鈴木家の日常 ⑰「それでもまだ、乗りますか?」
「普通」の基準は一人一人違うから、「普通」という言葉をあまり使わないように生きてきた。これは父の教えだ。今思えば、その教えに都合よく言いくるめられていたのかも知れないが、おかげで私は人と違うことに違和感を覚えることなく、「ちょっと違う」人や行動、出来事に対して比較的柔軟だった。そんな私に、どうしても納得できない衝撃的な事が起こった話をしようと思う。
5月生まれの義父は、あとひと月範で87歳になるが、まだ毎日運転を続ける。駅まで徒歩5分、上下線ともに5分おきに電車が来て、都心まで乗り換えなしで30分あればついてしまう。市内四方八方に往来するバスも10分も待てばやってくるし、坂道の少ない街中を自転車で走っても、何ら苦にはならない。そんな街に住みながら、毎日車を運転して行く先は、歩いて3分の親せきの家だ。一方通行の多い住宅街だから、歩けば3分だが、車なら5分掛かってしまう。70歳、75歳、80歳、85歳と節目ごとに「免許返納」が家族会議にかけられるが、義父は頑なだった。
「免許返しちゃったら、誰が車を出してくれるんだい?」
米などの重たいものは、月に一度我が家で飼って届けている。かかりつけの病院は、目の前の道路を渡ったところにある。週に一度の体操教室は、駅前だから5分で着ける。親せきの家なら歩いたほうが早い。
「車に乗ってどこへ行きたいというのでしょうか?」
義父は答えない。「それなら歩ける」と言われてしまうからだ。
こうして、どうにか免許を返納させたいと願う私に最大のチャンスが訪れたのだ。
ある時、午前中に米とトイレットペーパーを買い、敷地内の駐車場へと戻った。自営業をして、社用を含め4台の車を所有している我が家の駐車場は広い。うちの4台とは別に、近所の住人にも6台分のスペースを貸していて、全部で10台をコの字状に置けるようなスタイルだった。
義父の車は、私の車と隣同士に駐車する。バックミラーで10メートル先の駐車位置を確認すると、隣に停めてある義父の運転席ドアが開いているのがわかった。義父は、毎回前向きに入れてバックで出るから、義父側の運転席と私の運転席は隣りあわせだった。
これから出ようとしているのか、帰って来たのかわからなかったため、私は5メートルほど手前でしばらく待機していた。一向にドアは閉まらないから、バックミラー越しにじっと眺めていたが、近所の方が車を出そうとしたために、入り口をふさいでいた私の車を向かって左側の空きスペースへバックで動かした。ちょうど駐車スペースに収まったところで、義父の車が動き出した。私の車めがけ、勢いよくバックしてきたのだ。私はすぐにクラクションを鳴らした。義父の車は全く停まる気配がないから、一層クラクションを長押ししてみたが、抵抗むなしく激突された。衝撃でようやく気付いた義父が車をもとの位置まで戻し、ものすごい形相で降りてきたので、私も降りた。
「今ぶつけられたな?」
「いや、ぶつけてきたのはお義父さんです。私の車は動いていませんでしたから」
義父の車は傷だらけで、いったいどれが今のキズか分からない。
「あのね、ちゃんと知らせてくれないと分からないんだから」
私の車が場内に入ってきたことにも、クラクションの音にも気付かなかったというカミングアウトをされ、義父はさっさと車に乗り込んで出かけて行ってしまった。
クラクションの音が聞こえたという向かい側の事務所にいた夫がやってきた。
「クラクションの音がひどくしていたようだけど」
義父に車をぶつけられたこと、その経緯を話すと、夫は憤慨した。
「なぜすぐに警察を呼ばなかったのか、なぜそのまま出かけさせたのか」
警察をすぐに呼ばなかったのは私の間違いだったのかもしれないが、出かけてしまったことを問い詰められたところでどうしようもない。ただ、場内の様子が変わったことに気づかないこととクラクションが聞こえなかったという事実に恐怖を覚えていたため、返納を説得することを夫に頼んでみることにした。さすがに参っているだろうと。
3時間後、私は駐車場へ呼ばれると、そこには不機嫌そうに立つ夫と義父がいた。
「いいか、車のキズは修理してくれ」
夫は強気だが、私はすかさず義父へ問いかけた。
「お義父さん、私の車見えてなかったんですよね?クラクション聞こえなかったんですよね?それってすごく危険なことって理解していますか?」
義父は少し苛立ったように頷きながら言葉を吐き捨てた。
「だからね、直しゃあいいんでしょうよ」
「待ってください、直せばいいわけではないんです。修理なんてどっちでもいい。ただ、今回のことでクラクションが聞こえないということがはっきりしたんです。こんなに近い距離で大きな音をさせても気付かないことはすごく危険です。それに、駐車場内に車が入ってきたことに気付かないというのも危険ですよ」
益々不機嫌そうな義父は夫を指さした。
「それならね、こやつの運転だって随分と危ないよ」
話を夫にすり替えたいであろう義父の言葉を遮って、私はまくしたてるように話を続けた。
「今日は自分の敷地内で相手が私でしたけど、もしも万が一他人様相手の事故だったら簡単にすみませんよ。ましてや命にかかわるようなことだったらどうなさるんですか?もしも小さな子供を死なせてしまったら、お義父さん普通に暮らせませんよ。もしもお義母さんを助手席に乗せて死なせてしまったら、お義父さんそれで平然としていられますか?他の車や人の気配がわからないとか、クラクションが聞こえないというのは、そういう危険と隣り合わせってことなんですよ」
義父は私を睨みつけた。
「だってね、お宅は簡単に言うけど、アタシが出かけたいときに車で送ってくれないでしょう?」
「ある程度の年齢になったら、歩いてくださいな。足腰強くなるから。歩くのが大変な場所は、今だって私の車出してるでしょう?ご近所や駅前だったら歩きましょうよ、近所の皆さんだって歩いてますよ」
「あー、あー、もううるさい、うるさい」
夫からの提案で、「これを機に、免許返納するなら車の修理はしなくていい、でもまだ乗ろうっていうなら、きっちり車直してくれ」ということになった。私はかすかな期待にかけてみたが、翌日自動車修理工場を経営している義父の友人がやってきた。
悪いが、事故して大怪我でもしない限り理科愛されることはないのだろう。いや、大怪我ならまだいいが、命を落とせば後悔もない。第三者w巻き込まないことを祈るしかできない。本当にそれしかないのかと、悩みは永遠に続きそうだ。
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