SNSに制限時間を設けている。どのプラットフォームも15分使うとアプリが終了されるように設定した。これ以上SNSに時間とエネルギーを費やしたくない。「私生きてます」基本そのお知らせだけ。 とくにYouTubeのロバート秋山の動画は絶対にクリックしない。すぐに15分を超えて何回も何回も制限時間を解除して見続けてしまう。そして一旦見るとまたどんどん見たくなる。 先日のコンサートでオーケストラのラプソディー・イン・ブルーの力強い響きが大きなホールいっぱいに鳴る中、ロバート秋山の
「人生には3つの坂がある。上り坂、下り坂、そしてまさか」スピーチの出だしで使われる言葉。長いこと歳を重ねてきて身をもって学んだ。人生は「まさか」の連続。それを上がったり、下ったりすることが生きるということだと。 2015年には大統領選の「まさか」。しばらくの間、何も手につかなかった。あの「まさか」は常に想像の斜め上から心にのしかかってきて、不安な毎日を無言でやり過ごした。2020年の大統領就任式でアマンダ・ゴーマンが詩を朗読した時に、初めて涙が溢れてきた。以前の4年間、
わたしが声を上げ続けるきっかけになったのは若い友人からのメール。 「自衛隊に入ることになりました」 自衛隊の楽隊は世界最高峰レベル。 「すごいね!おめでとう!」 お祝いの返信をしたが、それきり。「自己責任だから」と頭ごなしに自分の夢をつぶす若い人たち。時には絶望が自分自身を葬ってしまう。 毎年2〜3万人が多くの人が自ら命を絶つ。6人に1人が貧困。異常な物価高。殆ど上がらない賃金。闇バイトの横行。能登も東北も置き去り。先進国の中で唯一景気が下がり続ける日本。社会福祉は軍事
今回のアルバムは録音に半年もかかりました。ジャズの録音期間では異例の長さでしょう(おそらく)。今年はアルバムをつくるのは無理だと思いました。2月にスタジオに入ったら身体が全く言うことを聞いてくれなくなったのです。そして心も少しずつ弱っていきました。何もできない不甲斐なさ。世界も自分もこわれていくのをただ見つめるだけです。 せめて録音をし始めたアルバムを少しでも納得できるものにしたいのに、ピアノを弾くとかそれ以前に、身体も心も音楽を拒絶していました。わたしは誰なのでしょう。誰
私が生まれた頃の両親はとても貧しい暮らしをしていた。それは目も当てられないほどの貧しさだった、と母から聞いて驚いた。私には小さな子ども時代の幸せな記憶しかないからだ。ありがたいことに家族ともに健康だったし、温かい食事を食べられたし、身近に音楽があった。何よりいわさきちひろの絵本があった。たくさんの物語が私の幼年時代ふちどる。赤い風船、りゅうのめのなみだ、ことりのくるひ、おにたのぼうし、ひさの星、あかちゃんのくるひ、あかいくつ、おやゆびひめ、絵のない絵本、あげたらきりがない。「
去年の10月くらいから、ある男性の作家のクラスをとっていた。仕事の都合で行けたり、行けなかったりしても、心を守って生きていくために、書くことが必要だった。クラスの方々の作品に触れて、その思いが切実になった。支えだった。たくさんの学びがあり濃密な時間を過ごさせていただいた。 しかし、ある時から少しずつわだかまりを感じはじめていた。教室にふんわりと漂う違和感が、先日の講義ではっきりした。 ”対話とはキャッチボール。あのキャッチボールの感覚、女性はキャッチボールをしたことがない
わたしが声を上げ続けるきっかけになったのは若い友人からのメール。 「自衛隊に入ることになりました」 自衛隊の楽隊は世界最高峰レベル。 「すごいね!おめでとう!」 お祝いの返信をしたが、それきり。 その友人は「大学を卒業したら海外で勉強を続けて世界のいろんな場所で活躍したい、そのために頑張ってきたし、現地の学校も見学した」外国に行ったことも目をキラキラさせて話してくれていた。自衛隊の音楽隊に入りたいと一度も聞いたことがなかったので本当はとても驚いた。メールは短かった。
ナンシー関と太宰治の命日が1日違いということもあり、今日あたりから気を引き締めていこうと思う。 下弦の月が霞んで見える。 ショックだったのは、ナンシー関の本をほとんどをどこかに(たぶんニューヨーク)置き去りにしてしまったことだ。読もうと思ったらここには一冊もない。「思い出の反芻は目減りのしない娯楽」 ナンシーの世界に浸りたかったのに。 代わりに太宰でも読んでみようと「もの思う葦」を開いたページが「田舎者」という作品だった。 私は、青森県北津軽郡というところで、生れまし
