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仕事と私:6


 単純な感覚としては「販売も事務も、結局どっちも好きだな!」という思いに至ったので、両方を視野に入れて仕事探しをした。ある時の保育園行事で、同じクラスのママさんたちの会話の輪にうまく入ることができず、自分のコミュニケーション能力の低さを痛感した。これはまずい。私がママ友をつくれないことが、もうすぐ小学生になる娘の交友関係の障壁になるかもしれない、と当時の私は危惧した。結局今現在ママ友と呼べる人はほとんどいないし、それが娘に何ら影響を与えることはなかったのだが。小さなオフィスで特定の人らとしか顔を合わせない仕事環境が続いたことが一因になったのではと考えていたところ、ちょうど近所のショッピングモール内の新店でスタッフを募集していたので応募した。面接から数日後、採用を告げる電話が鳴り、数年ぶりに販売スタッフとして働くことになった。

 惣菜や菓子、調味料や酒など、あらゆる食品を取り扱う店で、パートとして朝~夕方まで勤務した。贈答用として利用されることも多かったため、毎日のように受けるギフト梱包や包装紙での作業には苦戦した。ちなみに最後までどうしても苦手だった。眼鏡店での経験から、商品の良さを自分なりの言葉でお客さんに伝えたり、目立つよう・分かりやすいよう工夫して描いたPOPが、売上に繋がることは嬉しかった。ショッピングモールというのは、休日になるとたくさんの人で賑わい、反対に平日の昼間はほとんど人通りがなかったりする。特に、お盆と年末年始は稼ぎ時で店内はお客さんでごった返していた。普段仲が良すぎたと言っていいくらいのスタッフ同士も、この時期ばかりは毎度雰囲気がピリついた。慌ただしく、忙しい毎日に、各々みんな文字通り“心が荒れ”、“心を亡くし”ていた。繁忙期がすぎるとまた、自然と和気あいあいとした空気に戻り、密かにほっとしていた。

 この職場を離れた理由は、長くなりそうなのでまた別の機会に綴るとする。2年半ほど楽しく働くことができたし、あらゆる面でいい経験だったことは確かだ。

 やはり私にとっては派遣という働き方が合っていることを思い出した。通勤圏内で派遣の募集がほとんどなかったのは、もう10年近く前のことになっていた。職場は少し遠かったが、大手グループの製造・販売事業で受発注を担当する部署で働き始めた。目まぐるしいほど忙しい職場で、丁寧な教育を受けるのは難しく、かつての事務職の経験でどうにかこなしていた。慢性的な人員不足のようで、次から次へと仕事を詰め込まれパンクしそうになった。派遣会社の担当者と報告すると同時に、話しやすい上司に直接相談し、業務を減らしてもらうことにした。その矢先、息子が体調を崩し退職せざるを得なくなってしまった。その話もまた追々。約2か月間通ったその就業先は、毎日健康的で美味しい昼食が食べられる食堂で過ごすお昼休みだけが癒しだった。

 息子が元気に保育園に通えるようになり、重い腰を上げてまた仕事探しを始めた。やはり派遣会社の紹介を受けることにした。これを書いている今日、たった先程、先日面談に行った就業先に採用が決まった。一般事務ではあるが、全く初めての業種だ。新しい仕事や人との出会いに今からわくわくしている。


 あなたの周りにも、私の周りにも、人はそれぞれ。日雇いで食いつなぐ人もいれば、事情があって働くことができない人、働かない選択をする人もいて、1つの会社で定年まで働き続ける人もいる。私には私の、仕事との向き合い方があった。



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