仕事と私:3
「内定取り消し」という言葉が飛び交う不景気真っ只中、私は運よく第一志望の会社に入ることができた。しかし、希望の事業部に入れない可能性が高いとされた。私の記憶では、新卒で25人程の同期がいて、そのほとんどが眼鏡を販売する部門を望んでいたが、希望が叶ったのは4人だけだった。全体研修を受けた後、ひとりずつ配属先が発表された。隣の席の人は聞いた瞬間に項垂れてしまい、数日後に退職した。そんな中私は、またも運よく希望通り眼鏡の販売店への配属が決まった。最終面接のときに、拙い言葉であったが「いかに眼鏡が魅力的なものか」を語っていた。その熱意が伝わったとか、そうでもないとか。その後1か月程、研修で専門知識を詰め込まれ、晴れて眼鏡屋さんになることができた。就職すると決めてから芽生えた1年くらいの、今思えば浅い夢が叶ったのだ。
今ある大手の眼鏡チェーン店とは違い、受付・視力測定・フレーム選びのサポート・会計・仕上がり品のお渡しを、なるべく分業しない、マンツーマンで接客するスタイルだった。特に、お客様とのやり取りの中で用途を聞き出し、その目的に合った度数やレンズの種類を提案し、決定するまで、他の仕事ではなかなか味わえないタイプの接客業務だったように思う。そして一通りの接客が担当したスタッフの責任で、個人の売上としてカウントされた。初めて配属された店舗では、とにかく接客の数をこなせと言われ、来店があると積極的に声を掛けに行っていた。その甲斐あってか、社内の販売強化商品の売上上位に入ったこともあった。当時の店長は、毎月の売上の集計を「先月と比べてこのくらい伸びている」と数字で見せてくれ、それは私にとって大きな自信に繋がった。その店長が、今私の夫となっているのだが、その話はまた別の機会に…。
入社して半年が経ち、電車の本数も少ない山の見える店舗に異動になった。ダジャレ好きの店長と、お母さんみたいなパートさんと、変態キャラの先輩と、個人売り上げはさほど気にせず、楽しく過ごした記憶が多い。もちろん叱られたこともあるし、いたって真面目に仕事をしていたが。どんなに真面目に真摯に対応していたって、サービス業である限りクレームはつきものだ。今となってはそう思う。だけど当時弱冠二十歳の私にとって、担当していたお客様が突然、電話越しに1時間説教をしてくる、という体験は、自分には何か別の業種が向いている可能性があるかもしれない、と思うのに十分だった。他にも理由は積み重なっていたが、その電話がきっかけとなり、転職活動を始めた。退職したのは、入社して丸3年たった時だった。
私は密かに、商品開発や企画の仕事に興味を持っていた。印象に残るほどかわいいとか、デザイン性の高い眼鏡関連の小物(例えば眼鏡ケースとか)を見て、私も考えて形にしたいなあ、と単純な、ぼんやりとした憧れがあった。それが叶いそうな会社概要を見つけ、応募した。面接を担当していた社長に、率直に「商品企画を担当したい」旨を伝え、「まずは店舗の販売員として勤務してもらうが、ゆくゆくは出来るだろう」と言う言葉を信じ、正社員として入社を決めた。その会社の眼鏡店運営は新事業であった。関連会社が大手だったため安心していたが、先述した社長のワンマンっぷりは社員一同呆れるほどだった。そこで出会った人たちと和気あいあいとオープニングスタッフとして働いたことは良い思い出だ。しかし1年経っても、事業自体が軌道に乗らず(多分社長のせい)、商品企画に携わることなど想定されていないことにやっと気が付いた。ちょうどその頃、結婚の話が出ていたのでそれを理由に退職を申し出た。しかし専業主婦になるつもりはなく、世の中にはきっともっと私に合う職業があるはずだとただ信じていた。有給休暇は労働者の権利なので、かなり揉めたが退職前にきっちり取得した。