金獅子と赤蝶
日曜日の夕方。息子と一緒に近くのスーパーマーケットへ向かった。
この春に高等専修学校を卒業した息子はあまり外出したがらないし、新しい経験に挑戦することも苦手。
何かと理由をつけて一緒に外に出たり、ゆっくり落ち着いて話をする時間を見つけるようにしている。今日は買い物に誘ったのだ。
何かしら本人が魅力を感じたり、その時の気持ちに勢いがあると出来ることがあるので、スーパーマーケットの裏にあるカフェに誘ってみた。
「え、今?」という返事をよそに向かう先は珈琲屋黒子。
珈琲が好きな息子。
店に入ってメニューを見る。
数種類ある珈琲の紹介を前にしたら目がキラキラして見える。
注文を聞きに来た店主さんに
「もうちょっと選んでてもいいですか」
と私は時間を頂き、じっくり選ぶ。
「え、これ気になる」
「やっぱ個性派かな」
などマスク越しに話す息子。
いつもより口数が多い。
決めたのは定番の金獅子と、個性派の赤蝶と名付けられた珈琲。
私の目当てであったチーズケーキは本日売り切れ。
残念。
でもキャロットケーキがある。
注文はひとつにした。
人参が苦手な息子が顔をしかめたから。
二人席に座る。
ゆっくり丁寧に淹れてくれるから時間がかかるのは経験済み。
でもその分、期待は大なのだ。
ジャズっぽいBGM。
壁はコンクリートむき出し。
一見無機質に見えるが店内には木製のテーブルや椅子、カウンターがあるから居心地はよい。
客は本を読む中年男性一人。嬉々として会話をする中年女性二人。そしてカウンターで店主さんと言葉を交わすカップル一組。
私の目の前にはスマホから目を離さない息子。どうやらイヤホンで音楽を聴いているらしい。
ゆっくり時間が過ぎて、待ちかねたキャロットケーキが運ばれた。続いて珈琲も。
珈琲の味を説明できるほど詳しくないので書かないが
美味い。
ただ美味い。
息子はと言えば。
一口飲んで目を見開く。
二口目を口にして目を細め息を大きく吐く。
美味いらしい。
レーズンとクルミが入ったキャロットケーキ。
添えられたホイップクリームをつけた。
それがホイップクリームではなくサワークリームだと気づいたのは口に入れてからだ。
息子も食べてみる。
「サワークリームじゃない。クリームチーズだよ」という。
なぜクリームチーズと分かるのか。
「僕、サワークリーム食べれないもん」
調理師免許を持ち、味覚が私よりもいい息子が言うなら間違いないなかろう。
そしてこのケーキとクリームチーズの組み合わせ、絶妙である。
「キャロットケーキ、もうひとつ頼めば良かった」と後悔する息子は、私のキャロットケーキを既に半分以上食べている。
10分も経たぬうちに珈琲もケーキも頂いてしまった。
「もっと味わったらよかったんじゃん?」と私が言うと
「美味しいものは一瞬だよ」
作り手の手間と時間を何度も経験した息子の言葉に思わず納得してしまった。
※ちなみに後で店員さんに聞いたら付け合わせのクリームチーズにはお店独自のアレンジがしてあった。あながち私の味覚も侮れない。
珈琲屋 黒子