呪縛を知るということ

地域おこしを離れて、1年が過ぎた。

振り回し、振り回され、自分と向き合った一年だった。

まず、不眠や食欲不振など
典型的なストレス症状が続き、
初めは職場へのあてつけで通い始めた心療内科への通院を続けた。


そうしながら
慰めてくれる人のところを渡り歩いて
勧められるがままに仕事をし、
騙されそうになったり、
パワハラにあったり、
ブラック企業に吸い込まれそうになったり、
散々な日々だった。

せっかく落ち着いたと思っても
その企業が潰れてしまったり
故意なのか手違いなのか、仕事が回ってこなかったり
数年で経験するようなことを一度に経験したように思う。


まるで、今までかわしてきた人間関係のトラブルが一度にやってきたようだった。


そんな環境にいたせいか、
自分の精神状態はさらに悪化。

街中で元上司の姿を見ると軽いパニックに。
パートナーへの依存、分離不安もひどかった。

病院での診断は不安障害。
しかし、カウンセリングを受ける金銭的余裕もなく、
youtubeで精神科医の発信を見たり
本を読んだりして
心理学の勉強を始めた。



勉強をしていると、
毒親 愛着障害 発達障害
この3つの単語が自分に深く当てはまった。

流行り言葉のようではあるが
これをきっかけに

・自分の家が機能不全家族であったこと
・仲の良かった母が自分にとって毒だったこと
・自分が発達障害かもしれないこと
・精神が成長できていないかもしれないこと

に気がついた。

さらに、
元上司、厚意な取引先、離職後出会った人々
また、過去にスカウトしてくれた会社の人々も
ほぼ全て同じような特徴をどこか持っていて

まるでお互いに引き合い選び合っていたようだった。



気づいてはショックで寝込み、
解毒の努力をしては
また次の事実に気づき落ち込む。
そしてまた次のトラブルが起きる。


今思えば、相当大変な日々だった。



一番難しかったのは、自分を認めることだった。



母親からの刷り込みで
周りに褒められる人でなければいけないと思い続けていた。

この反動で
わがままな自分
下手だけど歌が好きな自分
描くのが好きな自分
が封印されていた。

また、過干渉から
本当に大事なものは隠すか手に入れない癖がついていた。
全部1人でできるようにならないと、そうも思っていた。


気づいたからといってすぐに治るはずもなく
今も
わがままに罪悪感が湧くし
人前では絶対歌えないし
自由意志でものが描けない。
パートナーがいるのも正直怖い。

けど、
自分が今まで間違って積み上げてきたものに、
それが人間関係や仕事に及ぼしてきた影響に
気づけたのは大きな一歩だった。



自分のこの人生の思い違いが
先天的なのか、後天的なのか、
結果はもうすぐ出る。


でも、自分を認めてあげられれば
自分の嫌なこと、好きなこと、
今までと違って自分主体で物事を決めることができると思う。


この苦しい一年の後半、
自己犠牲をやめて自分主体に動いてみたら
幸せを感じる瞬間が増えた。

自ら外に向かうこともできるようになった。


かつての同僚の現在の姿をみていると
たまらなく羨ましく
虚しくなることもあるけれど、
きっと家族が喜び求める私の道はそこなのだけれど、

そこに私の幸せはなかったし
これからもきっとない。

自身が幸せに向かって進むのは
当たり前かもしれない。
けれど、そんな当たり前を感じられなくなるほど
長らく呪縛に縛られていた。


呪縛を知り、ほどく一年だった。

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