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二人称のわたし
家族が、親族が、大切な人達が、私のために、一同に顔を合わせて集まり、わたしの存在を悦び慈しみ、認め合うのは、結婚式と、葬式くらいじゃないか。
それを親から与えられた先天的な機会ではなく、主体的に企画できるチャンスなのが、結婚式なのだと思う。
それは、わたしが生まれた時じゃないのだ。
わたしの存在は、二人称からうまれ、二人称のなかで死ぬという現象をもって終止符となる。
だからというわけじゃ無いが、結婚式なんて面倒くさいとかお金の無駄だからやらないとかいう一人称で片付けるにはなんだか傲慢で違和感があるのです。