英語が話せるってすごくいい だって英語で話す時の自分はまるで別人格 自信たっぷり、主張はっきり、すっごくポジティブ かつて起こったトラウマだって 英語で話す時には上書きされていく あれはポルトガル語の自分に起こった 可哀想な出来事だって🤣🤣🤣 ポルトガル人のコメディアンが インスタ投稿から語りかけてきた話☝️ すごく笑った ほんとうに事実 英語人格に変わるとなぜか 母国語で話す自分にマウントを取り始める 他の言語で話す時とは別の 強い味方がつくような錯覚が…… そんな状
能登半島大地震の被災された皆さまの大変お辛い現状が少しずつ分かってきて、こんなに寒い日々を助けも水も食べものもなく、どう過ごされていらっしゃるのか、気がかりでありません。救助がいきわたりますよう、少しでも早い復興が進みますよう、自分のできることを最大限ご協力していきます。皆さまがどうかご無事でありますよう、心よりお祈り申し上げます。 どう生きたいか、どう表現したいか、何を大切にするか、何に命をかけるか、ということに、今まで以上に真剣に向き合い、自分の可能性を伸ばすべく、必死
たくさんのファンの皆さま、友人に恵まれて2024年を迎えることができました。いつも多大な応援を賜りまして誠に有難うございます。のびのびになっていたYouTubeチャンネルを先日開設させていただきました。今年は有言実行でいきたいと思います。(政治家の文言みたいですが……) https://youtu.be/op6So_vlZBk?si=U259iqdnO7HS1nyR 本日元旦は一粒万倍日と天赦日と天恩日が重なる最高な幸運日。お参りにはバーチャルで構わないそうです。外国にいる
12/27の未明から高熱の風邪で声がまったくでなくなってしまいました。39.2℃ほどあり、コロナ、インフルエンザの検査を受けました。ともに陰性でしたので本当に良かったです。強い解熱剤(アメリカ製)のおかげで38.7℃まで下がってきました。今年の猛暑を乗り切った身体はこのくらいの熱、なんでもないです。。。と言いつつ文章を書いていたらめまいがしてきたのでここで終わりにします。 上記の理由により、今週のいつだってT-Timeは過去からの再放送となります。大変申し訳ございません。ご
インスタライブ、ご視聴誠にありがとうございました。わたしの壊れている部分がだんだん滲み出てきていて、こんなにさらけ出していいのかと、猛省しております。見苦しいものを申し訳ありません。 親戚の集まったときに歌って踊りまくっていたら「ちひろちゃんは、おだちんぼだからねぇ。大きくなったらどないさ(どんな人間に)なるんだろう」といつも案じられていました。不吉な予感が見事的中してしまったインスタライブでした。 皆さま、これからもよろしくお願いします。
倉敷ジャズストリート、倉敷アヴェニュウにお越し賜りましたお客さま、誠にありがとうございました。皆さまに演奏をお聴きいただけて、感謝の気持ちでいっぱいです。 アヴェニュウのリハーサルの後に、急に曲が頭の中に降りてきました。音楽がふと浮かぶことは頻繁にありますが「本当に書きたい曲ならば、また思い出すし」とたいてい何もせずに放置します。そして、記憶がよみがえってきた時に書きとめます。 でもアヴェニュウの演奏前に降りてきた曲は 「Écoute, écoute, ce moment
最近は、カフェやレストランがある美術館が多い。美術館のカフェはおしゃれで、混みすぎていなくて、和やかな雰囲気。 女性客が大半。会話を楽しんでいる。 美意識が高く、おしゃれ人ばかり。 そんな空間にくっきりと聞こえてきたのは、 わたしの愛する西の言葉たち。 隣のテーブルで会話が弾んでいる。 A: 孫にお見合いの話が来たんよ B:あんたのお孫さん、シュッとしたイケメンで3高やからね。どんな人? A:もうびっくりよ。写真見たらめちゃくちゃべっぴんさんやねん。ま、写真は簡単に修正
巨匠となったモジリアーニのデッサンは はるばる大阪まで運ばれ、 美術館に飾られた。 立派な額に入ったデッサンの前で 2人の女性が立ち話を始める。 Aさん:これなんぼ? Bさん:知らんわ。ええ値段やろね。 Aさん:こんなんなら私もすぐに描けるわぁ。 子どもの時からずーっと絵の成績5で 高校は美術部。「女ピカソ」て呼ばれてたんて。 Bさん:あんたそれ「顔がピカソ」言われてたんと違う? Aさん:私がピカソなら、あんたは「ゲルニカ」やね Bさん:なんのしりとりにもなって