには意味のある台詞は喋らせてもらえず、特に「メーターの東京レース」では彼女たちだけでなく東京の風景とキャラクター全員が「カーズ2」のティザー版的にステレオタイプな表現になっています。

「メーターの世界つくり話」は今でもディズニーの公式Youtubeチャンネルで全話無料視聴できるので是非ご覧下さい。ただしコメント欄はオフになっています。

中盤、ミアとティアはマックイーンのライバルであるチックに言い寄られて彼のファンに乗り換えますが、ラストで彼の自己中さを目にしてあっさり見限り、またマックィーンのファンに戻り、ラストではいつでもマックィーンに会えるようにフローのV8カフェでウェイトレスになったことが描かれます。その後スピンオフ「メーターの世界つくり話」続いて「カーズ2」のラストでもマックイーンに黄色い声援を送っていましたが、「カーズ/クロスロード3」では一切登場せず消えてしまいました。

アジア女性のフェティッシュ幻想は現代の「ミンストレル・ショー」問題ではないか説

そもそもなぜ日本を含むアジア系女性は白人男にフェチの対象とされてしまうのか?おそらくそれは小柄で控えめ、しかも外国語ができないというイメージから、何かやっても口答えや反撃をしないだろうと舐められているところから来ているのでしょう。加えて、アジア系女性に対する差別は「人種差別」と「女性差別」の混合型で、これは最近コロナ禍の影響から欧米各国、特にアメリカでアジア系に対するヘイトクライムが激増している問題とも根が同じと思われます。
これらに加え、アジア系女性に対するフェティッシュ的幻想とステレオタイプは決して新しいものではなく、それこそ100年単位で蓄積されてきた歴史があります。「トゥーランドット」「マダム・バタフライ」「メモワール・オブ・ゲイシャ」に始まり、それこそこの「カーズ」第1作目のように2000年代以降に至るまで、白人男性による一方的な幻想によってアジア系女性のステレオタイプが形作られてきました。それは例えるなら、先に公開した「トランスフォーマー/リベンジ」の記事でも触れた、白人による黒人劇「ミンストレル・ショー」の問題に似ています。

一般大衆に夢を見せてコルベットを作れ!どん底GMの起死回生広告「トランスフォーマー/リベンジ」

ミンストレル・ショーでは、顔を黒く塗った(Blackface)白人によってステレオタイプ化された愚かな黒人が演じられ、そのイメージが定着し、実際の黒人も愚かだとされ人種差別法「ジム・クロウ法」が制定され、ステレオタイピングされた黒人のイメージが後の時代の演劇や映画に受け継がれてしまいました。それも全米黒人地位向上協会をはじめとする多くの団体や個人の度重なる運動によって克服し、また今もBLM運動によって反差別の声があげられています。その一方、アジア女性に対するフェティッシュ的幻想については今まで表だって反差別運動に発展することはありませんでした。それどころか「日本人女性は海外に行ったらモテる」「日本人女性は従順だと思われているから白人男がどんどん口説いてくる」なんて呑気なことを言い、それに乗っかる無知なアホまでいる始末。しかしそれも現在アメリカから沸き起こっているアジア系に対する差別と戦う運動によって徐々に変化していくかもしれません。

ということで、是非ディズニー/ピクサーには、ミアとティアに対する贖罪として日本車を大々的にフィーチャーした「カーズ」シリーズ4作目を作って欲しいと思います。トリロジー作と言われていた「トイ・ストーリー」だって4作目ができたんだから、やろうと思えばできるんじゃないでしょうか。

それにしても、「車を擬人化」して「ステレオタイプ」を描き、”古き良き時代のアメリカの車文化”には日本車は入っていないって、何気に「カーズ」シリーズとマイケル・ベイ版「トランスフォーマー」シリーズは共通点がありますね。ただしジョン・ラセターはセクハラで失脚したのに対しマイケル・ベイはプライベートでは意外とやらかしてないという違いがありますが。

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