白状しよう!2021年、私は辛かったんだと思う。
ずっとずっと意識してなかったことで、潜在意識の奥彼方にあるものは、掘り出さなければ出てこない。
昨年、終盤にコーチングに出会って、コーチとともに自分を深掘りしまくることをしてきたので見えてきたことを書いてみようと思う。
紛れもない"幸せ" の裏側
正直に言おう。2021年、私は”ワーキングマザー”として無理をしていんだと思う。この4月に息子が保育園に入園して、晴れて職場復帰をした。私はもともと福岡の会社から一人離れて名古屋で暮らさせてもらっている「リモート社員」なので、その日からは在宅ワークがスタート。
普通が一体どうなんだかわからないが、私は復帰直後から既にフルタイムで働いている。というか、家から保育園が10分以内の距離&在宅なので、それができてしまう。
ちなみにこちらが私のワンオペDAYの1日
よくよく書いてみて自分でもびっくりしたけれど私にとっての私の時間と呼べるものは正直1~2時間程度しか存在しない。しかも楽しみ&リフレッシュのはずの土日は、息子を中心にどう過ごすか考える1日になってしまっており、正直平日よりもしんどい時も多い。疲れが取れるかというと、取れていない。(息子がイヤイヤ期なのもある。しんどいのは旦那も一緒。)
これが当たり前になってしまって、とうとう自分に向き合う時間すら失った私は、実は麻痺していただけで無理し続けていたんじゃないかなと気がついた。
育児は大変な分楽しいし、息子は世界一可愛い。夫婦関係良好。両親・祖父母、家族はみな元気。弟もかわいい、弟嫁もかわいい。仕事も充実してて、時々ぱーっと旅行にも行けてる。これは紛れもない事実。
だからこそそれ以上なにを望むの?って心のどこかで思ってたんだと思う。世の中のかあちゃん、みんな頑張ってんだからこんなことで根をあげるなよって、無理して自分を励まして、ワーママとして両立できているとすら思っていた。
でもきっとそうじゃなくて。
本当はギブ!って瞬間が何度もあったんだと思う。それでもそれに気づけず、SOSも出せずにいた。
紐解いていくとその理由は自分自身の性格にあった。
私は幼い頃からなにをしても容量がよかった。大抵のことはコツを掴むタイプなので、「とろくさい」と思ったことも思われたことも、おそらく一度もない。そういう自負があるからか、人に助けてと言うことがとにかく苦手。
さらにはそこに長女の「しっかりさん気質」と仕事好きの「責任感強め」という面倒な長所までくっついてしまい、気づいた時には「わたしらしくなれるのは息子がもう少し大きくなっていいや」という諦めモードで過ごしていた。
ママの"自分らしさ"あっての育児
でも本当でそれでいいのか?あきらめてしゃーなしの2年を過ごすことが息子にとっていいのかな?
たぶんそうじゃない。
「息子の幸せはなんだろう?」って考えるとやっぱりパパママがHAPPYで心身ともに健康で余裕のある状態でいられることだと思う。余裕さえあれば、心に少しの余白さえあれば、子どもに当たってしまったり、子育てがキツイと思う瞬間もきっと減るはず。
そんなわけで今年は自分の欲望に蓋をしないことを大切にしたいと思う。
「やりたいこと」と言われても、これまで既にいろんな制御をかけてしまったせいで、しばらくは湧いてこなかった。でも今年、わがままを言って実家の家族と旦那に甘え、私は元旦に岩盤浴へ一人で行かせてもらった。
こういうことが思い切ってできるようになると次にしたいことがふつふつと湧いてくる。仕事でしたいこともバンバンでてくる。さらには、息子と今年したいこともでてきて、何一つあきらめる必要なく叶うものだという自信すら出てきた。
ママであっても、わたしはわたしのままでいい。
できないかもしれないことがあっても、できる方法を探したらいい。
その上で息子と旦那と楽しく全力過ごしたらいい。
そう思えた私は、毎日にちょっとずつわくわくできるようになった。
こんな風に無理をしている世のワーキングマザーがもっと輝ける世界を、つくれる一員に今年はなりたいな。