最後の決闘裁判 (The Last Duel)

2021年
監督:リドリー・スコット
出演:ジョディ・カマー 
       マット・デイモン 
       アダム・ドライバー 
       ベン・アフレック​

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語り直しのありがたさ


本作は、中世フランスにおいて、騎士カルージュの妻マルグリットが、夫の旧友であるル・グリから性的暴力を受けたという訴えの経過を、それぞれ3人の視点から物語を語り直す3章仕立てで構成されている。



筆者にとって、この3度同じ話を語り直すという構成は非常にありがたかった。



というのも中世の時代背景や史実の時系列などにあまり詳しくないため、こういう歴史的事実に基づいた映画は一度観ただけでは内容を十分に把握できないことが多い。




その為、本作のように同じ話を周回してくれると、出来事を整理し理解を深めながら観ることができ、2章、3章と進むに従って、より映画に没入することができた。




主観と真実


騎士カルージュの視点から語られる第1章は、カルージュのマグリットへの愛、ル・グリへの友情、そして恨みが描かれている。

一方、ル・グリの視点から描かれる第2章は、第1章とは対照的に、酒池肉林、愛欲に溺れた刺激のある内容となっている。

第2章で印象的だったのは、ル・グリがマルグリットと2人きりで会うとき(夢の中でも現実でも)だけ、手持ちカメラで撮影されていたことだ。



これはマルグリットを目の前にすると揺れ動く気持ちを抑えきれないル・グリの心情を表していたのだろうか。


第3章では、最後にマルグリットからの視点で描かれることで、各シーンの種明かし的な内容となっている。


第1章〜第3章を観てわかることは、同じ出来事を共通して経験していても、それぞれの人物の主観によって、出来事の認識は少しづつ異なり、ある人物にとっての真実は、他者にとっての真実とは異なる可能性があるということだ。


主観でしか出来事を語ることが出来ない以上、どれだけ多くの人物がそれぞれの視点で、それを真実として語ったとしても、それぞれの真実はお互いに完全に相入れることはないのであり、絶対的な真実には辿り着くことは出来ないのではないだろうか。



観客にとっての真実


本作は、3人の視点から物語が語られているが、映画作品であるという性質上、それを観る観客と言う4人目の視点が入ることになる。


第1章では、騎士カルージュからの愛を受けているように描かれていたマルグリットも、彼女の視点から観ると、跡継ぎを作ることを過度に期待され、家畜の馬と同じように家に閉じ込められていることが描かれていた。


さらに、マルグリットがル・グリに強姦されたとカルージュに告白するシーンでは、第1章では、カルージュがその告白を受け止めるシーンで終わっているが、第3章ではその直後にカルージュがマルグリットに子作りを強要していたシーンまで描かれていた。


このように本作の1章〜3章を観ていると、物語をどの視点から語るか、またどこまで語り、どこを切り取るかで受け取り手が読み取るストーリーは変わってしまうことを考えさせられる。


映画作品において物語が語られる時、基本的に1つの視点から語られることが多く、またどのシーンを入れて、どのシーンをカットし、どう編集するかは、監督が観客にどんな物語を語りたいかに依存している。


映画とは常に製作者が語りたい物語の形に編集されたものであり、観客はそれを観て物語を解釈するという関係性のもと成り立っている媒体である。



そのため本作を観たことで、今後他の映画を観た時にも、その作品はあくまで主人公の視点で描かれた物語であり、仮に違った視点で描かれたらまた違う解釈が出来るかもしれないという、メタ的な視点で映画を観るきっかけとなった。





#最後の決闘裁判




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