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「雪山とコーヒー(1)」

 3月上旬の夜明け前。-5℃の車内で目を覚ました。車のフロントガラスは、吐いた息の水分によって内側からバリバリに凍っていた。昨夜の寒さをしのぐためにのんだバーボンが無造作に助手席に転がっている。車のエンジンをかけ、暖房をいれてしばらく寝袋にくるまったままぼんやりとしていると、山の端の青白い光が一瞬にして黄金色に輝き、雪をかぶった大山が眩しく光った。

 蒜山SAから車を走らせ30分ほどで大山北側の大きな駐車場についた。冬山登山の装備を身につけ、売店へ行き食料を調達した。貧相に見えたのだろうか。店のおばちゃんが「兄ちゃん、芋食うか?」と焼いた芋を新聞紙にくるめて渡してくれた。重い装備をかつぎ夏山登山道から山頂をめざす。残雪期とはいえ雪の深さは凄まじい。アイゼンをはきストックで固く凍った雪を突き刺し、ゆっくりと登る。真っ白なブナの木々の間から眩しく光る太陽が目をさす。夏山登山道は急勾配。3合目まで登った辺りで息があがり「こなきゃよかった」とくじけそうになる。汗をかきかき勢いよく登り、のんびり登る登山客を追いこし山頂を目指した。時折、「ヒュルルルルーン」と高山特有のひんやりとした風が木々を揺らす。海から吹き抜けるこの強い風が「えびのしっぽ」と呼ばれる独特の景観を作る。


 2時間半ほどかけて6合目まで登った。人をよせつけない厳しい表情の北壁が太陽の光を反射して美しく輝く。パンパンに詰まったオレンジ色のモンベルのザックから菓子を出して口に入れる。塩気が体に心地よく染み渡った。ナイロンジャケットとフリースのアウターを脱いでほてって汗ばんだ体を冷たい風でさました。下界は春が近づき、木々が青々とし、弓の形をした海岸線もまた気持ちよさそうにキラキラ光った。山の風が心地よく吹き抜ける。天候が崩れやすい日本海側にはめずらしい文句のつけようのない快晴の大山。周りの登山客は写真を撮ったり、おにぎりを食べたりしながら思い思いの時間を楽しんでいる。30分ほど休み、疲れを癒やし再び山頂を目指した。

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 6合目から先はさらに急勾配になり、風も強くなり厳しさを増した。雪によって地形はすっかり変わり、人一人が歩けるくらいの道幅を慎重に歩く。呼吸は荒く息が上がる。足を踏み外すと滑落して生命を落とすだろう。一歩一歩が命がけ。風が強く体力を消耗する。8合目をすぎるとこれでもかという急勾配を登る登山客の遠くにみえた。赤や黄色、オレンジや色とりどりの点がゆっくりと歩を進めている。アイゼンをきつくしめ直し、ピッケルをギュッと握り、一歩一歩、雪を踏みしめる。死ととなり合わせで歩む。今、この瞬間、頼りない生が自分のものであることを実感する。9合目をすぎると不気味な音をたてる突風に変わった。強い風に体がもっていかレそうになるのを耐え、慎重に歩く。崖の下に目をやる。「死ぬだろうな」とどこからか声がした。ここから思い切ってジャンプをして飛び降りる。ふわっと体が宙に浮き、一瞬、重力から解放される。この一瞬の快感。飛べるような気もする。そんな想像をして崖の下をじっと見下ろす。足が震えた。恐怖と快楽。このまま山の神のもとに逝くのも悪くないだろう。

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 足跡を頼りに歩き続け、無事に山頂に着いた。雪に埋まり、かろうじて屋根の形状を残す避難小屋が見えた時には疲れで頭が真っ白になった。避難小屋を通り越し三角点付近まで到着し、その場に座りこんだ。遠く南側の奥大山の方を眺める。雪をかぶった豊かなブナ林が眼下にひろがる。
 山頂でのお楽しみがあったかいコーヒーを飲むことだ。この一杯を楽しみに山に登っていると言ってもいい。いつもはバーナーに火をつけてお湯を沸かすのだが、風があまりに強かったため、水筒のお湯をドリップコーヒーに注ぎ、snowpeakのお気に入りのコップでいただく。湯気とと共にコーヒーのまろやかな香りが鼻から入ってくる。仁王立ちになって王様気分で白く輝くブナ林を見下ろす。ゆっくりとコーヒーを体に流し込む。ぼうっとしていた頭がシャキっとする。コップをもったまま、立ち入り禁止の剣山の方へ歩く。コーヒーをのんで気も大きくなり、危険を承知でチャレンジしてみようかと思ったが、足が震えてそれ以上、進むことができなかった。避難小屋に入り、今度はバーナーでお湯を沸かす。真っ暗な避難小屋で、沸騰するのを待つこの時間がいいのだ。カップラーメンに湯を注ぎ、残ったお湯で二杯目のコーヒーをいただいた。体の強張りがほどけていく。

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 避難小屋を後にして、ピッケルを突き刺しながら慎重に山を下った。山頂の方を振り向くと、何人かは剣山への断崖絶壁の心細い道を歩く姿が見え、また剣山付近に奇妙な機械音が聞こえドローンが飛んでいた。眼下には異様な音をたて赤いレスキューヘリが飛ぶ。先日、遭難者が出たらしい。そんなニュースを思い出した。途中、足を滑らせつつも何とか6合目まで戻ってきた。この6合目が最後のコーヒー。山に登るというのは死の世界へいくということだ。一度、死んで、また戻ってくる。そういう儀式なのだ。あたたかいコーヒーがからだに染み渡り生きた心地がした。ふと歌を歌いたくなった。「星めぐりの歌」のメロディーを誰にも聞こえないように小さく口ずさんだ。歌は風にのって遠く遠く飛んでいった。



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