パワハラについて思うところ
パワハラの定義とはなんなのか。
文化の違い、伝統の違い、価値観の違い、年代の違い、
いじめはいじめられる側がそう感じた時点でそうなると言うけれど、
パワハラはどうなのか。
さまざまな違いから生まれるディスコミュニケーションとの境界線はどこなのか。
暴力はもちろんいけないと思う。
言葉の暴力も同じだと思う。
でも、その境界の認識にズレがある場合、
する側とされる側と判断する側、
どちらに合わせて判断されるのか。
こんなことに無駄な体力と時間を費やしたくないとは常々思うけれど、
放置して今後また誰かが辛い思いをするのかと思うと、今放置する自分も重罪ではないかと感じる。
会話の録画や文面で、俗に言う"証拠"を残すことはとても難しい。
表に出れば出るほど誰も助けてくれない事実は
自分の価値が低いんじゃないかと思わせる何かがある。
クビを受け入れることが一番の解決策だと言われると、しがらみから逃れられるならと思ってしまう。
考えないようにしようと思っても、悲しさや恐怖には危機察知能力が働くため、嫌でも思い返してしまう。
人はこうして鬱になっていくのかもしれない。
恐怖心と疑心から周りの人まで傷つけてしまう。
クビ宣告を受けてどんどん不安定になっていく自分がいる。
誰かのために働きたくて地域おこしを選んだのに
誰かのためになっていると信じて半年間活動してきたのに
社員の仕事も積極的に請け負って
誰かの助けにきっとなっている、と思ってきたけれど、
全て空回りだったのかもしれない。
ポジティブとネガティブのループ
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