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私の中のもったいないばあさん

プラスにはマイナスが必要よねって話

選択をする際、「後悔しない選択を」とよく聞くし、私も後悔しない方を選びたいと思っている。

ただ、ここで取り間違えたくないのは後悔=悪ではないってこと。
このアドバイスはあくまで、選択する際のコツといったものという認識をしている。
後悔すること自体には何の罪悪感も抱く必要はまったくもって必要ないのだろうなって。

なぜかというと、私の動力となっているのは、好きという気持ちに加えて、後悔や損得勘定だから。

私の損得勘定は良くも悪くも自分ケチすぎやしないかい?て思うくらい、損したくない気持ちが強い。
特に、人生の経験や時間、加えて、感情のエネルギーを費やした分を回収しないと気が済まないらしい。こどもの頃に読んだ絵本のもったいないばあさんが、ちょっと形を変えて、私の中に染み込んでいるのかもしれない。

例をあげだしたらキリがないけれど、デンマーク留学は『コロナで大学時代に思う存分に海外に行けなかった後悔』、高校生の頃にたくさん勉強できたのは『悪口を言われた人と同レベルに留まりたくない、嫌な気持ちにされたままじゃ勿体ないという損得勘定』。こういうマイナスから始まる気持ちが強い動力となっている。

後悔があるということは、自分の過去と正直に向き合っている証拠。
それができるってことは未来に対しても誠実に向き合える力があるってこと。

私はこれからも沢山の選択を誤ったと思って、後悔していくんだろう。
でも、私の中のもったいないばあさんは、その感情をプラスに活かさないと気が済まないらしい。面倒くさいことに ありがたいことに、プラマイゼロ、では気が済まない、プラスにしないと気が済まない。

今現時点で休職中の私はきっと、その反動になるマイナスエネルギーを蓄えていて、そのエネルギーをどの方向に発散しようかと思っているところ。
(まるでゲームのキャラクターの必殺技みたいだ)

今の私に必要なのは、数年たったころに振り返るのを楽しみに、着々と発射の準備を進めていくこと。

ほしいものなんて全部手に入れられるわけがないと思うのだけれど、同じだけ、またはそれ以上だと思える何かを手に入れることは可能なのだろうな。

…といっても、実際”ほしいもの”ってそんなに無いし、悟りを開いて”無”の境地にたどり着こうとしている私の存在も感じているけれど、、

そう、きっと私は”無”だと動き出せない、つまり、無の状態が続くとプラスにもならない

だからこそ、私には”マイナス”が必要なのかも!

やっぱり頑張る過程にいる自分のほうが好きだし、まだ、”何もなくていい”って境地に甘んじるのは少しはやすぎるかなと思う。

このエネルギーの蓄え&発散の繰り返しがいつまで続くのかは検討が付かないけれど。
ありがとう、私の中のもったいないばあさん、
もう少しお付き合いくださいね。


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